【DUCATI名車図鑑】750F1 PANTA 憧れの、そして苦悩のF1

レーシングマシンそのままのフォルムでひと目でそれとわかるイタリアンカラー、さらに外車としては破格だった175万円、この価格に耐えきれず多くのファンが虜となったのが、いまでも人気のパンタ750F1だ。今回は、そんな名車をかつての時代背景と合わせて紹介しよう。まさに時代の先をいきすぎ、そして時代が追い付いてきたというにふさわしい一台で、ドゥカティの経営危機を救った同社を語るを上で外すことのできない機種ともいわれている。

多くを惑わせた超スピリチュアルマシン

ドゥカティには経営の危機を救ったバイクが何機種かある。パンタ750F1もその1台。我が国でもやや身近になった価格もあって、このF1で初の外車を手に入れたドゥカティストが数多く生まれた。しかし国産車には例がなかった本格的なクリップハンドルと強い前傾ポジション、それに小径16インチの前輪という斬新な足まわりに手を焼いたライダーが多かったのも事実。伝説のスパルタンさに直面し、苦悩の日々を送らなければならなかった当時の背景など、懐かしいストーリーを思い出して見よう。

ドカの窮地を救うのはいつもレーシーなモデル

’80年代前半から後半にかけて、我が国でも大ヒットとなった750F1系は、’70年代後半からのパンタ500~600SLに端を発したバイクだ。ドゥカティでは、初のビッグバイクヘのチャレンジだったベベルギヤ駆動の900SSやMHRのスーパースポーツ系で何とか成功を収めたものの、当初の狙いだったマニアックではないアップライトポジションのスポーツバイクを、世界最大のビッグバイク市場であるアメリカで大きく成功させる夢を捨てきれずにいた。
そのためベベル系で成功できなかったアップライトなスポーツバイクヘのチャレンジを、当時アメリカで日本車が大量販売していたミドルクラスに新エンジンを開発、再度その挑戦を試みたのだった。
その工ンジンは、ドゥカティ独自の強制開閉バルブ機構デスモの生みの親であるタリオーニをチーフとした、現在も同社エンジニアリングの責任者で水冷系の開発チーフだったボルディなどが手がけたもので、空冷LツインはSOHCをベベルギヤ駆動から四輪エンジンでは一般的なコクドベルト駆動としているのが特徴だった。驚くべきことにこのLツィンは後に進化を重ね、現在の空冷系や水冷系のすべてに共通のベースとして使われ続けているのだ。
斬新なデザインのハーフカウルでパンタというネーミングを与えられた新エンジンの500SLは、ベベル系のときと同じくドゥカテイの思惑通りに成功しなかった。続く排気量をアップした600SLもいまひとつで、ベベル系MHR以来ヒットのないドカは瞬く間に窮地に追い込まれてしまった。
しかし一方でドカは新エンジンのパフォーマンスの認知を狙い、当時600クラスのレースカテゴリーの呼び方だったF2のレースにチャレンジ、ホモロゲーションが必要なことから市販レーサーとして少数のパンタレーシグを生産、マン島などで優勝しF2の世界タイトルを獲得したのである。

F2レ一スのホモロゲーション用に少数生産されたパンタレーシング。4ストエンジンのパイクとは思えない軽やかさで、見事なコーナリングをみせた。750F1はこれをベースに開発されたレプリ力。これが世界のマニアックな熱きドゥカテイスト達の注目を浴びないわけがない。ドカはこれに応え、そのレプリ力をさらに排気量をアップしたこの750F1を発表したのだ。これはまさしく初のビッグバイクヘのチャレンジだったベベル系750のときと同じ流れといえる。ホンダCB750フォアやカワサキZ1の突然のデビューで出鼻をくじかれ、ベベルツインが失速しかかったそのとき、’72年にイモラサーキットで優勝したレーサーのレプリ力だった750SSが、ドゥカティをマニアックな熱きライダー達に支持されるブランドヘと押し上げたからだ。750F1パンタも、ドカを再びマニアックな熱きライダーご用達のブランドとして、広く世界へ認知させたのだった。ドカはその後も性懲りなく、パゾなどでメジャー感のある路線を狙ったがどれも成功せず、レーシーなモデル以外でのヒットは、近年ようやくモンスターで実現したというわけだ。

750 F1 PANTAH
いまやビッグバイクでもレプリカと呼ばれるパイクがメジャーなカテゴリーに位置づけられているが、当時は250や400に限定されていた。大型パイクでここまで前傾のきついボジションで乗ろうというペテランライダーなど、一部を除いているはずもないと思われていたからだ。しかし750F1の登場で、それはカフェレーサーなどのカスタムパイク愛好者だけでなく、多くのライダーが憧れるものという認識に改められた。フルカウルにロングタンク、そしてシートカウル・・・ポジションとも辛くカッコよさにいつの時代もライダーは弱い

