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荻窪圭のマップアプリ放浪「剣呑で面妖で混沌な『渋谷』! だから地図を通して上から見ると面白い」

なんとも渋谷は剣呑である。剣呑で面妖で混沌だ

まず地形が剣呑だ。今渋谷の中心といえば渋谷駅だが、その場所は渋谷川と宇田川の2つの川が合流する地点。水が溜まる場所で冠水しやすい。

地形図をみると、渋谷駅を中心にすごく複雑なのが分かる。渋谷川に対していくつもの小さな支流が流れ込み、細かな高低差が非常に多い。

地形がややこしいので道路網も剣呑だ。歴史的に北関東や江戸と鎌倉や小田原を結ぶ街道が通る交通の要衝のひとつであり、人の行き来は多かった。

明治以降は東に青山練兵場、北に代々木練兵場、西に駒沢練兵場と関連の施設に囲まれて歓楽街が無秩序に発展。街を計画的に作るヒマも何もあったもんじゃなかったんだろうと思う。

『ス−パー地形』で見た渋谷駅周辺。高低差が分かるよう、谷地が緑、台地は黄色になるようカラーを調整した。

だから上から見ると大変面白い。どの道路も碁盤目ではなく、東西南北も無視され、ほとんどの道が微妙にカーブし、多叉路化した交差点もある。地図を見るだけで迷いそうである。

横から見ても剣呑である。ただでさえ地下鉄の駅が地上3階にあるような高低差が激しい土地なのに、それを一新しようと長年の改良を重ねた結果、地上3階に京王井の頭線と東京メトロ銀座線の渋谷駅があり(その2つの路線も駅から数100メートルも出たらもう地下を走ってるのだ)、地上2階にはJR渋谷駅があり、地下3階には東急田園都市線+東京メトロ半蔵門線の渋谷駅があり、地下5階には東急東横線+東京メトロ副都心線の渋谷駅がある。

それぞれの駅は地下や地上でつながっており、案内板を丹念に見ながら歩けば目的地にたどり着けるのだが、今自分が歩いているのは地下何階なのか地上何階なのか、東西南北どっちに向かっているのか分からなくなり、ただ指示に従って歩くしかないというとてもストレスフルな状況に陥るのである。

渋谷駅周辺の断面図をスーパー地形で。上下方向は極端にデフォルメしてある。さらに各路線の高さをおおざっぱに入れてみた。

江戸時代の渋谷は2本の街道が通っていた

古い渋谷を探ってみたい。国立国会図書館デジタルコレクションにある江戸絵図の中で、最も古くて最も正確と思われるものが1673年(寛文13年)発行の『新版江戸外絵図』だ。分かりやすいよう、同じようなエリアを切り取った現代の地図と並べて見て欲しい。

絵図の上から左に向かって緩くカーブしながら通っている太く描かれた道が大山道(矢倉沢往還)。今の国道246号(青山通り)の元となった、中世から使われていた古い道だ。今の宮益坂に相当する。宮益坂の『宮』の語源となった『御嶽神社』(みたけじんじゃ)が『みたけごんげん』という名で描かれている。

地図の一番端っこに描かれているのは『渋谷川』。JR渋谷駅はその渋谷川のすぐ隣にある。今その川は渋谷駅東口地下広場の天井にあるコンクリートの四角いでっぱりの中を流れている(正確にいえば『川』ではなく『下水道』の扱いだ)。

地図に川の外側は描かれてないが、川沿いにひとつぽつんと『イナリ』がある。川の対岸に唯一描かれた存在であり、江戸時代初期から有名だったのだろう。

『新版江戸外絵図』より、渋谷あたり。実に道路が正確で素晴らしい。遠近道印作。
「スーパー地形」より、同じエリアを切り出してみた。御嶽神社と金王八幡宮は当時と同じ場所にある。どちらも坂の上、台地の端にある。

この稲荷神社、渋谷駅ができた当初はまだあった

東京時層地図で明治の終わりと高度成長前夜(昭和30年代前半)を見る。当初のJR渋谷駅(当時はJRどころか国鉄ですらないのだけど)今よりずっと南にあった。高度成長前夜は今の場所に渋谷駅があり、駅の南口あたりに稲荷が残り、渋谷川の真上に東横百貨店(数年前に壊された)が建っている。

この稲荷があった場所はモロに国道246号に被っており、そのために移転して現在は残ってないが(遷座している)、稲荷のすぐ南にある『稲荷橋』はなんとその名のまま現存。渋谷ストリームの入口あたり、川はもうないけれども橋だけは橋の姿のまま残っており、『稲荷橋広場』という名もある。

