SNSで悪意を向けてくる相手にどう向き合うか? 元プロ自転車選手に聞いてみた
中田尚志
- 2022年06月19日
「どうしてこんなこと言われないといけないの?」いわれもない中傷。会ったこともない相手からの攻撃。SNS時代ならではの悩み。2013年に41歳でブエルタ・ア・エスパーニャで総合優勝したアメリカ人元プロ自転車選手のクリス・ホーナーはそんな悩みを乗り越えてきたアスリートの一人だ。ここではピークス・コーチング・グループの中田尚志さんがクリス・ホーナーに話を聞いた。
ブエルタ覇者のプロ選手クリス・ホーナーはこう話す
「何もしてはいけない。反論も反応もしてはいけない。そして僕はバイクに乗る」
2014年8月、ブエルタ・ア・エスパーニャのスタート地点で流れた「前年度チャンピオン、クリス・ホーナーのコルチゾール値が異常。出走不許可」というニュースにマスコミは色めき立ち、ホーナーは敵意と好奇の目にさらされた。
「やっぱりアイツはドーピングをやっていた」
史上最高齢の41才でグランツール総合優勝。ランス・アームストロングのかつてのチームメート。ランスのドーピングを管理していたヨハン・ブルイネールの指揮の元走っていた過去。以前に所属していたソニア・デュバルはチームメートのピエポリ、リッコなどがEPOで永久追放。
チームメートのドーピング陽性と彼が上りに強いこと(クライマーにとって赤血球増加ホルモンは特に効く)、そして年齢が原因で何度も嫌疑をかけられてきた。今度こそ逃すまいとプレスは彼を追いかけ、インターネットは荒れに荒れた。
「インターネット上は僕に対する批判が吹き荒れ攻撃の対象になった。“コルチゾールこそがあいつの強さの秘密だ!”と。こういったとき、反論や反応をしてはいけない。餌食になるだけだからだ。真実を知らない彼らは何を言おうと徹底的に叩いて来る。僕は後日全ての血液検査のデータを公表した。この結果は誰でも見ることができる」
ホーナーは2014年の4月。イタリアのトンネルでクルマにひかれた。片方の肺はパンクし複数の骨折。それ以来咳が止まらなくなった。そのため、医師に治療薬を処方してもらっていたのだ。
「実際このクラッシュが僕のキャリアを終わらせた。ただ、僕がいつも咳をしていたことはその年のツールに来たメディアなら知っている。
咳の治療薬がコルチゾール値に影響を与えていた。もちろんTUE(薬の使用及び治療使用特例)を申請している。でもネットでは格好の攻撃対象になった。“アイツはズルをしている!”ってね」
フランセージュ・デジュ時代、ホーナーはチームメートとの何を摂って何を摂ってはいけないかの議論に疲れていた。それが欧州から一旦引き上げた理由のひとつだという。
「ドーピング検出の技術があがるほど僕の成績は上向いた。プロトンがクリーンであればあるほどに勝てるようになった。それこそ僕がクリーンである証明だ」
ホーナーはキャリアを通して潔白を主張してきた。
ブエルタのスタート直前に出場できなくなった
2014年のブエルタのスタートの前日、僕はブエルタのスタート地点から6時間のライドに出た。
「この年、勝てないのは分かっていた。でもせめてディフェンディング・チャンピオンとしてゼッケンNO.1をつけてレースに出たかった。それはもう叶わない。
一番腹立たしかったのは全てを知っているチームが僕を守ってくれなかったことだ。彼らは翌年、僕と契約しないから守る必要がなかったのだろう。
でも美しい国立公園を走っている間に頭は整理された。
“もう良いじゃないか。誰が何と言おうと僕はブエルタのディフェンディング・チャンピオンだ。そして今日も大好きなバイクに乗れる。人生は素晴らしい”
僕は頭を整理したいとき、いつもバイクに乗った。大騒ぎのチームバスに戻るとプレスは僕を追い回してきた。でももう大丈夫。
“OK! 6時間も待ったなら、あと10分待てるだろう。シャワーを浴びさせてくれ”
10分後、僕はプレスと向き合った」
インタビュー後記
クリス・ホーナーのインタビューを通して私が感じたのは、厳しく激しいワールド・ツアーの世界にあって自身を保つことの重要性。彼はいつも朗らかで相手に合わせる柔軟性がある一方で、頑固で譲らない一面があるのだ。国際的な仕事をするにあたって言葉の問題はつねにつきまとう。
そのような中でSNS上での攻撃をいなす方法を身に着けたのではと感じた。
中田尚志 ピークス・コーチンググループ・ジャパン
ピークス・コーチング・グループ・ジャパン代表。パワートレーニングを主とした自転車競技専門のコーチ。2014年に渡米しハンター・アレンの元でパワートレーニングを学ぶ。
https://peakscoachinggroup.jp/
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