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研ぎすまされた若き勝負師 小石祐馬【La PROTAGONISTA】

20歳でプロデビューを果たしUCIヨーロッパツアーのサーキットを経験、
現在チーム右京のキャプテンとして活躍する小石祐馬。
アメリカでスタートしたその競技人生にプロタゴニスタはフォーカスした。

■■■ PERSONAL DATA ■■■
生年月日/1993年9月15日 身長・体重/175cm・62kg
血液型/AB型

チーム右京 小石祐馬

【HISTORY】
2008-2010 サン・ホセ サイクリングクラブ
2011    チーム・マッサ フォーカス
2012-2013 チームユーラシア IRC タイヤ
2013    コルバ(8月〜トレーニー)
2014    ヴィーニ ファンティーニ・ニッポ
2015    CCT チャンピオンシステム
2016-2017 NIPPO・ヴィーニファンティーニ
2018-現在 チーム右京

2020年、コロナの影響で開幕戦が遅れたJプロツアー。長い準備期間を経てスタートしたレースには、例年海外を転戦するチームもこぞって参戦し、非常にハイスピードな展開が続いた。

攻撃の火蓋を切ったのは有能なパンチャーをそろえるキナン。年始に海外でシーズンインを迎えていた彼らの動きは群を抜いており、レースに揺さぶりをかける。しかし、フランシスコ・マンセボが率いるマトリックスのトレインは鉄壁の統率力でレースの主導権をひっくり返しにいく……。

メイン集団がみるみる小さくなる展開で、リードを奪える選手は上位チームの一握りにすぎない。そのなかでチーム右京、小石祐馬の走りは強さを放っていた。

すべての選手が苦しい局面において、ヒジを絞り鋭いダンシングで攻撃を仕掛け、コースの起伏やコースラインを瞬時に判断し逃げ続ける能力は群を抜いている。所属する外国人選手たちの来日が不可能となった今シーズン。思い描いていたのとは違う戦略を強いられるなか、勝負にこだわるプロの走りでチームを牽引した。

全米選手権U176位の逸材が日本へ

転勤の多い父のもと、幼少期は台湾、小学生時代は滋賀県の祖母の家で暮らし、中学からはアメリカに生活環境を置いた。

「右も左もわからない年ごろに、文化も異なる環境への適応を強いられる人生。しだいに『なんとかなるさ!』と考えるようになりました」

小石の固定観念にとらわれない生き方はこのころから芽生えていた。13歳で移住したアメリカ西部のサンノゼは自転車競技の盛んな地域。やがて友人に影響を受けロードバイクを手に入れた。ある日、2つ上の先輩が自転車とは思えないスピードで目の前を駆け抜け、衝撃を受けた。

「このとき自転車にクラブやレースがあることを知り、15歳でサン・ホセ サイクリングクラブの門を叩いたのがきっかけでした」

クラブには小さな子からジュニアまで20人ほどの選手がそろい、クラブの大人たちが積極的に面倒を見てくれた。「毎週土日がレース。週の真ん中に町の一部を封鎖しての練習レースをしたり、トラック競技場に入ったり。いつの間にか生活は自転車競技が中心となっていました」

1年後に出場した全米選手権U17ロードレースでは、先行した2人を数人で追いかけて6位となるなど才能の片鱗を見せた。高校2年で帰国するとこの実績を認められ、ジュニアナショナルチームの合宿に参加する機会を得た。

「このとき初めて日本の高校スポーツ界に触れました。アメリカのジュニアは個人の目標に向けて自由に走る。一方日本はとにかくインターハイで日本一を目指す。選手や監督の考え方にギャップを覚えました……」

さらに編入した高校でも授業や生活がアメリカとは大きく異なることにショックを受け、競技どころではなくなってしまった。高体連での競技継続もあきらめたころ、知人から欧州でプロ選手のキャリアを持つ三船雅彦のクラブ「マッサ・フォーカス」を紹介されロードレースを再開した。

