U23最強戦士がいよいよプロ本格始動 武山晃輔【La PROTAGONISTA】
管洋介
- 2020年03月04日
INDEX
インカレロード2勝、全日本選手権U23ロード優勝など輝かしい功績を携え、
今シーズンからJプロツアーに参戦する武山晃輔にプロタゴニスタはフォーカスした。
■■■ PERSONAL DATA ■■■
生年月日/1997年11月22日 身長・体重/165cm・58kg
趣味/珈琲
チーム右京 武山晃輔
【HISTORY】
2013-2015 甲府工業高等学校自転車競技部
2016-2019 日本大学自転車競技部
2018後半 チーム右京
トレーニーからプロへ
2020年を迎え、日本のプロロードレースチームのメンバーの発表が相次いだ。
今シーズンの注目は、大学競技部で活動しながら1年半、トレーニー(研修生)としてチーム右京でUCIアジアツアーを経験した武山晃輔が、本格的にプロデビューすることだろう。インカレロード2冠をはじめ、全日本選手権U 23、国体、学生個人ロードのタイトルを奪取した彼の攻撃的なレーススタイルが、今季はJプロツアーのレースシーンで見られる。
プレッシャーを強さに変えて
勝負することを期待されるのはトップレーサーの証。
武山晃輔は功績を重ねる度に勝ちが求められ、勝つことで自分の存在意義を更新してきた。「プレッシャー。多くの人にとっては逃げたくなる言葉かもしれませんが、僕は重圧から逃げられない環境に追い込むことが、自分の人生をプラスにしていくんじゃないかと感じています」
根っからの話し好き、少し甲高い声で滑舌よく話す彼の表情が引き締まった。「大学2年で大きな試合で勝ってからは、自分自身にプレッシャーをかけるために、後輩や周囲に意識の高い言動をすることも多くなりました。これで負けたらみっともない……。僕はダサいのが大嫌いなんです。だからつらい練習にも打ち込めるんです」
そして、彼ほどの成績を残した選手がパーソナルコーチもつけずに自力で上り詰めた例も珍しい。
毎朝4時半から始まる、名門日本大学自転車競技部の合同練習。「誰よりも速く、強く」を求め続けた彼の精神力が自身の未来を作り上げてきた。
「日本で通用しないヤツが海外でどうする?仲間との競り合い、県、全国と戦えるレースで勝負を重ねてきてこそ、その先に世界がある」
さまざまなルートで海外へのプロセスも明るくなった昨今の自転車界のなかで、日大自転車部の大先輩で、1990年に日本人で初めてジロ・デ・イタリアを走った市川雅敏さんの言葉と彼の考えが重なった。
人生を変えた先輩の一言
彼が強い信念を持って物事に打ち込む姿勢を築くようになったのは、中学時代に所属したバスケ部でのできごとにあった。
バスケシューズを買ったことをきっかけに選んだバスケットボールは、彼のイメージしていたものと違い、性に合わなかった。部活動にたまに顔を出しては友達とやんや騒ぐのをつねとしていた。
するとある日、親しくしていた先輩から急にどなりつけられた。「練習もろくに来ないで、ふざけた態度で何してんだ!」
ふだんは付き合いもよく、優しい先輩の性格からは想像もし得なかった一言にエリを正さなければと、真剣に練習に打ち込むようになった。「柄にもない先輩の一言に、なにか恥ずかしくて、悔しかったんでしょうね。一つのことに向き合ったことのなかった自分がこの日を境に変わりました」
そして、自転車競技の原点は甲府工業高校にある。
先輩の見よう見まねでまたがり始めたロードレーサーも日々ペダルを踏み、仲間たちと競い合うことで自分のモノにしていった。「作新学院高校との合同合宿で知り合った吉田悠人先輩が、日本大学に入りインカレロードを優勝したのを見て『高校を卒業しても選手を続けたい』と後を追いました」
すでに高校3年で全日本ロードジュニアで3位の実力をつけていた彼は、名門日本大学自転車競技部へ進学を決めた。
勝利の価値を上げていくもの
2019年9月2日長野県大町市、学生日本一を決めるインカレロードのスタートラインに武山晃輔は並んでいた。
2017年に同じ美麻のコースでのインカレを制しているだけに、誰もが本命として彼の動きに注目していた。そして、この年のナショナルジャージを身にまとうことで、全日本選手権覇者として走る重圧をもみずから受けて立った。「2年前に勝てたときとは状況が違いました。トラック競技で好調だった中央大学が総合得点で優位に立っており、10位以内に1名のロード選手を送リ込ませてしまうと総合優勝を譲ってしまいます。ここで僕が勝つのはあたりまえ、入賞圏内に日大の選手を送り込みながら、ライバルの成績も落とさなければいけないという難しい戦いに挑みました。
作戦は前半のエスケープに数名のメンバーを送り込み、後半追走グループを崩してエスケープをキャッチし勝負を決めること。トレーニーとして加入したチーム右京でのレース活動で、プロレースのタクティスも身につけていた。「レース中に話していては数十秒のロスになる。レース前後のミーティングを徹底し、レース中の連携には不安はありませんでした」
目指すは174.2km先のゴールライン、戦いの準備は整った。レースは前半、日大の仮屋和駿の単独エスケープをきっかけに、武山がみずからアクションを作りライバルを翻弄するスキに、日大のアシスト2人を含む8人で仮屋に追いつかせることに成功、前半の流れを作戦どおりに仕立てた。「冷静でした。最終局面で自分が勝つことがわかるほど……」
レース中盤、エスケープグループと2分のタイム差を確認すると、武山はハイペースでプロトンを引き延ばし続け崩壊させた。
そして、残り70kmで2分の差を縮めエスケープグループをキャッチ、レースはクライマックスに。「ラスト1時間。2年前勝ったときは自分がレースに勝てる確証はありませんでした。でもこのときは違う……。僕には勝つプロセスが見えていました」
最終展開にナーバスになる先頭集団の中で、ただ1人武山晃輔だけは落ち着いてライバル達の走りを分析し、最後は武山が日大の片桐東次郎、仮屋を従えてスパート。トップグループを分解し、ライバル小出樹(京産大)との一騎打ちにも勝利した。
「中央大学に総合優勝こと譲りまっしたが、勝利を組み立てて走れたことに意味も見出せました」今年、U 23の歴史に残る戦績を遂げて来た武山晃輔がプロステージへ今新たな一歩を踏み出す。「ロードレースはこの人生のなかで唯一可能性を見いだせた世界。僕の走りを見ていてください」
REPORTER
管洋介
アジア、アフリカ、スペインと多くのレースを渡り歩き、近年ではアクアタマ、群馬グリフィンなどのチーム結成にも参画、現在アヴェントゥーラサイクリングの選手兼監督を務める
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