
スパルタン伝説30年を振り返る! WSBにみる世界と闘う速さと扱い易さの狭間

DUCATI Magazine 編集部
- 2019年10月28日
スパルタンだからこそ常勝だった!? WSBのリザルトから見える速さと扱いやすさの狭間
『もっとドカを楽しみたい』をテーマに、ドカのスパルタン伝説の30年を振り返る連載企画の第3弾だ。今回は『WSBのリザルトから見える速さと扱いやすさの狭間』をお届けする。世界と闘うドゥカティのスーパースポーツモデルの主だったWSBモデルたち。その紹介と特徴・歴史を振り返っていく。
ドゥカティのシンボルであり、スパルタンさの代名詞がスーパーバイクシリーズだ。ここでは市販車のスペックとレースリザルトの相関関係を振り返ってみよう
世界スーパーバイク選手権が始まったのは88年のことだ。当時のレギュレーションでは4気筒は750cc以下、2気筒の場合は1000cc下の市販マシンなら参戦が可能で、コストの高騰を抑え、公平性を保つため、改造範囲はかなり制限されていた。
このレースはファクトリーとプライベーターの差があまりに拡大したTT-F1に取って代わる役目を果たすことになるのだが、参戦するためのベースマシンは、TT-F1向けに開発されたものがそのままスライドする格好になった。つまり、トップ争いの権利を有しているのは、ホンダVFR750R、ヤマハFZR750、スズキGSX-R750、カワサキZXR750といった国産4気筒勢であり、そこに絡める可能性があったビモータYB4のパワーユニットもヤマハ製だった。

そんな中、ドゥカティは唯一2気筒での参戦を発表。その排気量はベースになった851よりも拡大されていたとはいえ、888㏄に過ぎず、どう贔屓目に見ても上位に進出できるようなスペックには見えなかった。
ところが、である。マルコ・ルッキネリが開幕戦のレース2で早々に優勝を果たし、誰もが予想だにしなかったリザルトを残すと参戦3年目の90年にはレイモン・ロッシュが初のタイトルを獲得。91年から92年にかけては、ダグ・ポーレンが連覇を達成するなど、このレースの主役として君臨し、パワフルな4気筒マシンの前に立ちはだかったのである。

公道用市販車の851は、レース用マシンと足並みを揃えるようにして、最終的に88SPと呼ばれるモデルに進化した。
とはいえ、国産マシンと比較するとその時点でもやはりフィーリングは穏やかな部類であり、いかにスロットルを開けやすいか、いかに無駄なくパワーをトラクションへ変換させるか。そんな風に2気筒だからこそ実現可能なエンジン特性が速さの秘密とされた。
しかし、93年にはそれが一変。ベースマシンが916に切り換わると、コース上で見せる動きに明らかにシャープさが加わり、実際公道市販車もスパルタンさの代名詞になった。カジバのGP500マシンのディメンションがベースになったことも話題になり、速さの秘密にハンドリングの優位性が加わったのである。その後、WSBでは実に10シーズンに渡って第一線に立ち続け、圧倒的なスピードと唯一無二のスタイリングによって、レース史における名車になった。
ただし、スパルタンさとリザルトが高次元でバランスしたのは、実は03年にデビューした999だ。それをピークにリザルトはやや低下。扱いやすさと速さのバランスを見つけるために過ごした苦難の時代が今年の躍進に繋がっている。




ピーキーさが際立つ999Rのトルク特性
スーパーバイクシリーズの中でもスパルタンなことで知られる999R。その一端を示しているのが、左のパワー&トルクカー
ブだ。特にトルクに注目。下の1199(赤点線)や1299(黒実線)がフラットな曲線を描いているのに対し、999R(黄実線)
のトルクバンドは極端に狭く、凄みを感じさせる
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情熱を意味する真っ赤なボディで駆け抜ける、イタリアを代表するバイク「ドゥカティ」。世界のレースシーンで培った技術、ストーリーを凝縮した専門マガジン。