
ベベルからMotoGPマシンまで「受け継がれる最速のDNA」【トレリスフレーム編③】

藤田佳照
- 2019年07月05日
INDEX
デスモ、トレリス、L型エンジンなど、その時代ごとにドゥカティの最速エンジンは最新技術と独創性を積み重ね「最速のDNA」を今日まで築きあげてきた。その70年以上にも及ぶ歴史をここでは特別にお届けしたい。前回からドゥカティの最大の特徴のひとつといえる「トレリスフレーム」をお伝えしている。今回はその代表的なモデルをラインナップしていこう。
イタリア選手権用に設計し、市販化されたのが750FIパンタ
ドゥカティ最初のトレリスフレームを設計したのも天才ファビオ・タリオーニ技師。元々はイタリア選手権用に設計し、TT-F2ワークスレーサーとなった。そしてレースでの大活躍から多くのファンが市販スーパースポーツを望み、それに応えるべく(さらにTT-F1クラス参戦も見据えて)登場したのが750F1パンタだ。175kgの重量と1400mmのショートホイールべースは、当時の大排気量スポーツバイクの常識を覆し、大人気を博した。

TT-F2の600レーサーに使われたクロモリ鋼管製の超軽量なフレーム。これも基本的な設計はファビオ・タリオーニ技師により、ベルリッキなど専門メーカーが繊細で丁寧な溶接で製作される。
1985 750F1 PANTAH

1981 600TT2

トレリス以前はバックボーンダイヤモンドフレームが主流
単気筒モデルやL型のベベル、そして目立たない存在だった並列2気筒もパンタ以前の市販モデルは、アンダーループを持たないダイヤモンドフレームが主流だった。しかしレーサーにおいては単気筒時代は標準的なダブルクレードルも試しているし、L型ベベルのレーサーではバックボーンとトレリスの“良いとこ取り”をしたようなスペシャルフレーム(フレームビルダーによる社外品。有名なシーリーやエグリ、ハリスなども手がけた)もあった。

1979 900MHR
78年のマン島TTでマイク・ヘイルウッドが劇的な勝利を収めたのを記念し、900SSをベースにフルカウル化したマイク・ヘイルウッド・レプリカが登場。排気量を拡大して、85年まで生産された
1955 グランスポルト100“マリアンナ”

1975 500GTL

異端児!? ドゥカティ唯一ダブルクレードルフレーム
ドゥカティで唯一ダブルクレードルフレームを採用したのが、1987年に登場したPASO(パゾ)だ。83年にカジバグループ傘下となったドゥカティが迎えた、ビモータ創始者のひとりであるマッシモ・タンブリーニが開発。クロモリの角断面パイプのダブルクレードルは、バックボーンではなくサイドビーム方式で、スイングアームのピボットプレートを持ち、アンダーループ部は着脱式だった。

MotoGPマシンではより小さく進化!
03年から参戦を続けるMotoGP。そのワークスマシン「デスモセディチD16」は、03年型のGP3から08年のGP8まで、近年のGPマシンでは異色のパイプフレームを採用。下の写真はフルレプリカのデスモセディチRR(GP3~GP6がベース)だが、フレームは非常にコンパクトで、まさに“トラス構造”。そしてGP7~GP8ではさらに小型化。その後はカーボンモノコックを経てGP11からはアルミフレームになるが、それらのノウハウはスーパーレッジェーラやパニガーレV4シリーズにフィードバックされている。



ピボットレスのフレームでスイングアーム長を稼ぐ!
バイクはホイールベースに対してスイングアームの長さの比率が大きいほど、サスペンションがストロークした際の車体姿勢の変化が少なく安定したハンドリングを得られる。ところがL型エンジンは前後に長いため、スイングアームを長くし難い。そこでスイングアームピボットをフレームではなくクランクケースに設けたのだ。とはいえピボット位置は操縦性に大きく影響するし、かといってケースのピボットは後から簡単に位置を変更できない。そんな“スイートスポット”を50年近く昔に見つけていたドゥカティは凄い!


■この記事はDUCATI Magazine 5月号82号の記事をWEB用のまとめた内容となります。
- BRAND :
- DUCATI Magazine
SHARE