経営危機を救った750F1

それはともかく、750F1パンタはデビュー後にデイトナでイタリアの世界GPチャンプ、ルッキネリが乗って活躍するなどの後押しも功を奏し、経営のピンチを脱したのだった。
この750F1パンタがいかに特別なバイクだったかといえば、たとえば当時まだ量産車ではFフォークのトッププリッジより下にハンドルがマウントされた、いわゆるクリップオンハンドルのバイクが市販されることはほとんどなかったのだ。前例でいえば、まさに同じドカのベベル750ー900SSやMHRぐらいで、もうこれだけで十分にホットな仕様といえた。さらにイモラレプリカ同様、本モノのレーシングマシンと変わらないロングタンクにシートカウルなど、少数しか生産されないカフェレーサーと同じスタイルもマニアには垂涎の的だった。
加えて前輪に小径16インチという、世界GPでの先進テクノロジーをそのまま採用していたことも、熱きファンの心を捉えた。ただそうした最新のスペックから漂うパフォーマンスを、すべてのライダーが恩恵として味わうというわけにはいかなかった。
むしろ御しがたいスパルタンなバイクというイメージが広まり、これがさらに熱きライダーのドリームバイクとしての位置づけをより強固なものとしていたのは事実だ。個性的で乗りこなすのが難しいスパルタンなハンドリングのバイク……しかしそんな伝説が生まれたのには、いくつかの時代背景が影響を及ぱしていたのである。

750F1のコーナリングは、レーサ一を乗り継いだライダーなら絶賛するレベル高さだったが、一般ライダーにはデリケートな扱いを要求されるためスパルタンに感じるケ一スが少なくなかった。要因のひとつとされる16インチという小径の問題も・・・後半へ続く

最先端のタイヤチョイス それがすべてを難しくしていた

重くて超高速なバイクタイヤはそこを目指していた

750もの排気量がありながら、ビッグバイクとしては例外的な軽量とスリムでコンパクトなF1パンタは、スペックとしては誰の目から見ても類い稀なポテンシャルを感じさせていた。しかしそのコーナリングはあまりに鋭く、キャリアの浅いライダーは不安に陥るという定説がとの定説が飛び交っていたのである。
その元凶が当時の流行ともなった前輪16インチにあると指摘する声も多かった。確かにただでさえスリムで軽くコンパクトなLツィンに、さらに鋭い運動性を与える小径の前輪が必要なのか、疑問視されたのも無理はない。当時の世界Gpマシンが前輪16インチを採用する理由として、日本メーカーから発表される内容はよりクイックな運動性のためと謳われ、それが市販車へのフィードバックで得られるメリットとしてアピールされていたからだ。
しかしドゥカティの前輪16インチの本当の狙いは、ホイールの小径化によって得られるタイヤトレッドのワイド化の方にあった。つまり、タイヤの外径をあまり変えずにホイールの方を小径幅広にすれば、タイヤが路面に接するトレッド面積を大き<稼げることになる。前輪のグリップを上げるため、単にタイヤのボリュームを大きくしたのでは、前桧が重くなりリーンが鈍くなるなど問題を生じてしまう。実は前輪の小径化は、タイヤメーカーが開発した、グリップを高めながらネガティブを出さないテクノロジーだったのだ。
これにはさらにトレッドの曲率を緩やかにして、索早いリーンでも過敏なレスポンスとならない配應も加わるなど、その実態は巷でいわれていた内容とかなり違っていたのである。
ドゥカティではLツィンがバワフルな日本製の4気筒勢を追い回し抜き去るために、スリムで軽批コンパクトなメリットを活かし、コーナリングで差をつける可能性が高まるとの判断から、この前輪16インチの採用に踏み切ったのだ。そういう意味では、前祐16インチが過剰に鋭い面を強調してしまったという世評は当たっていなかった。
ただ、従来の前輪18インチに慣れた感性で勢い込んだバンクをすると、本来は緩やかさを優先したプロファイルなどの特性が追従性を鈍化して、ライダーに不安な感じを与えやすかった。
一般のライダーのリーン速度などからすれば、750F1も前輪をそれまでの常識的な18インチとしていれば追和感もなく、無難な評価となったかも知れないのだ。しかし、ドゥカティはそうした選択をするメーカーではない。ましてやスパルタンなイメージなくして、750F1にあれだけの憧れを抱かせることはできなかっただろう。
こうした紙一重の高次元なテーマは、前輪にかぎらず大事な後輪でも存在した。当時のビッグバイク用に開発された最新タイヤが、Lツインのボテンシャルを妨げる傾向にあったのだ。
200キロを超える超高速域が、トップスピードからクルージング可能な領域へと進化を早めていた当時、問題は車体剛性とタイヤに集中していた。
超高速で回転するタイヤがその遠心力で外周方向に伸び、接地したときに凹む動きを繰り返せば安定性に欠けるのはもちろん、いつかは破壊する危険性もあって、まずはタイヤ自体の剛性が高められた。わかりやすくいえば、超高速に耐えるよう猛烈に硬いタイヤで、それは接地面のしなやかさを失い、グリップカはトレッドのゴム質(コンパウンド)をひたすら柔らかいものとするしかなかったのである。
剛性を支えるカーカス(繊維を束ねた層)を何枚も重ねるためタイヤ重量は増える一方で、その重さが遠心力で伸びやすくなるのをまたカーカスを重ねて対処するという、悪循環に陥っていたのだ。おまけにソフトなコンパウンドは耐摩耗性が極端に悪く、走行距離千キロそこそこで交換を強いられるなどという事態も生じていた。
いうまでもなくLツインは、750でもスリムで軽量コンパクトという、オーバー750へとエスカレートの一途を辿っていた4気筒用のタイヤとは、相性が合うはずもなかったのである。