「これが初めてのJプロツアー参戦でした。日本のロードレースは勝負のほとんどが上りで決まるコースレイアウトで、練習でも峠のちぎり合いが中心。この感覚に慣れるのに苦労しました」

戸惑いながらも2011年6月の全日本選手権U 17タイムトライアルでは準優勝するなど、その走力が日本のトップレベルにあることを実証した。そして高校卒業を機に新天地に選んだのは、橋川健がプロデュースするチームユーラシア。ベルギーでの活動が始まった。

妥協を許さない橋川健との出会い

2012年、U 23の1年めはベルギーのケルメスという種目を中心に競技力を磨いた。大柄の選手たちが、ときに時速60km近いスピードで疾走するケルメスは、ポジション争いも肉弾戦で、日本人の若手選手には大きな壁となる。

「このレースで上位に生き残るには、風の流れを読みスピードが最高潮に達するまでにどれだけポジションを奪っておくかが重要なんです。毎週のレースで経験を積み、しだいに先頭集団で最終局面に残れるように。たとえ結果が出なくても得るものは多くありました」

しかし監督の橋川の目は妥協を許さない厳しいもの。「逃げに乗れ!それがたとえ困難であっても乗るんだ……」と叱咤され、勝負に対する執念深さ、結果への執着心を覚えた。そして日々の走りを自己分析し日誌に残していく習慣も身につけた。

「橋川さんから競技への向き合い方の指導を受けるうちに、ときおり走るフランスでのトップアマチュアの大会で、想像以上に走れている自分に驚きました」

ベルギーのプロチームコルバでプロデビュー

アンダー2年め、5月のGPオート・ド・フランスでは、セミプロレベルのメンバーのなかU 23で総合6位と健闘し、8月に研修生としてベルギーのプロチーム、コルバと契約を結んだ。19歳という年齢と将来を期待されてのプロデビュー。それから2017年までの5年間、多い年で60レースに参戦し4チームを渡り歩いた。

とくに2015年はアジア選手権U23ロードの独走優勝を皮切りに、日本ナショナルチームU23のエースとしてネイションズカップを転戦。4月に鎖骨を骨折するも全日本選手権U 23個人タイムトライアルのタイトルを奪取。9月のGPポッジャーナ(伊UCI1.2U)では9位と、実力はU23のトップレベルに近づいていた。

「レースと移動を繰り返す日々。国が違えば地形も人種も戦い方も違う。標高4000mでの雨のレースや時速100kmのダウンヒルも味わいました。プロコンチネンタルのNIPPOではハイレベルなレースでもまれ、グレガ・ボレや宮澤崇史さんなど偉大な選手たちとともに過ごすなかで、プロとはどうあるべきかも学びました」

しかし2017年10月、チームから契約の更新ができないという知らせを受け窮地に立たされる。すでにヨーロッパでは契約交渉のタイムリミット。とにかく選手を続けるということを優先し、国内を選ぶことに。数チームと交渉したなかからアジア、ヨーロッパ転戦のカレンダーを持っていたチーム右京と契約した。

「レースに追われたヨーロッパと違い、日本では自分自身を高める環境に投資することを重視しました。いいトレーニング環境に身を置き、専属のコーチやケアを付けて、『チーム小石』として身体を仕上げて結果を求めていきたい」

舞台が変わってもプロとして求められる成果に、妥協なき意欲とコンディションで挑む小石祐馬。真っ向から勝負する彼の走りにプロの神髄を見た!

高いレベルで安定したコンディションを保つ小石。チームの先頭に立ち牽引していく

REPORTER

管洋介

海外レースで戦績を積み、現在はJエリートツアーチーム、アヴェントゥーラサイクリングを主宰する、プロライダー&フォトグラファー。本誌インプレライダーとしても活躍
AVENTURA Cycling

 

La PROTAGONISTAの記事はコチラから。

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管洋介

Bicycle Club / 輪界屈指のナイスガイ

管洋介

アジア、アフリカ、スペインなど多くのレースを走ってきたベテランレーサー。アヴェントゥーラサイクリングの選手兼監督を務める傍ら、インプレやカメラマン、スクールコーチなどもこなす。

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