
乗りこなせるモノなら乗ってみろ! ドカのスパルタン伝説30年史

伊丹孝裕
- 2019年10月21日
ドゥカティは難しい? 難しくない?そのスパルタン伝説を30年の歴史とともに振り返る
ドゥカティの印象としてよく上げられるのは、その乗りにくさ、乗り手を選ぶ、というスパルタンでひとくくりにされる時代が最近まであった。しかし、ドゥカティはそのスパルタンの印象から、ラインナップを増やしファンを捉えつつも、従来のスパルタンにも強く拘りハンドリングを大切にし、この30年を歩んできた。今回から4回にわたり、『もっとドカを楽しみたい!』というテーマでスパルタン30年を振り返っていく。初回はスパルタンのその起源となる黎明期と普及モデルまでの歴史を振り返っていく。
少し前まで、ドゥカティには一見さんお断り的な気難しいイメージがあった。果たしてそれはいつ始まり、今でもやっぱりそうなのだろうか?
70年に披露されたベベル系エンジンや79年にデビューしたパンタ系エンジンには、今も熱狂的なファンが多い。造形の美しさに加え、そのエンジンの搭載モデルがレースで残した伝説めいたエピソードにも事欠かないからだ。
さらに言えば、それらはまだ情報が少なかった頃のガイコクの製品であり、出来事だった。そのため、それを持っている、あるいは知っていることがエンスージアスト達の心をくすぐったのだ。
二輪専門誌で取り上げられる時も「ビギナーを寄せつけないスタイルとポジション」、「雷鳴のように響き渡るエキゾーストノート」、「ナイフを思わせるソリッドなハンドリング」……といった文言が躍り、いつしかドゥカティ=スパルタンというイメージが定着していったのである。
ある意味、神話的ですらあったドゥカティの存在が一気に身近なものへと変化したのが、80年代後半に入ってからのことだ。
きっかけは世界スーパーバイク選手権への参戦を前提に開発された851の登場だ。4ストロークエンジンのレースと言えば日本製の4気筒勢が席巻していた中、トレリスフレームに2気筒エンジンを組み合わせるというドゥカティのオリジナルパッケージのままでそれらに対抗。大方の予想に反して、すぐに上位に進出し始め、90年には初の世界タイトルを獲得。新たな伝説の礎を築いたのである。
とはいえ、851やその進化形の888は当時の国産ナナハンモデルに対して、圧倒的に高価だった。そうやすやすとは手が届かない存在であり、サーキットではスペック以上のリザルトを残していることも手伝って、「とんでもなくスパルタンに違いない」というイメージを与えていたのだ。

実際はその真逆で、851はとてつもなくワイドなトルクバンドと極めて穏やかなハンドリングを有していたのだが、その片鱗を疑似体験させてくれたのが、89年に登場した900SSである。

スリムで軽く、コンパクトな900SSは、やはりトレリスフレームにL型2気筒を懸架。851のそれとは異なり、冷却方式は空油冷だったが、それゆえ比較的リーズナルブな価格が設定されていたため、多くのライダーがこのモデルによってドゥカティの世界へと魅入られていった。
91年にマイナーチェンジが施されるとスタリングもモダンになり、一気にシェアを拡大。ドゥカティに対するスパルタンなイメージは、この時すでにほとんど消え去っていた。
では、ドゥカティはライダーに寛容で在り続けたのか? と言われるとそんなこともなかった。900SSの兄弟モデルとして、750SSや400SSなどをラインナップしながら、その一方で新スーパーバイクとして916を、そしてまったく新たなファミリーとしてモンスター900を相次いで発表。この両モデルはまったく対称的な存在ながら、ドゥカティらしいコーナリングを味わうには、スキルも体格も等しく一定の基準が求められた。

そこには明確に「ビギナーお断り」の雰囲気が漂い、軟派なライダーを拒絶したが、結果的にこれ以降、フレンドリーさとスパルタンさという2面性がドゥカティの持ち味になっていった。

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