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横尾明×沼勉スペシャルインタビュー~日本の自転車ロードレース~|東京2020特集

日本の自転車レース機材と文化の原点は、オリンピックにある。

横尾明(左)
東京・上野にある老舗「横尾双輪館」の店主。日本の競技自転車黎明期からその普及に努めており、古くからデローザなどを輸入販売。東京オリンピックでは中心メンバーとして写真集を製作。

沼勉(右)
67年伝説のルネ・エルスをオーダーし紹介。宮田工業時代にはエディ・メルクス、コガミヤタブランドを立ち上げる。後にジャイアント日本法人も設立。輪界の最前線を支えた。

衝撃的だった1964年の東京五輪

横尾 個人ロードの時は、高尾駅前のテントにいました。仕事だったんで、おおっぴらには撮影できないから、リコーオートショットをポケットから出して密かに撮影していた。

沼 私は松枝橋かその辺りかな。最終周で400mぐらい先行するメルクスを見たから、これは決まったなと思ったら、そうじゃなかった。

横尾 高尾の裏から下っていって駅前で直角に曲がるから、そこでけっこう転倒があった。ベロクラブ東京のメンバーが、それぞれカメラを持って要所で撮影を続けたんです。

沼 トラックレースの時は、チケットを買って入りました。私は大学生だったので、当時はまだガールフレンドだった妻を連れていった記憶がある。

横尾 あの写真集の表紙は、タンデム競技の時に私が撮影した写真です。ニコンが高くて、ペンタックスの200mmのレンズで撮影しました。

沼 印象的だったのは、個人ロード後半に選手が捨てていった缶を見たら、なんとビールだった。一種の興奮剤なんじゃないかな。そういえば東京オリンピックのマークがついた、イタリアチームの水のビンを拾ったよね。

横尾 オリンピアディ・トーキョーとあるイタリアチームのね。当時の日本に対して海外はそんな認識だったんでしょう。水が悪いかもしれないから選手には飲ませないという。

編集 当時見て、やはり各国の機材は凄かったですか?

横尾 どれも凄かったよね、チネリやマージ、各国の自転車なども。

沼 意外とイタリアチームはロードではチネリを使ってなかったですね。チネリはシート長のみ選択できるシステムになっていた。だから日本やメキシコなど、どちらかというと機材の後進国が使っていた。先進国は選手個人の細かい寸法に合わせてフレームを作れましたから。

横尾 タンデムなどはイタリアもチネリでしたね。トラックはマージだった。

沼 ジモンディはビアンキ。優勝候補だったのに旧式なコッタードクランクを使っていた。このあたりがアマ的ですね。メルクスは、スーペリアという自転車に乗っていた。当時ベルギーの有名メーカーだった。

横尾 日本選手の機材に関する報告書によれば、ロードレーサーは大宮選手が片倉シルク、団体ロードに出た加藤武久選手が日米富士となっている。他の5名がチネリです。

沼 また日本のメーカーは、10社ぐらいが代車を用意したようです。メーカー名は伏せられていて、ABCとアルファベットで管理されている。その図面が残されています。

横尾 代車などを見れば分かるけれど、日本車はまだロードレーサーとしてなってない感じですよね。やはり欧州車の完成度は衝撃的だった。

編集 ベロクラブ東京というのは、どういう組織だったんですか?

沼 このオリンピックの写真集を作るために横尾さんを中心にあつまった架空の組織ですよ。

横尾 昔はお客さんの面倒を見る以上に、ロードレースの魅力を伝えるという仕事が多かったからね。当時は、自転車といえばツーリングがメインで競技のファンというのは一握りもいなかった。だから、我々は広めたいという一心で作ったわけです。3500冊刷ったんですが、これがまったく売れなくてね。お店に本を持って売って回った。

沼 関西方面は、メーカーも多くて熱心でしたね。杉野、前田、吉貝などパーツメーカーはオリンピックを契機としたレベルアップのために多額の援助を受けていたと思う。東京オリンピックは原点と思いますけれど、自転車メーカーの人はローマオリンピックからが始まりです。

横尾 64年が契機で、競技自転車が一般に広がったかというと、そんなに上手くいかなかったですが。ビルダーなどにとっては確かに契機でしたね。

沼 梶原利夫さんもオリンピック会場にいましたよね。

横尾 エベレストに入る前の彼ね、自分でフレームを作っていて、私もたまに仕事をお願いしていた。

沼 エベレストもチネリそっくりのマークになって。影響はありますよね、かなり。

横尾 実物を見ることで、カッコが付いてきた感じだよね。乗るほうも憧れてさ、マネできるようになって。2020年のオリンピックは、ロードがこんなに売れるようになった時代だから、興味を持つ人は圧倒的に多いでしょう。

沼 昔は選手以外にロードに乗る人なんていなかったからね。いろんな意味で、次の東京はまったく違った大会になると思います。

(上)競技自転車のファンを広めるべく、横尾氏や沼氏らがベロクラブトウキョウを組織。皆で撮影した写真を集めて作った東京オリンピックの写真集。いまでは貴重な資料

(下)東京オリンピックの時、沼氏が拾ったイタリアチームの水。今もあるサンペレグリノの炭酸水だが「OLIMPIADI DI TOKYO」と赤いスタンプが押されている。横尾双輪館に飾られている

写真集はモノクロだったので使われなかった貴重な当時のカラー写真。イタリアチームのブルーのチームジャージ(右)、トリコロールをあしらったフランスチーム(左)

個人ロードレースをスプリントで制した、マリオ・ツアニンのバイク。ステラというメーカー。東京オリンピック後ツアニンは、目立った活躍をできず引退

ジモンディのビアンキ。なぜか旧式のコッタードクランクが装着されている

イタリアのトラック競技で活躍したマージ。やはりマージはミラノのビゴレッリ競技場近くだけにトラックに強かったのか。タンデムはチネリが多かった

個人ロードの山尾裕選手。個人ロードでは、大宮以外の3人の日本選手はチネリに乗った

フランスチームの強豪モルロン選手が乗ったトラックモデル。サベージという聞き慣れないブランド

JAPANと書かれた日本チームのタンデム。ロゴを見るとKATAKURAとある。外国製フレームばかりではなかった

TEXT:編集部 PHOTO:仁田慎吾/大星直輝
出典・写真資料:「TOKYO OLYMPICS 1964」ベロクラブ東京製作、「東京オリンピック写真資料集」自転車文化センター所蔵
資料協力:横尾双輪館、長谷川自転車商会、自転車文化センター

(出展:『ハンドメイドバイシクルBOOK』)

出典

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Bicycle Club編集部

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ロードバイクからMTB、Eバイク、レースやツーリング、ヴィンテージまで楽しむ自転車専門メディア。ビギナーからベテランまで納得のサイクルライフをお届けします。

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