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荻窪圭のマップアプリ放浪「国立国会図書館デジタルコレクションは、古地図の宝庫」

パソコンで見られる古地図の宝物庫

今まで、各種地図アプリを駆使して東京の地形を解読したり古地図を呼び出して昔と今を比べたりしてきたわけだけど、今回はもっとディープな世界へ行くのである。いやあ怖ろしや。でもハマリ出すと沼。まあ金のかからない沼なのでお付き合い下さい。

それは江戸時代の江戸の地図(江戸絵図といわれてる)探訪。使うアプリはWebブラウザ。

一般に江戸の地図というと出てくるのが『江戸切絵図』。幕末に流行ったカラフルな地図で、エリアごとに切り取った地図にしたことで携帯性が高まり大ヒットした。でもそこに描かれているのは幕末の江戸。江戸時代って265年も続いたのだから当初の江戸と幕末の江戸ではずいぶん違うはずだ。

『江戸切絵図』から『今戸・箕輪・浅草絵図』。嘉永6(1853)年のもの。カラフルで見やすいので江戸絵図の代名詞となっている。国立国会図書館デジタルコレクションより。

可能な限り昔の江戸を見てみたい。それと今とを比べてみたい。

そう思って、10年くらい前にあれこれググっててお宝、いや宝物庫に出会ったのである。それが『国立国会図書館デジタルコレクション』。

『国立国会図書館デジタルコレクション』(https://dl.ndl.go.jp/)を開くとインターネット公開されている資料を検索して閲覧できる。『江戸』で検索してみた。

江戸絵図を探そうと思ったら簡単。たとえば検索窓に『江戸』と入れる。そうすると関連するコンテンツが大量に見つかる。そのままではどうしようもないので『デジタル化資料』から『古典籍資料』をタップ。その下に『絵図』がある。すると『絵図』だけに絞り込めるのだ。

古典籍資料から『絵図』をタップするとぐっと絞り込める。古地図好きにはこれが便利。

それでも200以上あるけど、その先は出版年で絞り込んでもいいしキーワードを追加してもいい。

江戸時代初期の銀座はとっても海に近かった

出版年がわかってる一番古い江戸絵図はと調べると、どうやら『1632年』の『武州豊島郡江戸(庄)図』だ。家康が征夷大将軍になったのが1603年。1632年(寛永9年)は3代将軍家光の時代だ。まだ江戸という都市が完成する前といっていい。

その『武州豊島郡江戸(庄)図』を見てみよう。描かれているのは江戸城周辺だけで、溜池(今の外堀通り溜池交差点あたり)が西の端だ。『江戸すいどうのみなもと』とある(変体仮名が使われてるので読みづらいが)。溜池は江戸の上水道のために水を溜めたのが語源なのだ。

1632年の『武州豊島郡江戸(庄)図』の溜池あたり。『ためいけ』の隣は『江戸すいどうのみなもと』。国立国会図書館デジタルコレクションより。

もうひとつ、わかりやすいところで銀座を見てみよう。江戸時代初期の銀座はどうだったのか。京橋や数寄屋橋が描かれてるのでなんとなくわかるはず。銀座2丁目に『銀座』と書いた一角がある。そこで銀貨を作っていた。『銀座』の由来だ。

1632年の銀座。京橋と新橋の間(実は東海道)が今の銀座だ。銀座2丁目に『銀座』がはっきり描かれている。これが銀座の地名語源。国立国会図書館デジタルコレクションより。

その裏に三十間堀があり(今は埋め立てられて道路になってる)、その裏はもうすぐに海。今、歌舞伎座があるあたりはまだ海で、築地なんて完全に海の底(江戸時代に埋め立てて作ったから『築地』って地名なのだ)。銀座からちょっと歩くとすぐ海だったのである。今や銀座から歩いて海へ行こうなんて誰も思わない距離になったけど。

当初の吉原は人形町にあった!

