もし今、空襲があったらどう報じるか?‐‐‐Yahoo!と地方紙の試み

Yahoo!のLODGEが、地方紙と協力して展示

戦後73年という年月が流れ、終戦時に20歳だった方は93歳……戦地や空襲を経験し、記憶を語れる人はますます少なくなっている。

また、ネット上に明確な記録として残っていないことは、記憶としても残りにくい時代になりつつある。第二次世界大戦のことをどう報じ、どうネット上に残していくか、ますます考えねばならない時代なのだと言えるだろう。

そんな中、3年前のことではあるが西日本新聞が、『福岡大空襲のことを、今あったことのように報じる』という試みを行った。

戦時中には報道管制が敷かれまるで被害がなかったかのように報じられたものを、『もし当時報道の自由があったら?』という仮定の上で『福岡に空襲 被害甚大‐‐‐2000人超死傷、1万1000戸焼失』という誌面を作った。

2018年8月2日Yahoo!のコワーキングスペースLODGEで、この誌面を作った西日本新聞の福間慎一さんを中心に、東京新聞論説委員の早川由紀美さん、琉球新報記者玉城江梨子さん、のお三方が、Yahoo!ニュースの宮本聖二さんをキュレーターとして講演を行った。

福岡も空襲されたということを、知る人が少ない

Yahoo!ニュースは『未来に伝える戦争の記憶』(https://wararchive.yahoo.co.jp/)として戦後70年となった2015年から戦争のアーカイブ作りを始めている。Yahoo!ニュースは日本ならではのローカルの確かな情報源として、地方紙各誌との連携も深めており、その一環としてここでは『全国各地の空襲』の情報も収集し掲載している(https://wararchive.yahoo.co.jp/airraid/)。

空襲といえば、東京大空襲や、広島、長崎への原爆投下が象徴的に語られるが、横浜、大阪などの大都市や、軍事施設や港湾があった都市などを含め、47都道府県のほとんどに空襲が行われている。Yahoo!ニュースではその情報も丹念に掘り起こしており、福岡大空襲の仮想の新聞製作などのレポートも、西日本新聞とYahoo!ニュースが連携しておこなった。

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西日本新聞記者の福間さんは、その誌面製作を通じてさまざまな人に会い話を聞いたこと、誌面製作において考えたことなどを語ってくれた。

被害をほとんど伝えられなかった当時の新聞

まず、戦時中に作られた誌面を見ていただきたい。

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実際に1945年に刊行された当時の新聞には、報道管制により被害についてはほとんど書かれておらず「敵の無差別攻撃激化」とだけ報じている。「二時間にわたり暴爆」とは書いたものの、「重要施設にほとんど被害なし」とし、「暴爆に屈せず」と宣言している。さらにコラム欄には「きれいさっぱりと精算され、何か新しい精神力が戦災者に与えられた感じである」とさえ書かれている。

しかし、爆撃の写真が異例の縦6段で使われていること、唯一自社の記者の死亡を記事として伝えていることに、管制への抵抗が感じられる。

福間さんは「我々がこの時代に生きていたとして、軍に逆らって真実を報道できたでしょうか? そんな事はなかったと思われます」と言った。また、そればかりか新聞が軍のプロバカンダの一翼を担っていたことに関して報道機関の危うさを感じるとした。

しかし、戦前から考えると一般市民も、満州や中国への進出に湧き、戦勝の報道に熱狂したことも事実で新聞だけを責めるわけにもいかない。国民もまた、戦争に向けて進んだのだ。

正確なレポートで見れば、巨大災害並みの大きな悲劇だった

そこを踏まえて福間さんたち西日本新聞が作ったのがこちらの誌面。日常業務の傍ら、遊軍キャップ以下6人と支局の1人、担当デスク1人が作ったという。

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これは、実際に2015年6月19日に、西日本新聞の特集面として、新聞の真ん中に配置され、抜き出して保存できるように配慮された。(こちらから閲覧できる https://www.nishinippon.co.jp/cp/18/fukuoka_daikushu/

もし、現在の視点であらためて報道できるなら……という視点で、人的被害や住戸被害の状況を正確にレポートし、地図などを使って被害エリアを明示、生活インフラの消失などについて詳しく報じた。

2〜3面には、実際に聞き込み取材を行った人たちの話を元に、その人たちの年齢を70年前に戻して実名で表記し、記事を作った。また、米軍の資料なども使い、事実関係も正確に追った。

4面は当時の報道の検証に使い、『伝える責務を果たせなかった』ことに対し、その反省、あらためて報じることにより、教訓とするとまとめている。

軍部の報道に関する統制とは?