「東京時層地図 for iPad」より明治の終わりと高度成長前夜の渋谷駅。川沿いに鳥居があるのが稲荷。
かろうじて残った稲荷橋。橋としての仕事はしてないけど。

この稲荷、田中稲荷というのだが『堀の外稲荷』とも呼ばれていた。その『堀』とは渋谷川のこと。

実は渋谷川の内側、台地の上には城があったのだ。渋谷城である。

寛文期の地図を見ると、大山道の『イナバミノ』とあるあたりから南東に折れてぐるっとカーブしながら渋谷川へ向かう道がある。途中『この近辺、志ぶや(しぶや)と云』とある。

この道も現存していて、今の『八幡通り』。ハセ川云々とあるのは『長谷川久三郎』(2代将軍徳川家忠の側近)の屋敷。そのあと松平左京大夫(伊予西条松平家)の屋敷となり、今は青山学院大学だ。

この八幡通りを南下していくと、右手側、大山道とこの八幡通りに挟まれた位置に『八まん』とある。今の『金王八幡宮』だ。実はここが『渋谷城』跡で、八幡通りが『鎌倉街道』と言われている道だ。

通りから鳥居をくぐり、坂を下りてまた少し上った場所にある。つまり街道と神社の間に小さな谷があり、それが城の堀の役割もしていた訳だ。この谷は『黒鍬谷』と名が付いている。そしてこのまま渋谷川に向かって並木橋を渡り、代官山から中目黒の方へ通じているのだ。

この鎌倉街道、北側は大山道と合流して終わっているがその先はどうなっていたかというと、よく分からない。ただ、「マップアプリ放浪『原宿』」で書いた『原宿から勢揃坂』につながっていたはずだ。

そもそも、渋谷城ってなに?

で、そもそもの話なんだけど、渋谷城ってなに?

渋谷城は平安時代末期から室町時代後期まであったという中世の城館。そこにいたのは渋谷氏なんだが、これがまたややこしい。

平安時代末期、川崎を領していた河崎基家の長男、重国が渋谷荘を領して『渋谷氏』を名乗った。でもその渋谷は東京の渋谷ではなく神奈川県の渋谷。小田急線に『高座渋谷』駅があるが、その辺だ。違う渋谷である。

じゃあこっちの渋谷は?というと、渋谷氏が東京の渋谷周辺(谷盛庄)も領したと言う。江戸時代に書かれた『新編武蔵風土記稿』には、地名語源は伝わってないけど、相模国高座群渋谷庄の渋谷重国の支族などがここに移り住み、地名も移ったのではないか(渋谷地名のルーツは神奈川県の渋谷だった説)と書いている。

で、その渋谷氏の城館が渋谷城。そこに渋谷金王丸という若者がいて源氏について闘い、功績を挙げたので源頼朝が桜の木を贈ったという『金王桜』で有名だった。神社は城内に1092年に勧請されたもので、のちに金王丸の名前から『金王八幡宮』となった。

平安時代や鎌倉時代の話はどこまでが史実か分からないけど、とりあえず渋谷氏がいて、渋谷城があってそこに八幡宮が勧請されたのは確かだろう。

金王八幡宮の社殿。背後に森があり、その奥には高層ビル群という東京らしい風景が良い。ここの宝物殿は興味深いので歴史好きにおすすめ。

江戸から行楽で来る場所が『渋谷』だった

渋谷城の終わりも伝わっている。1524年のこと。小田原の北条氏綱が江戸城を攻めるとき、本隊は(当時の)東海道を、別働隊が小杉から渋谷を回って江戸城に向かったのだが、その際に炎上・落城したそうな。

そして、城はなくなって神社が残り、江戸時代になると主君のために戦った渋谷金王丸の伝承はさまざまな形の物語で有名になり、八幡宮も盛りあがったのである。今でいう「聖地」みたいな感じで参拝者がいっぱい来たんじゃないかと思う。江戸から行楽で来るにはほどよい距離だし。

で、明治通りができ、高度成長期に渋谷が発展して無数の小さな建物が並び、国道246号は宮益坂上から南口へつながる幅の広い新道となり、六本木通りとその上の首都高速ができ、混沌を極めたところでガラガラポンと駅周辺が一大再開発の渦に巻き込まれても、金王八幡宮は昔と変わらず神門を持つ立派で緑が多い境内を維持し、渋谷の異空間的存在として残った。

再開発の象徴とも言える渋谷スクランブルスクエアの屋上から金王八幡宮を見下ろすのもまたじわじわと歴史を感じられてよし、である。

渋谷スクランブルスクエア屋上の渋谷スカイから見下ろした金王八幡宮。この一角にだけ自然が残っている。

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荻窪圭 

flick! / ライター

荻窪圭 

老舗のIT系ライター、デジカメライターなるも、趣味が高じて『古地図と地形図で楽しむ東京の神社』(光文社知恵の森文庫)など歴史散歩本執筆や新潮社の野外講座『東京古道散歩』講師なども手がける。 https://ogikubokei.blogspot.com/

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