競艇選手を一度は志したが、自転車に復帰したスプリンター 藤岡克磨【La PROTAGONISTA】
管洋介
- 2019年07月17日
INDEX
2015年シーズンを前に一度は引退し、その後、競艇学校に合格したという藤岡克磨。
ところが翌年には突然Jプロツアーのレース界に復帰した。
現在ヴィクトワール広島のキャプテンを務める彼にフォーカス。
■■■ PERSONAL DATA ■■■
生年月日/ 1991 年3月15日 身長・体重/166.7㎝、53㎏
尊敬する選手/大久保陣 趣味/素潜り
ヴィクトワール広島 藤岡克磨
【HISTORY】
2005〜2008 徳島工業高校
2008 法政大学自転車競技部
2009 インディビデュアル ベルギー遠征
2010〜2013 スミタラバネロパールイズミ
2014 Cプロジェクト
2017 ヴィクトワール広島
すばしっこさが生きるレースでの走りのうまさ
プロ選手の多くが認める、走りのうまさで知られるヴィクトワール広島の藤岡克磨。今回のプロタゴニスタ(主人公)だ。
筆者とは2011年、彼が徳島から上京して選手活動をしていた頃に出会った。小柄で甲高い声、真っ黒に焼けた顔でいつも微笑む彼は、人懐こい若手という印象だったが、レースを走ると印象が一変する。
レースでは嗅覚を利かせた走りで展開に飛びつき、想像以上にいいポジションで走る彼を何度も目にしてきた。そんな彼が国内コンチネンタルチームのCプロジェクトを最期に引退し、競艇の世界を目指したとき、「すばしっこい彼の走りなら競艇は絶対に向いている」と誰もが活躍を期待した。ところが、2017年5月に突然の復帰宣言。その直後に出場したUCIツール・ド・熊野の平地ステージではメイン集団でゴールし、その非凡な能力を見せてくれた。第二章を迎えた自転車選手人生、今ではチームの要として活躍する彼をいったい何が突き動かしているのだろうか……。
40倍の難関を突破し入学した競艇学校
「Jプロツアーに復帰したときもそうなんですが、僕は思いついたことは実現できると確信するタイプなんです」
ロード選手を引退し、競艇学校を受験するまでの準備期間は1カ月。約1400名の応募から3次試験を経て入学の権利を得られるのはたった40人。彼のここ一番での集中力の高さがわかるエピソードを紹介しよう。
「小さなころから気になりだしたら止まらない性格で、深夜でも動き出さないと寝れなくなってしまうんです。海の町で育った少年時代、手銛で魚を突いてからというもの、誰も泳がない冬でも魚の動きを研究してスピアフィッシングに夢中になってしまう。自分がやりたいことを見つけると、とことんのめり込んでしまうんです」
一人上京して名門クラブ、チームラバネロのショップに住み込みで選手活動していた、20歳のころの彼の姿を想い出し納得した。当時は高村精一監督指導の下、所属していた大久保陣(現キナン)からスプリント、エースの栂尾太知(現コラッジョ川西監督)からレースを学んだ4シーズン。アンダー23ながらもJプロツアーで4位に入賞するまで成長した。「自分が決めて動いたことに揺るぎない自信があるんです。そして達成するための手段や計画を立て、行動してしまう……。振り返れば僕の人生は常にその思いに突き動かされてきました。競艇選手の身長と体重の適正が僕にドンピシャだとわかった瞬間には決意していました」競艇学校の受験を決めたその日から、体力テストに挑むために、徹底して身体の使い方を意識してトレーニングを開始。基準タイムをトップでクリアした1500m走も、土手沿いを走り込み、下地を作った。動体視力のテスト対策はゲームセンターで瞬間的にボタンを押すゲーム機で鍛えクリアした。「できる」という思いが彼の能力を急激に引き上げた。
