Jプロツアーへ駆け足で上り詰めた脅威の新人 武井 裕【La PROTAGONISTA】
管洋介
- 2020年01月29日
Jエルートツアーからの連勝を重ね、またたく間にJプロツアーで走るようになった武井裕。
さらに医師という忙しい仕事をこなしながら、トレーニングを続けているというから驚きだ。
■■■ PERSONAL DATA ■■■
生年月日/1991月3月15日 身長・体重/178cm・73kg
座右の銘/No Pain, No Gain
VC 福岡 武井 裕
【HISTORY】
2015-2016 プレーゴ
2017-2018 アーティファクトレーシングチーム
2019-2020 VC 福岡
エリートではスプリンターとして連勝
今年のJプロツアーに参入した猛者のなかで、武井裕ほど短いキャリアと高い勝率で上り詰めた選手はいないだろう。
2017年に初挑戦した実業団大会では、春先の宇都宮大会で2連勝しE3からE1へ昇格。2018年シーズンはE1カテゴリーのスプリント勝負で4勝。とくに、やいた片岡ロードレースにおいては、紺野元汰、津田悠義、藤田涼平、雑賀大輔ら強豪選手を相手に先着を許さなかった。
10秒間、1450Wで踏み倒す身体の大きさは見るも歴然、胸を突き出し両手の拳を握りしめて雄叫びをあげて突破するゴールシーンは圧巻で身体中にアドレナリンが駆け巡っている。
「ゴール勝負となる展開では『いける……』と余力を感じた次の瞬間からゴールを切るまで記憶が無いんです。残り200mを先頭に自分の視界に誰も入れない数秒間……。感覚的には『まわりも意識しなくなる、何も考えていない』ほどスプリントに集中しています」
しかし、今季からVC福岡に所属し、初挑戦したJプロツアーではレースの過酷さに苦渋を味わった。
「脚の違いと感じてしまう展開の連続です。個人の能力も高い選手たちの組織立った動きが始まると、すかさず前走者の車輪に喰い付き必死にペダルを踏み倒すシーンが続きます。これはエリートカテゴリー時代には経験したことのない感覚でした」
今、彼は得意とするスプリントに持ち込むため、大きな課題と向き合っている。
「長距離がこなせるスタミナの上に、体重の6倍の出力で5分、5倍で20分耐えれなければ通用しいない世界なんです」
問題は時間にもあった。
普段は病院勤務の整形外科医として働く彼は、Jプロツアーに挑戦するために、わずかなすきまをトレーニングに費やす日々を送っている。
20連勤はあたりまえ、当直で自宅に戻れない日もしばしば。可能な限り朝4時台から100kmのロードワークに出かけ、夜中まで続く仕事のすきまで仮眠して回復の日々。一日がもう少し長ければもう1割、2割は強くなれるのではと思ってしまうほどです」
そんな武井と筆者の出会いは、武井が自転車レースに参戦して2〜5年のころ。筆者が大会カメラマンとして請け負った市民レースだった。「積極的で伸び盛りの市民レーサー」という認識でときどき声を交わす仲となり、その後、筆者が講師を務める自動車教習所を使ったバイクレッスンでも生徒としても再会した。
恩師の一言で変わった人生
武井は母子家庭の一人っ子として少年期を横浜で過ごした。「好きなことはとことんやってみたら」という母の方針に、小学生時代は美術やモノ作りに夢中になった。そのころ磨いた手先の器用さと集中力は現在のメスさばきにもつながっているという。
そんな彼がスポーツに出合ったのは中学1年生。
入学当初に行われた体力テストで、立ち幅跳びに居合わせた体育科の園田先生に「おまえの運動神経が気に入った!
私が顧問を務めるバレー部に入ってみないか?」と声をかけられた。どちらかと言えばインドアな少年期を過ごして来た彼がバレーボールというスポーツに出逢って気持ちに変化が現れたという。「身体中からなにか抑圧されていたモノが放たれる感覚。得点を決める度に雄叫びをあげ、仲間が決めても叫び感情をさらけ出す。昂った気持ちで全身全霊を込めて打つスパイク……それまで知らなかった自分の本性に気付きました。あのとき先生に声を掛けていただいいていなければ人生は変わっていたと思います」
大学6年になるまでの13年間バレーボールに打ち込み続けた。やりたいことを尊重してくれる母親のもと中高一貫の進学校に通い、高3の引退時期まで勉強に手がつかない程部活のめり込んでいた彼が医学部を目指したのはまさに入試直前であった。
「ほんとうは動物好きで獣医を想い描いていたのですが、漠然と『生きていく環境として医学部の方がいいだろう』とセンター試験1カ月前に方向転換しました。悔いのないようにやり切る!
とバレーボールに打ち込んできたことがここで勉強にスイッチし、学校での成績も振るわなかった自分が山形大学医学部に入学できました」
忙しいなかでも練習を続けるスタイル
入学後は医学部の多忙なカリキュラムのなかで早朝、夜間と練習に打ち込み、試験前は仮眠をとりながら勉強をするという現在の生活と変わらぬスタイルで、東北学連リーグにおいても念願の1部リーグ昇格という結果を残した。「今ある環境でやり切ること、努力して結果を出す姿を応援してくれる母に見せることもまた僕の一つの原動力となっていました」
大学5年時の故障をきっかけに始めた自転車競技。
「自転車での初勝利は偶然にも母に見せることができました。2015年1月の伊豆にある日本C SCの小周回のクリテリウム、抜け出した3人で逃げ切りました。それから市民レースに夢中になり、地元神奈川のアーティファクトレーシングチームで実業団レースに挑戦するようになりました。そして今では同世代のプロ選手に負けて『とにかく悔しい、どうかして近づきたい』とペダルを踏んでいます。自分の立場を忘れてでも打ち込んだり、悩み続けながらも一つひとつ達成したりすることが自分の生活を支えてくれていると感じています。そして『努力してつなげていくのは医療も自転車も同じ』とも思っています。
医師として責任をもって、患者さんのために日々勉強して手術や治療にあたる武井。「環境が厳しいのは自分に与えられている試練だと思いレースを走っています。社会人チームとしてJプロツアーを戦うVC福岡で、表彰台を目指してペダルを踏んでいきたいです」
9月のJプロツアー群馬大会ではルビーレッドジャージを着るオールイス(マトリックス)を含む勝ち逃げに乗る活躍で魅せた武井。彼がゴール前の直線に先頭で現れる日も遠くない!
REPORTER
管洋介
アジア、アフリカ、スペインと多くのレースを渡り歩き、近年ではアクアタマ、群馬グリフィンなどのチーム結成にも参画、現在アヴェントゥーラサイクリングの選手兼監督を務める
AVENTURA Cycling
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