Apple Watchが医学を進歩させる。慶応義塾大学病院のHeart Study AW【WWDC直前レポ1】
- 2021年05月31日
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心臓の病は発作が出ている時しか診断できないことがある
20年ほど前のこと。当時、筆者の上司だった編集長が、心筋梗塞で緊急搬送された。
発作が起きて7時間で手術が終わり、上司は一命をとりとめた。血管が閉塞してある程度の時間が経ってしまうと、心臓の組織が回復不能なダメージを受けてしまうのだと聞いた。まさに、ギリギリだった。ICUにいる編集長と「締切中なんだから、死んでるヒマあったら原稿書いて下さい!」とブラックな編集部らしいブラックなジョークを交わしたりした(もちろん、締切と聞くと無限の力が湧く編集者ゆえ、戦友を励ます意味で言ったのだが)。
予兆がなかったわけではない。上司は心臓のあたりの痛みを訴えて、病院に行っていた。しかし、病院の診断はストレスで胃液が逆流して食道にダメージを与える『逆流性食道炎』ということだった。セカンドオピニオンも受けたのだが、やはり逆流性食道炎だと言われた。
冬の寒い朝、外出しようとした時に、ちょうど激痛に襲われたので、そのまま病院に転がり込んだら、発作が起きている時に心電図を取れたので、心筋梗塞だという診断がついた。つまり、心臓の病は発作が起こっている時、症状が出ている時に心電図が取れないと診断ができないことがあるということを筆者はその時に知った。
上記、筆者の上司の話は心筋梗塞の場合だが、心筋梗塞に限らず、心臓のトラブルは症状が出てる時の計測データがとても重要なのだそうだ。しかし、症状が出ている瞬間に病院にいるとは限らないし、むしろ症状が出た時に心電図が取れる状況にある人の方が珍しいだろう。Apple Watchがなければ。
慶応義塾大学医学部、循環器内科の木村雄弘先生がApple Watchに注目したのは、常時着用しているApple Watchなら「いつでも、誰でも、どこでも計測できる」と考えたからだ。
多くの人のデータを集めるための画期的な方法
木村先生が、開発したHeart Study AWは、Apple Watchを使って睡眠中の心拍を計測し、朝起きたときにiPhoneでアンケートに答えることで、いつ心電図を記録すればいいかを明らかにするための臨床研究用のアプリケーションだ。
実際には、一般の人が心臓にトラブルを抱えている割合は少ないが、慶応義塾大学病院内の心臓病の患者の方のデータと対照し、実際に夜間に不整脈などが起こっている人と、一般の正常な人のデータを比較することに意義があるのだという。
従来だと、睡眠時に心拍計を装着しなければならず、入院している患者のデータならともかく、一般の人のデータを収集するのは難しかった。それが、Apple Watchを使っている人に協力をあおげば、可能になるのだ。
アプリを起動して、最初に使う時に、これが臨床研究のためのアプリであり、どのようなデータが取得され、どのような分析が行われるかの説明があり、それをよく読み、同意することが求められる。もちろん、この調査では個人が特定されるようなデータは収集されず、研究への参加はいつでも中止できる。
従来の調査手法だと、このような同意手続きにも多くのドキュメントを読み、サインする必要があったが、アプリ化することで非常に分かりやすく簡便になっている。質問表への回答方法などもアプリ化する際に、できるだけ簡便な操作方法になるよう工夫を凝らしたという。
いつ心電図を記録すればいいのか? を知るための調査
実際の調査は7晩に渡って行われるが、連続している必要はなく、とにかく7回記録を残せばいいという。
iPhoneで睡眠のスケジュールをセットし、Apple Watchを装着して寝ると、睡眠時間と、睡眠時間の心拍数のトレンドが自動的に計測される。そして睡眠を分析した『ひとことコメント』が得られる。
朝、起きるとアンケートに回答するように通知が届き、夜中に起きたか? 動悸を感じたか? 今の気分はどうか? などの5つの質問に答える。これを7夜分行う。
睡眠中の心拍の実測データと、お酒を飲んだかどうか? 寝苦しさがあったかどうか? などを組み合わせることによって、睡眠不足だとどうなるか? お酒を飲んで寝るとどうなるか? ストレスが多いとどうなるか? など、一般の人の実際的なデータを取得することができる。
最終的に、これらの調査結果から、睡眠中の心拍を見守りいつ心電図を測定すればいいのか? が明らかになるのだという。
7度回答するとアンケート調査は終わるが、睡眠時の心拍の計測とそれに対するコメントが表示される機能は以降も使えるので、自分の睡眠の記録とアドバイスとして活用し続けることができる。
高齢者の人にこそApple Watchを使って欲しい。40〜50歳代の人にも
