好機を生む天性のパンチャー 新城雄大【La PROTAGONISTA】
管洋介
- 2020年09月30日
名もなき少年はプロデビューから7年、年を重ねるごとに走りに磨きをかけ、
国内トップチーム キナンサイクリングチームに欠かせないレースメイクのキーマンへと成長した。
これからの時代を担うレーサー、新城雄大にプロタゴニスタはフォーカスした。
■■■ PERSONAL DATA ■■■
生年月日/1995年7月3日 身長・体重/176cm・65kg
血液型/AB型
キナンサイクリングチーム 新城雄大
【HISTORY】
2011-2013 沖縄県立八重山農林高校自転車競技部
2014-2015 那須ブラーゼン
2016-2017 エカーズ
2017 ブリヂストン・アンカー
2018-2020 キナンサイクリングチーム
2020年7月23日、Jプロツアー開幕戦。異例の3カ月遅れでのレース開始により、総合成績を決める一戦のポイントの重さが増したスタートライン。
群馬サイクルスポーツセンターでのレースは、前半から各チームのアシスト陣のエスケープと、主導権を握るチームのチェイスというスリリングな展開が恒例だ。
しかしこの日、前半の中間スプリント争いのスピードアップに乗じて強豪チームがフロントにそろえたのは、エース級の選手たち。レースはキナンサイクリングチームの新城雄大による急勾配の登坂でのアクション、同チームのトマ・ルバの強烈な牽引が決定打となり、13人のエスケープが形成された。ジョイントし損ねたチームがお互いを見合うスキに、エスケープは3分半という強烈なアドバンテージを奪うことに。
エース山本元喜のジョイントを成功させたキナンサイクリングチームは、開幕戦の展開に自信をみせていた。今シーズンは世界のレース界が混乱に陥る前に、一足早くオセアニアでレースカレンダーをスタートさせただけに、この日キナンがレースを掌握しているのは誰の目からも明らかだった。
「一人のエースを勝たせるためにレースを組み立てる。戦力とはその大きな歯車になること」。この日宇都宮ブリッツェン増田成幸とのスプリントに圧勝した山本元喜。その華やかなポディウムを静かに見守る新城の背中に、プロの仕事を成し遂げた貫禄を感じた。
移住先でスタートした自転車競技人生
「僕の人生、何が起こるかわからないんです。今でこそプロレーサーだと自負できますが、以前はツール・ド・フランスもろくに知らなかった。そんな僕が高校を卒業して急遽石垣島から那須に移住して、自転車人生を送ることになるとは思ってもみませんでした」
1995年石垣島生まれ。これをみれば新城幸也の影響を大きく受けたスタートと思われがちだが、じつは幼少期に移住した東京で中学生までを過ごしている。
「陸上、水泳を続けながら小学生でトライアスロンに挑戦したのがロードバイクとの出合いです。進路に悩んでいた僕は、祖父の看病で父が転職し石垣島に戻ったことをきっかけに、父の農業を手伝うということで、母と弟を残して八重山農林高校に進学しました」
トライアスロンの経験もあったことで自転車競技部の門を叩くが、部は休部の状況。そしてひとり部活の競技活動が始まった。
「自転車競技を何も知らなかった……これが僕の強みでした。そして顧問で指導してくれたのが新城幸也さんの父の貞美先生だったことが決定的でした」
新城幸也の活躍で、自然と自転車競技を理解し応援してくれる石垣島の人々。最初はなぜ自転車に乗る自分をこんなに応援してくれるのか、ありがたみも知らずペダルを踏んでいた。しかしツール・ド・フランスの存在を知り、地元のホビーレーサーたちにもまれて走るなかで、「運命の勘違い」が起こった。
「プロになって世界を転機する幸也さんの姿に、自分の姿を重ねてしまったんです。このポジティブな勘違いをしたまま突き進んだことで人生が変わりました」
とはいえ高校競技の主体はトラック競技。バンクもない島で「レースは全部先頭でゴールラインを切ればいいんだ」と、ブレーキをつけたトラックレーサーで直線路をもがき倒した。
「高校3年で東京国体に選ばれたんです。そしてこの大会で人生が変わりました」
全国選抜の高校生を相手に愚直にアタックし続け、ポイントレースで8位に。名もなき石垣島の少年の奮闘が、当時那須ブラーゼン監督の清水良行の目にとまった。
高校卒業間際にプロデビューが決まる
2014年、那須ブラーゼンは佐野淳也をエースに新城と同世代の小野寺怜、雨澤毅明、岩井航太らの若手構成でスタートを切った。
「初めてのチームにいたのが現在最前線で活躍するメンバーたち。とくに雨澤さんはこの年すでにU23賞のピュアホワイトジャージを着用するなど、国内トップクラスの実力で身近な目標でした」
デビュー初年度はレースを経験するとともに本格的なトレーニングを学び、オフシーズンはタイで乗り込んだ。翌年の2015年は飛躍の年となる。Jプロツアー白浜チームTTで準優勝、クリテリウムは5位で飛び込みピュアホワイトジャージを獲得。この年は試合巧者の鈴木龍、吉岡直哉の下でゴール前の連携、逃げ、登坂力を磨きながらも、フルシーズンU 23のジャージを守ったことが評価され、翌年は海外遠征を主体とするエキップアサダと契約する。
「順調にステップを踏んでいるようで、じつはまったく余裕はなく、とにかく全力で走りました」
海外レースを重ねた2017年、トレーニーとしてシーズン中盤で加入したブリヂストン・アンカー。
「8月のツール・ド・グアルドループで、前年度覇者でチームメイトのダミアン・モニエと強力な逃げに乗りました。マークがキツいダミアンが率先して僕をアシストしてくれて、最終局面で2人で飛び出し準優勝しました。このときプロの仕事は成果につながるというスゴさを知ると同時に、模索していた自分の走りの方向性がはっきり見えました」
それからわずかひと月後、ナショナルチームで遠征したブエルタ・バレンシア第1ステージで、運命の勝利をあげることとなる。
「まさに“レースは何があるかわからない”というのを知った試合。レースは初日、大きな逃げに乗った雨澤さんのグループが、終盤に乱れて振り出しに戻ったタイミングで、岡篤志と飛び出し14人の勝ち逃げになりました。スプリントのある岡が勝てる可能性を残して、思い切って1人で飛び出して渾身の力で踏み続けたら、勝ってしまったんです」
初日でリーダージャージを着た彼の姿は世界中へ発信され、あの日石垣島で描いた夢は現実のものとなった。「無茶でも無謀でもムダではない」。みずから飛び出してつかんだ勝利に、自分の人生を確信した。
その実力は評価され、現在はキナンサイクリングチーム屈指のパンチャーに。とりわけ短いシーズンとなった今年、ターゲットを自転車の原点であるツール・ド・おきなわと決めた。
最後の瞬間まで新城雄大のアタックから目が離せない。
REPORTER
管洋介
海外レースで戦績を積み、現在はJエリートツアーチーム、アヴェントゥーラサイクリングを主宰する、プロライダー&フォトグラファー。本誌インプレライダーとしても活躍
AVENTURA Cycling
La PROTAGONISTAの記事はコチラから。
SHARE