車輪の先に見えたアイデンティティー 小林 海|El PROTAGONISTA
管洋介
- 2022年12月26日
17歳ではじめた自転車競技ですぐに頭角を現し、2年後にはスペインのアマチュアチームで武者修行。
2016年にはTT/ロードのU23日本チャンプのダブルタイトルを奪取し、その年にNIPPOでプロデビューを果たした小林 海(マリーノ)。4年半のヨーロッパサーキットの活動ではUCI 1.HCクラスのレースでUCIポイントを獲得するなど快進撃を続けた彼が、2021年マトリックスに入団し日本のサーキットに戻ってきた。
今、彼は何を見つめているのか? プロタゴニスタはフォーカスした。
僕はもう一度ヨーロッパに行こうと思っている
ヨーロッパで戦うために自分の実力を伸ばす時間
「一度日本に戻ってきたから、まわりは難しいと思うかもしれないですけど、今この状態は僕なりの戦略撤退。長く向こうで活動していたので、この世界にいるには何が大事か、どれだけ準備しないといけないか、年齢と強さの比率も十分に熟知しています。
ヨーロッパのプロチームにいると自分の能力を高めるのに集中できる時間が少なく、チームからのスケジュールをこなすのが目的になりがちだった自分を脱したかったんです。
それは毎年シーズン初め『今年はこう頑張ろう』と思っても、次第に翌年のチームとの契約更新を気にしてか、チームのオーダーに受け身になっているだけの時期がいつもありました。
レースを走れているのはヨーロッパの環境に慣れているだけで自分が果たして強くなっているのか。同じチームメイトでも勝負できる人間はフィジカル的にもっと高いステージでシーズンを迎えている。毎年の契約の不安で向上心が停滞してしまう状況から一度抜け出して、自分の実力だけを伸ばす時間を作りたいと思うようになったことが日本に戻ってきた大きな理由です」
プロにもまれた新人時代、絶望から成長を経験
現状に満足しない、本来自分が望んでいるポジションはここではない。グランツールを走るチャンスもあるプロコンチネンタルチームに所属し、ハイレベルなヨーロッパプロのプロトンにもまれながら悟った自分の闘争心との葛藤がマリーノの活動を国内に向けさせた。
「こう思えるのもエリート1年目にヨーロッパプロになれたから。短いピークでしたが、ハイコンディションの時に、グランツールで活躍する選手たちの隣で戦えた自信があるんです。彼らはもっと長い期間このポテンシャルを維持しているんだから、経験を重ねて実力を伸ばせば通用するんじゃないかと感じていました。振り返れば自転車競技を始めて2年目、アンダー1年目からスペインに渡り、自分の力のなさに絶望。ただ、各国のチャンプたちがひしめくプロツアーの選手たちの土俵に、たった5年で到達した成長のスピードを考えれば、駆け出しは遅いとはいえ、スペインのアマチュアからプロに行けたことが自分にはよかったと思っています」
17歳からの自転車競技人生、同世代のトップ選手に比べてスタートが遅かったが、ヨーロッパプロになるステップアップを誰よりも一番冷静に捉えていたのは本人だった。
アンダー23の最終年となる2016年にはスペインのワンデイレースで優勝。伊豆大島で行われた全日本選手権U 23ロードレースで徳田 優、野本 空を下しナショナルチャンプとなり、スペインで活動しながら日本一の実力を証明。プロコンチネンタルチームのNIPPOでプロデビューを果たしている。
「NIPPOで迎えたプロ1年目、チームからは成績がそんなによくないと言われていましたが、僕は今でもネオプロの選手としての自分の内容は悪くないと思っているんです。むしろ自分の歩みからすれば2段階ぐらい先のレベルを、もっと近いものと焦って短期間に頑張りすぎたかなと……。
当時の僕は調子がいいときの攻撃力に対し防御力が弱かっただけ。若い選手にありがちですが、絶頂時の力が高いときほどそのピークを過ぎるとひどく苦しむんです。ここで焦って持ち直そうとすると悪い循環になる。トップ選手を見ているとピークを維持する期間の長さもそうですが、あえて自分を抑えてコンディションを守る強さ、精神性に学ぶものがあるなと気づいたんです。レベルの高いレースにもまれながらも、自分を客観視し最大の目標から逆算してどういう結果を今出していくか、自分の成長を段階的に見る必要があると……」
同じ1年を繰り返さないというスタンスで、常に自分を俯瞰し、まわりの状況に流されない強い意志と行動力を得ることができた。そのフィロソフィーは彼が競技を始めた頃の「夢」に垣間見られる。
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