次のターゲットは遊郭があった『吉原』。

江戸絵図を見ていると、『吉原』に『新吉原』と書かれていることが多い。『新』ということは『旧』があったはずだよね。

その場所は今の『人形町』だといわれているけど、今の人形町に痕跡はほとんどない。何しろ今の吉原に移ったのは明暦3年(1657年)と、江戸時代前期のことなのだ。それより前の地図なら旧地に『吉原』とあるはず。

というわけで探してみると、明暦3年(1657年)の江戸絵図をのちに写したという『新添江戸之図』があった。タイミングとしてはギリギリだ。それをぐいぐいと拡大して見ると日本橋の近くに『吉原』発見。 

『新添江戸之図』。今の人形町あたりに水路に囲まれた『吉原』が描かれていた。国立国会図書館デジタルコレクションより。

日本橋、江戸橋が描かれてるのでなんとなく場所はわかるはず。

実は『吉原』ってもともとこのあたりを表す名前で、江戸の外れで一面が『葭』の『原』だったそうである。縁起がいい文字に置き換えて『吉原』。江戸を代表する遊郭の代名詞となるのだ。

この地図の吉原の右側に描かれている太い水路は今の『浜町川緑道』である。吉原自体は水路に囲まれてて、北側に門がある。日本橋人形町2丁目にある『末廣神社』は吉原の総鎮守だったそうで、吉原の大門もそのあたりにあったのだろう。

ではのちの新吉原になる場所はどうだったのか。浅草の北西あたりだ。

出版年不明の中に『正保元年江戸絵図』を見つけた。正保元年は1645年。『写し』となっているので江戸時代のどっかの時点で写されたものだが、いつかわからなかったのだろう。でもありがたいことに広範囲をフォローしており、浅草まで含まれている。

『正保元年江戸絵図』の上野から浅草あたり。江戸のはずれで道路の接続もいいかげんだが、貴重な地図だ。国立国会図書館デジタルコレクションより。

するとけっこう衝撃的なのだった。広大な池(あるいは湿地帯)なのだ。室町時代、上野と浅草の間には巨大な『千束池』があったそうなので、その名残かと思う。そういう辺鄙で人が住んでない場所に新しい吉原は作られたのだ。

そして吉原が移転したのちの『延宝3年』(1675年)の『江戸全図』だと、当然出来上がっている。浅草あたりを拡大すると、水路沿いに『新吉原/けいせい町』がある。『けいせい』は『傾城』。中国の書物が由来で、城主が色香に溺れて城が傾いてしまうような美女のことで、遊女を指す言葉。だから傾城町は遊郭のことだ。

延宝3年の江戸全図。浅草寺の北東に吉原が作られている。浅草寺には観音堂と五重塔が。国立国会図書館デジタルコレクションより。

ああ、こうやって江戸の変遷を見始めると面白くて時間がいくらあっても足りない。にしても、良い時代になったものである。江戸時代の地図というデジタルとはすごく縁遠いジャンルでも、デジタル化して公開してくれているおかげで、IT側にいる趣味の古地図好きでもiPad片手にこうして過去に遡れるのだ。 

江戸絵図は西を上に描くものが多いので、90度ずつ回転できる機能は欠かせない。

歴史好きの人はぜひ『国立国会図書館デジタルコレクション』へ。

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(この記事は『flick! 2020年8月』に掲載された「荻窪 圭のマップアプリ放浪」を再編集したものです)

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PROFILE

荻窪圭 

flick! / ライター

荻窪圭 

老舗のIT系ライター、デジカメライターなるも、趣味が高じて『古地図と地形図で楽しむ東京の神社』(光文社知恵の森文庫)など歴史散歩本執筆や新潮社の野外講座『東京古道散歩』講師なども手がける。 https://ogikubokei.blogspot.com/

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老舗のIT系ライター、デジカメライターなるも、趣味が高じて『古地図と地形図で楽しむ東京の神社』(光文社知恵の森文庫)など歴史散歩本執筆や新潮社の野外講座『東京古道散歩』講師なども手がける。 https://ogikubokei.blogspot.com/

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