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光をつかんだ不屈の精神 西尾憲人|El PROTAGONISTA

兄とともに続けてきた自転車レース。しかし競技心をつかめずに、辞めるきっかけすら探していた少年時代。だがさまざまな出来事をきっかけに、彼の競技人生は大きく変わっていく。葛藤や挫折をくぐり抜け、今、プロレースの最前線で勝負を賭ける西尾憲人をプロタゴニスタはフォーカスした。

川口監督の助言「上位2割に入りなさい」

一歩及ばなかった8月の大分大会

2022年8月6日、JCLプロロードレースツアー大分大会、レースは起伏に富んだサーキットを26周回する121㎞。

レースは序盤から飛び出した4人のリードを主力選手が一気に追走をかけたことでプロトンは分断、再編成された先行メンバーは西尾憲人を含む7人に絞られた。数的不利な苦しい展開が続いたが、転機は突然やってくる。後方から那須ブラーゼンのエース谷を含む3人が猛烈なブリッジをかけたのだ。

「レースは残り3周、合流した谷選手が疲労していることを察し、僕が単独で逃げて谷選手の回復を待つ!」

残り10㎞、意を決した西尾のスパートは見事に決まった。しかし、この機を逃さなかったのがリーダージャージを着る増田。一気にリードを奪い力走する2人はそのままレースのクライマックスへ。「読みは間違っていなかった! でも苦しい……」。日本のトップを張ってきた増田の渾身の力を前に西尾は砕け散った。

少年時代、揺らぎ続けた自転車への思い

自転車を手にしたのは小学4年生の頃、スキーのオフトレでマウンテンバイクに乗り始め、兄弟で北海道内の草レースを楽しんでいた。そこで出会ったのが小橋勇利、後に日本代表で活躍する彼がマウンテンバイクのトップユース選手として道内のレースを席巻中だった。

小学1年生の頃から兄・勇人とスキーを始めた。水泳の検定試験と同じように「SAJスキー・スノーボード検定」での進級を目指し続けていた
小学4年生の頃、スキーのオフトレとして始めたのがマウンテンバイク。兄と切磋琢磨し、基礎となる体力をつけた

「小橋選手の活躍を目の当たりにして、自分の競技心とのギャップを感じていました」。小6で乗り出したロードはさらに競技の要素が強かったことで気持ちが離れていった。
「レースで他人と争ってまで勝ちたいという感情を持てませんでした」。辞める言い訳を探しながら続けていた西尾に対し、兄の勇人は高校2年で都道府県対抗ロードレースで上位に食い込み、順天堂大学自転車競技部へ推薦入学する道を歩んでいく。

「自転車競技で進路を決めた兄を見て、僕にもできるかなと……」。しかし現実は甘くなく、順天堂大学の受験に失敗、一年の浪人生活を送る。「なんとなく歩んでこられた人生に歯止めをかけた出来事でした」

改めて順天堂大を受けたいという意思もなく、働くわけでもない。自転車を辞めても何もすることがないと、北海道選抜でツール・ド・北海道を目指すも落選。いつしかすべてがうまくいかなくなっていた。この状況を危惧した両親は兄の友人の紹介を経て、明星大学自転車競技部への道筋を作ってくれた。青春時代の貴重な一年間を浪人生活に費やしたことで「もう人生を無駄にしたくない、リスタートするのは今しかない」と一念発起。同大学で自転車競技に打ち込むと決意をした。

川口監督との出会いとプロへの軌跡

19歳で上京し、大学での競技生活を送りだした西尾。これまでほとんど何も考えずに練習してきたため、学連のレベルに順応するのには時間がかかった。

「明星はインカレトップを争う強豪校ではなく、チーム全体でいい成績を出せていませんでした。そんななか、優勝を目標に掲げられない自分たちに助言をしてくれたのが川口直己監督でした。そのアドバイスとは『上位2割に入りなさい』というシンプルな言葉。自転車を引退して社会に出たときでも、上位2割に入る業績を残せる人が富の循環に恵まれている」と。

自身の会社を運営するかたわら、すべてのレースに帯同してくれる川口監督。西尾はいつしか「監督をいつかインカレの表彰台の頂上に乗せたい」と決意し、自らの競技心に火をつけた。どんな試合でも最低でも上位2割に食い込むことを目標に、ハードなトレーニングに打ち込んだ。やがて2015年8月、RCS第6戦白馬ラウンドのクラス3で初優勝。これが「逃げて勝利を目指す」という現在のスタイルの原点となった。

明星大学1年時のRCS第6戦白馬ラウンドC3で、学連初優勝を果たした西尾
その優勝までの過程には、明星大学で人生を変えてくれた川口直己監督との出会いがあった。彼の期待に応えるためにトレーニングに打ち込んできた

そして、西尾にプロレーサーへの願望が芽生えたのは大学3年時に北海道選抜で出場したツール・ド・北海道だった。「プロ選手のオーラやレースの雰囲気、プロトンの密集度、風を切って突き進んでいくスピードまで、すべてが衝撃的でした」。第2ステージ、西尾はプロ選手のスプリントに混ざり16位でゴール。そのリザルトを実感しつつ、プロレーサーになることへの決意を固めた。

勢いに乗った西尾は愛媛国体のスクラッチで9位、大学4年の8月にポルトガルで行われた世界大学選手権を完走。9月のツール・ド・北海道を前に、那須ブラーゼンの岩井航太監督に入団を打診する。体調を万全に北海道へ乗り込んだが、北海道胆振東部地震により大会自体が中止。だがシーズン終盤まで好調をキープしたことで、那須ブラーゼンへの加入が決まった。

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PROFILE

管洋介

Bicycle Club / 輪界屈指のナイスガイ

管洋介

アジア、アフリカ、スペインなど多くのレースを走ってきたベテランレーサー。アヴェントゥーラサイクリングの選手兼監督を務める傍ら、インプレやカメラマン、スクールコーチなどもこなす。

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