峠の肖像 #3 笹子峠&上日川峠(山梨)
小俣 雄風太
- 2022年11月30日
息を呑む絶景こそないが、季節の度に走りたくなる、そんな峠がある。古来、甲州街道の難所として知られた笹子峠もそのひとつ。紅葉と冬景色に挟まれた晩秋、色彩の消えゆく峠道に、かつての往来を想像しつつペダルを踏んだ。
峠とはふたつの世界の境界
この連載で度々口にしているように、峠とはふたつの世界の境界である。山梨県の中東部に位置する笹子峠もまた、「郡内」(ぐんない)と「国中」(くになか)のふたつの文化圏を山頂で隔ててきた。
山梨県民でなければなじみのないこの地域名だが、おおまかに山梨東部の大月・上野原・都留が郡内と呼ばれ関東地方の風土色が強い。道志みちで首都圏のサイクリストにおなじみの道志村も郡内に属する。一方の国中は、甲府盆地を中心とする南アルプスや八ヶ岳に囲まれた山梨県の西側を指す。笹子峠の東西でこの郡内と国中が分かれている。
ライダーの息遣いだけが響く笹子峠
東京と長野の下諏訪を結ぶ甲州街道、その最大の難所がこの標高1000mばかりの笹子峠であったことを、いま想像することは難しい。スムーズな路面と、常時5-6%ほどの勾配、そして美しい木漏れ日とが相まって、ロードバイクに乗っていればなんら難しくは感じない。むしろ快適そのものの峠である。
甲州街道は今日、国道20号となり、大型トラックが行き交う忙しない道となったが、それはひとえに、この笹子峠を通らなくなったことによる。峠の下に掘削された笹子トンネルが大型車の通行を容易にしたことで、この峠道は国道から県道へ、歴史の表舞台から舞台袖へと退いた。だからこそ、いま笹子峠はライダーの息遣いだけが響く静寂の中にある。
街道の峠は歴史の道である。東側から笹子峠を登り始めるとそこに、黒野田の集落がある。かつて難所の笹子峠越えを前に旅人が一泊した宿場町も、いまは山間にひっそりと家々が佇むばかりでかつての往来をしのばせるものはない。江戸時代には、ここに淡路の人形浄瑠璃が伝えられたという。難所の峠を越える前夜、旅人の心を癒やす娯楽として栄えたらしい。
そんな難所である笹子峠も、先に述べたとおり現代のロードバイクに乗れば極めて穏やかで心地よい登坂である。眺望はなくとも、外界から隔たった森の中で平穏に標高を重ねていく喜びを味わおう。たどり着いた山頂のトンネルの先は、別の世界に通じている。ここを抜けると国中となる。
かつての旅人を見守ってきた上日川峠
あまりに心地よい登坂だったから、まだ登り足りないサイクリストも多いだろう。そんな向きには、もうひとつ登れる峠が近くにある。国道20号線を挟んで北へ進路をとると、すぐに上日川峠が始まる。
「かみひかわ」、とも「かみにっかわ」とも呼ばれるこの峠の山頂は、標高1585m。登坂距離は20km近い。概して勾配はきつくないので、淡々と登ることになるが、高い標高帯の常というべきか、登りながら変化していく風景が心地よい。
ここはサイクリストよりはハイカーに知られた峠である。というのも、ここを起点に多くの登山客が大菩薩峠を目指すからだ。大菩薩峠は、その名称そのものに一度聞いたら忘れられないインパクトがあるが、大正時代に発表された中里介山の大衆小説「大菩薩峠」が広く我が国にその名を知らしめている。
この作品の冒頭に、大菩薩峠は甲州裏街道第一の難所と記されている。先に見た笹子峠を難所とする甲州街道と新宿の地点で分岐する甲州「裏」街道とは、現在の青梅街道のことである。東京と山梨とをつなぐ2つの街道の難所を、サイクリストは一度のライドで越えることになる。
終始山中を走り抜ける笹子峠とは異なり、上日川峠は川と渓谷を経て標高を上げていく。登り始めにはいくつかの集落を通り過ぎ、人の暮らしの温度感を覚える。北上していく峠道は日当たりもよく、その両側で日照時間や天候、植生を異にする峠はやはり風土の境界線であることを実感する。
峠のこちら側とあちら側は、横方向の距離の違いであるが、縦方向のそれ、すなわち標高での違いも1500mを越える峠では体感できる。山頂が近づくにつれ、麓よりも進んだ季節が道を包み込んでいる。その枯れ木の合間には、もう冬が見えている。古来からこの峠を越えし旅人も感嘆したであろう雪化粧の富士山が近い。
距離こそ長いが、こちらも勾配は険しすぎず、峠に至る前には下り坂にもなるため、サドルの上から周囲の景色に目が届くというものだ。
上日川峠はその至近にある大菩薩峠と比べれば知られた峠ではないが、ここもまた古くからの生活道だったと、峠にある「ロッヂ長兵衛」の主は言う。その原型は江戸時代にさかのぼるというから、すでに数百年にわたり上日川峠・大菩薩峠を通る旅人を見守ってきたことになる。現在ではそれはハイカーになり、サイクリストになっているということか。
なお、現在の青梅街道はこの大菩薩峠を迂回して柳沢峠を通行するルートになっているが、気概あるサイクリストならば奥多摩からこの柳沢峠を抜け、北側から上日川峠に至るルートもとれる。北側の急勾配に、往年の難所の面影を探すのもまた、一興だ。
峠を走るということは、その歴史の一部になるということでもある。
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笹子峠&上日川峠を走ったギア
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ガリビエ ベントブロック ジャケット
▼「冬を走る者だけが味わえる特権|reric」
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▼「未知なる道を走るための安心感という性能 AGILEST DURO|Panaracer」
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