ラジアルの実用化で夜明けを迎える

ラジアル誕生でスパルタンさも変化した

乗りにくい、しかしスパルタンなバイクと正面から取り組んでこそ、ドカ乗りならではの醍醐味が味わえる……750F1はいつしか超スピリチュアルなバイクとしてのイメージが定着をはじめていた。コーナーでリーンすると、細身の車体がそのまま転倒しそうな安定感のなさ。タイヤに設定された荷重が、ライダーひとり分以上違うため路面に押し付けられるトレッドの面圧が少ないなど、柔軟性の不足は何とも心もとない感触を伝えてくる。これにハンドルヘ余計な入力が加わったりすれば、思うように曲がるときとそうでないときの差が大きく出てしまう。
さすがに慣れてくると、実はそれはど極端に扱いにくいわけではないことを体得するライダーもいて、乗りこなすことが不可能でないとの認識も広まりつつあった。日本メーカーでは評価を下げる意味に直結する、手強いからこそ憧れるバイクという、いかにもドゥカティならではの位置づけが確固たるものとなっていったのだ。
しかし、それでは獲得するファン層にも限界がある。ドゥカティではそこを何とか払拭しようと、たとえばモンジュイのニックネームを与えられた限定モデルでは、前後に軽量なレーシングマシンが履くレーシングタイヤを装着して荷重設定を合わせるという、極端な仕様まで登場した。もちろん一般公道を走るのだからパターンの溝がないスリックタイヤというわけにはいかない。それは、レース用でパターンの溝を刻まれた、インターミディエイ卜そのものだった。当然タイヤのサイドウォールには英文で、一般公道用ではない記述が刻印されていたのだ。

このパフォーマンスを高めようと軽量化すればするほど、タイヤとの相性が悪くなるドゥカティにとって何とも辛い状況に、ようやく終わりを告げるときがきた。ラジアルタイヤの実用化だ。硬く重くなるビッグパイク用タイヤの悪循環から脱却するために開発されたラジアルタイヤは、トレッドとサイドウォールでカーカス構造を分離、強大な荷重に破壊されることなく、常に柔軟な追従性を発揮する画期的な性能が得られたのである。もちろん最大の狙いはパワフルで重い4気筒の安定性確保で、その効果はこれ以降に開発したバイクの、車体剛性を低く設定するほどの違いを生じたのだ。
これがドゥカティにとってどんなに待ち望んだことかはいうまでもない。ラジアルタイヤは軽量な車体でも、その柔軟性から路面追従性に優れ、軽ければ軽いほどコーナリングに優れるという、本来のポテンシャル発揮にメリ
ットが直結することとなったのだ。
最初のラジアルを装普したラグナセ力乗りやすさといったらなかった。そしてこれを機に、ドゥカティは時代到来とばかり新たに900SSと水冷の851を開発、誰が乗っても日本車にはないハンドリングの魅力で、一気に販売台数の拡大を実現したのだ。もちろん、そこにはドカ流のこだわりである厳しさを残して……。

ホモロゲ用パイクとはいえ、一般公道仕様車が一般公道使用禁止のタイヤを装着したバイクがメーカーから市販された例はこのモンジュイだけだろう。フロント12/60-16、リヤ18/67-16という特殊サイズのレーシングタイヤそのものだ。プレーキもローターが完全にフローティングピンで浮いた大径のレーシングマシン専用でプレンポ製。量産車用ではなくレ一ス用パ一ツばかりで組まれていた。もちろんフレームにカウルなど同じルックスながら専用で157kgの超軽量だ。
750 F1 MONTJUlCH ’85年にデビューした750F1パンタは、翌’86年にモンジュイと呼ばれるホモロゲ用の限定車を加えた。モンジュイはスペインて耐久レ一スが開催されるコースに因んだネーミング。Lツインは同じ748ccながらキャプレタ一をデロルトのφ36→φ40とするなどノーマルの70psから95psへ大幅なパワーアップがはかられた。足まわりもスイングアームが角断面のアルミ製でFフォークもレ一ス仕様、ワイドなレーシングタイヤが装着できるよう前後16インチの特製ホイールなど贅沢なスペシャルパーツだらけだ。

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DUCATI Magazine 編集部

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情熱を意味する真っ赤なボディで駆け抜ける、イタリアを代表するバイク「ドゥカティ」。世界のレースシーンで培った技術、ストーリーを凝縮した専門マガジン。

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