慶応義塾大学医学部循環器内科の木村雄弘先生(写真右)と、このアプリの開発を担当して株式会社アツラエのエンジニア早川輝さん(写真左上)と、有海哲也さん(写真左下)に話を聞くことができた。
木村先生は、2015年の初代Apple Watchが発売された時からその可能性に着目し、アップルのResearchKit(Apple Watchのデータを研究に活用するためのAPI)を使って研究を進めていらっしゃった。
従来の治験では、とにかく症例の数を集めるのが難しかった。たとえば今回の研究においても、心拍計を用意し、使い方を説明し、研究の趣旨を理解してくれる人を集め、コンセント(同意)を得て、日々アンケートを取り、計測データを集めることになる。手間もコストもかかるし、実際に多くのデータを集めることは難しい。
しかし、Apple WatchとiPhoneを情報収集のためのIoTデバイスとして使えば、数千、数万のデータを集めることができる。たとえば1%とか、0.5%の人にしか現れない症例のデータの分析をしなければならないとしても、従来不可能だった研究が可能になるといえる。
「本当は、高齢者の方こそApple Watchを使っていただきたいです。心臓病の発作が起きた時や症状があるときに自分で簡単に心電図が取れますし、無症状の不整脈の存在を通知してくれるかもしれません。日々の活動量が計測できるので、自らの健康管理に役立てたり、離れて暮らす方の見守りにも役立ちます。今後、転倒を検知して、誰かに連絡するような仕組みも可能になるかもしれません。心臓の病気は突然起こります。日々記録され続けるデータを振り返ることで、自分の健康状態の変化の気づきに繋がり、早期発見のきっかけになればと思います」と木村先生。
実際に開発にあたったエンジニアの早川さんによると、日本で心電図機能が解禁されて、すぐに公開するのが大変だったとのこと。「ドキュメントはありましたが、大枠のところは先に開発しておいて1月22日に心電図機能が日本公開されて、緊急対応で2月1日にローンチしました。その10日ほどがめちゃくちゃ忙しかったことは覚えています」という。
「医療機器として承認を受けたプログラムのデータだけでなく、Apple Watchが収集する様々なヘルスケアデータを使えるのはいいですね」と言うのはプランニングを担当する有海さん。「最初のApple Watchから、watchOS 2で大きく仕組みが変わりました。そして、watchOS 6の時に出来ることが大きく増えたのを覚えています」とのこと。当初、ファッションや、『小さなiPhone』として高機能を志向するような使い方(メールに返事するとか、SNSを見るとか)、アクティビティロガーとして様々な使い方……などさまざまな可能性が提案されたが、たしかにwatchOS 6以前ぐらいからヘルスケア機能を非常に重要視するようになった。
活用する、しないを問わず、多くの活動データを蓄積しているApple Watch。何も意識していなくても、あなたの日常の心拍や、活動、何をしていたか(モーションセンサーで取得される)は、暗号化されてアップルのヘルスケアアプリに蓄積されている。いつか、そのデータの蓄積があなた自身を救う日が来るはずだ。
また、全国のApple Watchユーザーを対象とした臨床研究に協力することは、医学の進歩にとってはこれまで得られなかった大量の治験データの蓄積に貢献することでもある。そのデータの蓄積の結果が、いつかあなた自身や、あなたの家族の命を救うことになるかもしれない。機会があったら、ぜひ協力してみていただきたい。
私の上司は、心筋梗塞で倒れてから約20年後である今年のはじめに、その時の心臓への負担が原因で世を去った。もしApple Watchをしていたら。もしかしたら、ずっと健康に暮らせていたかもしれない……と、今でも時々思うのだ。
Heart Study AW
https://apps.apple.com/jp/app/heart-study-aw/id1545085347
(村上タクタ)
(最新刊)
flick! digital 2021年6月号 Vol.116
https://funq.jp/flick/magazines/20161/
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PROFILE
flick! / 編集長
村上 タクタ
デジタルガジェットとウェブサービスの雑誌『フリック!』の編集長。バイク雑誌、ラジコン飛行機雑誌、サンゴと熱帯魚の雑誌を作って今に至る。作った雑誌は600冊以上。旅行、キャンプ、クルマ、絵画、カメラ……も好き。2児の父。
デジタルガジェットとウェブサービスの雑誌『フリック!』の編集長。バイク雑誌、ラジコン飛行機雑誌、サンゴと熱帯魚の雑誌を作って今に至る。作った雑誌は600冊以上。旅行、キャンプ、クルマ、絵画、カメラ……も好き。2児の父。