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ゴルフボランティアは感謝、奉仕、そして誇り <第1回>

ゴルファーのために活躍するゴルフ界の匠から、それぞれの仕事に賭けた誇り高き言葉を頂くEVEN本誌の連載「タクミのカクゲン」がFUNQに登場。今回紹介するのは、日本人として香港ゴルフ協会の会長を務めた西剛弘氏だ。

JGAの外交委員から他国のゴルフ協会会長へ

冒頭から難易度の高い問題を提出したい。西剛弘から寄せられたゴルフ関連の主だった経歴を元に、彼がどんな匠かを推察してほしい。

〇2012年〜現在まで 日本ゴルフ協会(JGA)の外交委員会委員
〇2013年 JGAを代表してセント・アンドリュースで開催されたR&A主催第9回世界ゴルフ会議に参加
〇2014年 香港ゴルフ協会理事
〇2016年 香港ゴルフ協会副会長
〇2017年〜2019年 香港ゴルフ協会会長
〇2017〜2019年 オーガスタナショナルよりマスターズに招待
〇2018年 全米ゴルフ協会より全米オープンに招待
〇その他 選手引率でメキシコ、ニュージーランド、シンガポール、インドネシア等に帯同

最後にヒントを。直近で西が表舞台に顔をのぞかせたのは、2020年10月に開催された日本オープンゴルフ選手権競技のスターター役だった。さて、彼の務めとは? おそらく、かなりのゴルフ通でも頭を悩ませたに違いない。正解はゴルフボランティア(タイトルに肩書があるが……)。つまり先の経歴のすべてを、西は自ら進んで手弁当で行ってきたわけだ。手弁当ということは、それ以外で生計を立てる生業を持っていなければならない。しかし、協会の委員や会長という役職を本業の傍らでこなすことなど可能だろうか?

スタートホールで出場選手の名前を一人ずつ読み上げ紹介するのがスターターの役割。西は2014年からJGAが主催する日本オープンや日本女子オープンに加え、数々の国際大会のスターターを担当している。写真/JGA提供

そんな疑問を一蹴する活動を実践してきたからこそ、彼は匠と呼ぶべき存在といえる。当人にすれば、本業でも副業でもなく、また〝傍らでこなす〞という、強いていえば趣味的な扱いとはまったく違う、一種の使命感をもってゴルフボランティアに身を捧げきたのである。そんなまとめ方で西という人物の在り様を理解するのは、冒頭の質問に匹敵する困難を要するに違いない。ましてや日本人が他国のゴルフ協会会長に就任した事実すら謎めいている。いかにして彼がゴルフボランティアの道に進んだかは、やはり時系列でその半生を追ったほうがわかりやすいだろう。

仲間と一緒に楽しい企画を考えるのが好きだった

今年54歳になった西がゴルフと出会ったのは6歳の頃。ゴルフ好きだった父から女性用を切り詰めたクラブを与えられ、広島市の自宅近くの練習場や河川敷コースに向かった。中学の3年間はスイス留学。帰国後入学した京都の同志社国際高校にゴルフ部はなし。同志社大学に進んでようやくゴルフ同好会に入会し、在学中の4年間はみっちり取り組み、本人は「主だった戦歴はない」と謙遜したが、ハンディキャップ5までの実力を身につけた。後に会長職に任命されるので、少年から青年までの時代にどんな性格だったかをたずねてみた。

 

今年はコロナ禍でプレー回数が減ったものの、例年は年間に50回程度はラウンドしているそうだ。日本に滞在中は、メンバーである「東京クラシッククラブ」でプレーを楽しむことが多いという。

「小学校では学級委員を何度かやり、高校時代は生徒会幹部に立候補して文化祭などに積極的に関わりました。社会人になってからも社内イベントの幹事をするのが楽しみでした。リーダーとして人の上に立ちたいのではなく、みんなと一緒に楽しい企画を考えるのが好きだったのです」(西)

大学卒業後は地元の広島に戻り、父が営んでいた保険代理店に就職。一方でゴルフ熱はさらに高まりを見せ、所属していた芸南カントリークラブの理事長杯では2度のチャンピオン獲得を果たした。

40歳で独立するもリーマンショックに見舞われ…

32歳になる時、スイス系銀行から声がかかり、保険マンから銀行マンに転身。生活の舞台も東京に移った。ところが西の入社後数年でその外資系銀行が東京での活動縮小を決定。やむなく、これまたスイス系の証券会社へ。40歳を機に自ら金融会社を設立して独立を果たすも、2008年のリーマンショックで翌年には大幅な事業縮小に追い込まれた。

「あれは2009年の年末のことです。スイス系銀行で働いていた時の元同僚が欧州系金融機関の香港支店に移り、そこで日本人のプライベートバンカーを一人探していると声をかけてくれたのです。それが現在勤めているLGTリヒテンシュタイン銀行なのですが、皇室が所有している伝統と歴史のある銀行で、以前から敬意を持っていました。しかも何度も出張や観光で訪れた香港は元英国領のゴルフが大変盛んな場所で、ゴルフ環境も家族の生活環境も悪くない状況を知っていました。再度プラベートバンカーに復帰すること、さらに香港へ向かうことを家族に説得するしかないと決めました。そして、家族や兄弟、親友の理解と応援のおかげで、2010年の夏に家族で香港へ移住しました」(西)

ゴルフ話に合せる形で西は数回目の転職話をしてくれたが、彼の地から提示された条件には移住が具わっていたという。ゆえに西は、片道切符の覚悟で家族とともに海を渡った。その一世一代と言って良い決断が後に香港ゴルフ協会との縁を結ぶことになるのだから、人生は何が起きるかわかったものではない。

第2回へ続く

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EVEN 編集部

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スタイリッシュでアスリートなゴルファーのためにつくられたマガジン。最旬のゴルフファッション、ギア、レッスン、海外ゴルフトリップまで、独自目線でゴルフの魅力をお届け。

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