「自転車競技もそうなんですが、メニューも自分で研究して作る。だらだらと続けるのが苦手な性分。集中的に超高強度のトレーニングを2時間して身体を仕上げていました。効率よく力を発揮するために身体の使い方にこだわっていたのが、競艇に転向しても生かされました」
はたから見たら奇跡ともいえる短期間での合格、彼の競技転向は順調だと思えたが……。
「競艇学校は隔絶された別の国という感じでした。規律以上の理不尽な関係も受け入れなければいけないほど厳しい指導の連続。僕のやんわりとした雰囲気はまったくいい影響をおよぼさず、日々悶絶しました。この生活もあと少しで……というところで卒業試験に3点届かず強制退学。同時に受験する権利も失いました」
競艇学校を退学し、地元徳島へ帰郷。喪失感に浸る暇もなく仕事を始めなくてはならない。知り合いの紹介で電話関係の企業に就職。10年の自転車競技、競艇への挑戦を終えて社会人としての人生を送っていたある日、ロードバイクを持つ先輩にサイクリングに誘われた。
ロードレーサーにまたがり3日後に復帰を決意
「付き合いだからと乗りはじめた瞬間、忘れていた感覚が一気によみがえりました。ペダルを踏むほどに呼び覚まされる身体はどこからともなくチカラが湧いてくる。『これは……』とロードレースを走る自分が重なりました」
さらに運命の出会いもあった。ひと月前に行われていたイベントで、しまなみを訪れたときに、ゲストで招かれていたヴィクトワール広島の中山卓士監督と再会していた。
「久しぶりだねぇ……もう自転車は乗っていないの?」と会場で話をしたことを思い出し、先輩にサイクリングに誘われた3日後には「ヴィクトワール広島で競技復帰したい!」と中山監督に電話で話を持ち掛けていた。2日後にチームの合宿に参加することが決定。電話を切ったその日から2年半ぶりのロードワークを開始した。
「乗り始めたその日から高強度、レースを意識した2分走、10分走……。仕事終わりから2〜3時間時間を作り渾身のチカラでペダルを踏み続けました」
合宿では日を追うごとに走れるようになり、中山監督の目に留まった。そして3週間後のUCIツール・ド・熊野で電撃復帰を果たした。再びスタートラインに立った藤岡。プロローグではトップから1秒97差の26位、アベレージ47.5㎞/hで駆け抜けた。山岳ステージでは途中で降ろされたが希望が見えていた。復帰2戦めとなったJプロツアー那須塩原クリテリウムでは27位で完走。プロレーサー藤岡克磨は競技界に戻って来た。
「かつては切羽詰まった必死さで踏んでいた自分が、いろいろなことを経験して楽しむスタンスを忘れずに、精一杯走れるようになってきました」
2018年シーズン、Jプロツアー個人ランキングを18位で終えた。チームは今シーズンは藤岡をキャプテンに、エースの谷順成、急成長を遂げた白川幸希、さらに宇都宮ブリッツェンから馬渡伸也が加わり、チームに過去最高の布陣が整った。
「先日の西日本ロードクラシックではウチのチームがまとまって、レースのペースをコントロールするまで成長しました。超高強度の展開が繰り広げられる広島クリテリウムは僕の出番ですね!」
なぜこの世界に戻って来たのか?という問いに、「僕は自転車のスリリングな展開が好きなんです。瞬間的に判断し、全力のスイッチを入れるゴールスプリントは、心臓がわしづかみされているような緊張感。スプリンターとして絶対値の出力のない僕が位置取りでチャンスをつかみ取る感覚がたまらないんです」
レンズを向けると、落ち着いた微笑みを浮かべる彼は、出会ったあの頃よりもたくましく、遠くを見つめる視線には渡って来た人生の厚みが重なってみえた。
REPORTER
管洋介
アジア、アフリカ、スペインと多くのレースを渡り歩き、近年ではアクアタマ、群馬グリフィンなどのチーム結成にも参画、現在アヴェントゥーラサイクリングの選手兼監督を務める
AVENTURA Cycling
La PROTAGONISTAの記事はコチラから。
SHARE