当時の新聞報道の統制は、軍部によって行われ、1944年2月には、毎日新聞の記者が『竹槍では間に合わぬ、飛行機だ、海洋飛行機だ』と書いた事に東条首相が激怒し、掲載紙を発禁にしたばかりか、その37歳の記者を陸軍に召集するというようなことさえ行われたという(反戦というよりは、太平洋で敗退が続いていることを告発し、海軍に資材を回すように述べた記事で、陸軍の反発を買った)。

国民の人気のために好戦的な記事を書き(実際にそういう記事で部数が伸びたという)、軍部が実権を握ったあとには、真実を書けなくなった新聞の苦悩がそこにはある。

西日本新聞が行った、現在の報道スタンスであらためて当時の新聞を作り直すということは、同紙だけが行っていることではなく、地方紙各紙でも行われている。

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東京空襲の恐るべき被害の大きさ

東京新聞でも『東京大空襲10万人死亡』というタイトルで、1945年3月10日に行われた空襲について記事をあらためて記事を作っている。

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当時、子供たちは疎開が進められたが、大人は逃げてはならず焼夷弾の爆撃に対して消火活動で対抗しなければならない……という防空法が施行されており、それが被害を大きくしたことなどが記事化されている。

また、東京大空襲は関東大震災で火災を起した場所を参考に、下町を中心に焼夷弾で爆撃し、被害を甚大にしたとされているが、地図を交えてその被害の場所を解説している。どの地域が爆撃されたかを現在の地図に重ね合わせると、その被害地域の広大さには寒気がする。

今に続く、沖縄戦を『沖縄戦新聞』として

琉球新報では1944年7月7日付の『サイパン陥落』から1945年9月7日付の『日本守備軍が降伏』までの1年2カ月を、実際に1年2カ月の期間をかけて毎月誌面にし、2005年の日本新聞協会賞を受賞した。

サイパン陥落から始まるのは、サイパンが陥落したことにより、米軍はいよいよ沖縄上陸作戦に取りかかることになり、その恐怖感が沖縄埋め尽くしたからとのこと。その後3月の空襲や、艦砲射撃、4月からの上陸作戦に続き、首里に構築された陣地の戦い、そして避難する民間人を巻き込みつつの5月、6月、7月初旬までの沖縄島南部への戦いという時系列を体験する試みでもあったそうだ。

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沖縄戦の死者は20万人以上と伝えられており、多くの民間人を巻き込んだ壮烈な地上戦であり、沖縄県民の4人に1人が亡くなったという被害の大きさであった。

上陸戦から、各所の陣地を作っての抵抗戦、そしてガマという洞窟を掃討する米軍により、多くの民間人が殺された戦闘として、語り継がれるべきことは数多い。『沖縄戦新聞』として作られた誌面の生々しい記事には、本当に圧倒される。

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そして、上陸した場所にそのまま構築された米軍基地は、今なお沖縄県民にとって深刻な問題であり、琉球新報にとっては、現実的に大きなテーマであり続けているという。

この『沖縄戦新聞』は、琉球新報のサイトから購入することができる(https://store.ryukyushimpo.jp/product_list/product/3010000028?d=

今、我々は何を後世に残せるのか?

お三方は、新聞というメディアを作る者としての責任を感じ、73年前に同じ職業に就いていた人たちを押し流した時代の流れを感じ、今成すべきことを成しつつも、それが多くの人に『伝わっているのか?』と悩む気持ちもあるとおっしゃっていた。

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Yahoo! LODGEでは、『未来に残す戦争の記憶〜戦争と地方紙〜』というカタチで展示が行われている。8月15日まで展示されているので、73年前の歴史があっての『今』を生きるものとして、ぜひご覧になっていただきたい。8月2日から8月15日まで、どなたでも無料で閲覧できる(LODGEへの入館手続が必要・要身分証)。

(出典:『flick! digital (フリック!デジタル) 2018年8月号 Vol.82』

(村上タクタ)

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