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歩けないほどの骨折から奇跡の復活!プロレーサー吉岡直哉ここにあり|JCL

キナンサイクリングチームの表彰台独占に幕を閉じたJCLトヨタ広島ロードレース。横並びに両手を上げてゴールを決めたキナンの新城雄大と山本元喜は力で圧倒したレースを象徴するシーンとしてファンの脳裏に刻まれた。

劇的なゴールから35秒後、単独でホームストレートに現れたチーム右京相模原の吉岡直哉。勝負に破れた一抹の悔しさを滲ませながらも、3時間の激闘のレースを終えてもなおその表情は覇気に包まれていた。

吉岡を襲った不運の事故、一時は脚を失う危機

(左)2019年8月26日、怪我して6日後で少し落ち着いてきた頃。 表情も少し笑顔になれるようになってきた。 しかし、少しでも体を動かすと脚に激痛が走る状態。(右)2019年10月4日、怪我してからはじめて地面に脚をついて立った日。 重心の取り方が分からず、手を手すりから離すと後ろに倒れていく状態。立ち方歩き方すら忘れてしまっていた。 数分歩いたあと、体力の低下と久々に立って血が脚に回りはじめたことで、物凄い吐き気に襲われ車椅子に座り込み動けなくなった

2019年8月20日、シーズン後半戦に向けトレーニングに打ち込んだ帰り道の一瞬の出来事。落石を見落として乗り上げ、不意にハンドルから手を外したことでコーナー先の崖下に落ちてしまった吉岡。股関節、両足の骨折の重傷を負った。不運は続き、10日後の検査で左足の開放骨折部位から細菌が入っていることが判明。「足の切断」も危惧される状況に「引退か……これからどうしていくものか……」と表情に影を落とした。しかし手術は成功、10月4日には初めて地面に足をつくことができた。「チームからは『心配するな、まずは怪我を治すことを考えて』とこんな状況の自分に僅かな希望を与えてくれました」

リハビリを経てようやくレースに復帰するも、完走がやっと

2020年3月1日、退院して自転車に乗りはじめて1ヶ月。 膝の可動域が悪くクリートをはめられないため、左足は普通の靴でトレーニングしていた。

2020年1月28日に退院、足を伸ばした状態で固定され続けた左脚は可動域を失い、膝もまともに曲がらない状況で片足だけビンディングシューズを履いてペダルを漕いだ。「選手として戻りたい……」チームに連絡しロードバイクを取りに行った。吉岡が復活に執念を燃やす日がここに始まった。片足だけスニーカーを履いてのトレー二ングは1カ月間続いた。4月、左足の可動域を広げる手術を受ける。そして跨ったエアロバイクで、今までと違うよい感覚を得た。「これはイケる!」復帰すること完走することを目標に8月の宇都宮2大会を目指した。

2020年8月8日Jプロツアー、宇都宮クリテリウムのスタートライン。左足には大きな手術痕、足の筋肉の左右差は明らかに見てわかるほどであったが、プロレーサー吉岡直哉が帰ってきたことに皆が祝福してくれた。しかしスタートすればプロのレース「皆が神に見える、こんなに速いペースでこれまで戦ってきたのかと……」と、レベルの差を感じたという。しかし、復帰2連戦を苦しみ喘ぎながらも最終パックでゴールし、その並々ならぬ精神力を発揮した。

「レースを走れることがわかった、来年は勝負する」たった4カ月前までまともに歩けなかった吉岡の完走に周囲が驚くなか、心は次のステージに向かっていた。

吉岡直哉のこれまでを綴った記事はこちら↓

勝ちにこだわりペダルを踏み続けた日本のエース 吉岡直哉【EL PROTAGONISTA】

勝ちにこだわりペダルを踏み続けた日本のエース 吉岡直哉【EL PROTAGONISTA】

2019年06月05日

再起誓った2021年

2021年、オフシーズンに徹底してトレーニングを見直した。そして、かつての出力数値に相当する力を出せていることを感じていた。

3月のJCL開幕2連戦では前半にアタック、後半も追走するライダーを抑える働きができるようになり手応えを掴んだ。そして7月10日、広島森林公園で行われたJCL広島トヨタ広島ロードレース、吉岡は序盤から動いた本命のエスケープに飛びつくことに成功した。

それでも「まだ勝負できる脚かわからない」と、刻々と時間が経つごとに削れていく体力の中でチームメイトの石原悠希、宇賀隆貴と連携を取りながらレースの展開を読む走りに徹した。レースは中盤、7周めの同一周回に設定された山岳賞と続くスプリント賞の争いを機に大きく動いた。

「危険な周だとわかっていました。案の定スプリントラインを越えた直後に集団は分断され、渾身の力で前方に残るとチームメイトが残っていないことを察しました」

レースは残り3周、キナンサイクリングチーム4名、那須ブラーゼンの谷順正、そして吉岡の6名が勝負に残った。

「キナンの司令塔の畑中の存在が恐かった。パンチャー揃いのキナンが交互にアタックを開始してもなお、まだ自分の脚を信じられない自分がいました」畑中のアタックを皮切りに山本元喜、大喜という兄弟の攻撃が谷と吉岡を苦しめる。この展開に痺れを切らした谷が急坂区間でアタックに転じると吉岡は一度遅れをとってしまう。しかしここで目が醒めた「ここで遅れてはチームに帰れない!」吉岡の脚に血がみなぎった、再び先頭に追いつくとレースはクライマックスに……。

最終周へ山本元喜が満を辞してアタック、谷が遅れたのを機に新城が上りでスパートしチームメイトの山本に追いつく。ゴールまで残り4km、新城、山本の逃げ切りが決定的となったが、20秒後方では吉岡がキナン2人を振り切ろうと加速し必死の抵抗を試みる。しかし、畑中と山本大喜を振り切ることはできず、切り返された2人の攻撃に吉岡は砕け散った。

ゴールに5位でたどり着いた吉岡、レースを最後まで戦った勇姿への拍手は温かかった。

「怪我してなお自分は強い人間と思えた瞬間でした……」トップレーサー吉岡直哉の完全復活はレースのドラマの中に生まれた。

「自転車は僕の人生の全て、自転車で人生を壊しかけてまた自転車で人生を作り直している。こんなに好きなものはないんです!」激闘のレースを終えて2日後、再びペダルを踏みロードワークに出かけた。このあと続くJCLシリーズを走りながら、ターゲットは同じ広島のコースで行われる10月の全日本選手権ロード。次のレースも目が離せない!

PERSONAL DATA

生年月日/1991 年12月23日生まれ 身長・体重/167cm 57kg
趣味 愛犬と散歩

チーム右京相模原 吉岡直哉

HISTRY

2008〜2010 私立大谷高等学校自転車競技部
2010〜2013 京都産業大学自転車競技部
2014     チームユーラシア
2015〜2017 那須ブラーゼン
2018〜現在  チーム右京相模原

EL PROTAGONISTAの記事はコチラから。

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PROFILE

管洋介

Bicycle Club / 輪界屈指のナイスガイ

管洋介

アジア、アフリカ、スペインなど多くのレースを走ってきたベテランレーサー。アヴェントゥーラサイクリングの選手兼監督を務める傍ら、インプレやカメラマン、スクールコーチなどもこなす。

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