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荻窪圭のマップアプリ放浪「『銀座』は元、砂州。わずかな高低差が示す周辺の土地との出自の違い」

銀座中央通りは東海道だった

銀座といえば中央通り。銀座松屋に三越に松坂屋(は今はGINZA SIX)といったデパート。和光の時計塔。木村屋に資生堂パーラーに鳩居堂。宝石のミキモトに文具の伊東屋。現存する最古のビヤホール『ビヤホールライオン銀座七丁目店』。

昔からそこで商売してる店を並べるだけでも格が違うエリアだなって思わざるを得ないのだけど、この通りが江戸時代からの大街道だって意識してる人は少ない。実はこの通り、『東海道』なのである。日本橋を起点に江戸と京を結んだ大動脈にして『東海道五十三次』で有名なあの東海道だ。銀座の中央通りをまっすぐ北上すると、京橋を越え、日本橋に至る。南へ伸ばすと新橋を越え、品川を越え、川崎に至る。

銀座の位置を把握しよう。京橋と新橋の間が銀座一丁目から八丁目だ。和光と三越の交差点が『銀座』と書いてあるあたり。『スーパー地形』より。

銀座はかつての江戸前島だった

なぜそこが東海道になったのか。そこが陸地だったからである。

『陸地だった』とはどういうことか?

ここで、スーパー地形アプリを使って『治水地形分類図』を見てみたい。まあアプリを使わなくても、ブラウザを使って国土地理院の『地理院地図』から閲覧してもよい。

『治水地形分類図』で見る銀座。日本橋・新橋間は昔から陸地だったこと、築地方面は埋め立て地であることが分かる。日比谷は家康が江戸に入るまで『日比谷入り江』で海だった。

日本橋から銀座のあたりだけ土地が違う。かまぼこみたいにもこもこした模様がある。これは『砂州』を示す記号。川が運んだ砂や沿岸流で運ばれた海からの砂が自然に集まって陸地になったところなのだ。中世の頃は『江戸前島』と名づけられていた。それを頭にいれてみると、日本橋がある『日本橋川』は人工河川ってのが分かる。日比谷に流れ込んでいた川の流れを変えて隅田川方面へ遷した名残だ。

実はこの江戸前島と江戸城の間、ちょうど新橋から日比谷あたりまでは『日比谷入り江』と呼ばれた入り江、つまり、海で、北から平川と呼ばれた川が流れ込んでいた河口でもあったのである(平川は流路変更されて日本橋川になってる)。

日比谷入り江は江戸城の真ん前で、そのままでは城下町を作るのに都合が悪い。そこで、徳川家康は神田山(今の駿河台)の土で埋め立てさせたのだ。

埋め立て地なので地盤はゆるい。

2011年の東日本大震災でも日比谷公会堂の足元で地盤沈下が起きてるし、日比谷にあった今は無き三信ビルのエントランスの階段も道路が地盤沈下で下がったため最初の数段だけ新しいコンクリートになっていた。

中央通りは砂州の上を通る道が起源だった

実は今でも地形の名残はある。三越や和光がある銀座四丁目交差点を横切る晴海通りで見てみよう。日比谷公園前の標高は2.185m、東銀座の歌舞伎座前の標高は2.696mなのに対し、銀座四丁目交差点は4.3mあるのだ。普通に歩いてるとぜったいに気づかないけど、銀座は日比谷や東銀座・築地と比べてちょっとだけ標高が高いのである。微高地だったのだ。

で、街道には安定した地盤が欠かせないので古くから陸地だった江戸前島のど真ん中を通したのだ(たぶんね)。ちなみに、日比谷入り江を埋め立てたとき、溜池などからの水を海に流す水路(三十間堀)を作った。そこにかけた橋が『新橋』。新橋は『新しい橋』と書くけど、それは『江戸時代初期の時点で新しい橋』だったわけで、もうちょっと大層な(日本橋や京橋クラスの)名前を付けておけば良かったのに、と思う。

銀座には銀座があったから銀座だったのだった

その東海道がなぜ銀座になったのか。地図で遡る連載としてはなんとしても『銀座』のある古い地図を見つけたい。

お馴染みの『国立国会図書館デジタルコレクション』で江戸の絵図を探す。検索キーワード『江戸庄図』で見つけた。元和2年(1614年)と書かれていた江戸絵図。のちに写された絵図のようだが、表紙に『元和2年』とあるので一応信用する。

その銀座あたりを拡大してスクリーンショットを撮ってみた。数寄屋橋や新橋があり、三十間堀の外側、歌舞伎座があるあたりはまだ海だったのである。

今の銀座二丁目あたりに『銀座』という文字が見える。『銀座』は銀貨の鋳造所。銀座地名の語源である。その後銀座は移転したけれども、通称地名として(正式には新両替町だった)残ったのだ。

江戸時代初期。右が北。銀座の東側はまだ海。銀座二丁目に『銀座』と書かれた一角がある。ここに鋳造所があった。国立国会図書館デジタルコレクションより。
こちらは元禄期(1700年前後)の江戸絵図。海がどんどん陸地になってる。でも基本的な町割りは今と同じだ。国立国会図書館デジタルコレクションより。

これが元禄期の江戸絵図になると、江戸の街も発展し、景気も良くなり、江戸前島沖もかなり埋め立てられて陸地になってきた。

江戸時代、銀座だったのは銀座四丁目まで。銀座五丁目と六丁目は尾張町一丁目とニ丁目、銀座七丁目は竹川町、銀座八丁目は出雲町だ。

この頃の銀座は職人の町で、老舗が並んで賑わってたのは尾張町の方。江戸名所図会に、布袋屋、亀屋、恵比須屋の3件の呉服店が描かれている。このうち布袋屋は新宿三丁目にデパートとして進出して失敗し、その建物も今は伊勢丹新宿店の一部になってる。

『江戸名所図会』に尾張町(今の銀座五丁目、六丁目)の賑やかな様子が描かれてる。左上から右下へつながる道が東海道だ。国立国会図書館デジタルコレクションより。

関東大震災前は、レンガ建てのモダンな街だった

とまあ、江戸時代はそんな感じだったのだけど、銀座が大きく発展するのは明治5年の大火で焼失したあと。イギリス人建築家の手によって道幅を拡げ、燃えないようレンガ建築にする新しい街が作られた。横浜から新橋まで鉄道が通った頃なので、そこからつながる街として整備されたのかな、という気がする。

では当時の銀座の様子を写真で見てみよう。国立国会図書館デジタルコレクションで『東京 写真帖』で検索。すると山ほどヒットする。古い写真を見たいので『出版年』で絞り込むと、あとは目視で見当をつけられる。

明治42年に出版された『東京名所写真帖』を開くと、『新橋から銀座通りを望む』にまだ橋だった頃の新橋が写っていた。その奥に『CAFE SHINBASHI』や『デパートメントストーア』とあるビルが見える。橋の左手にあるモダンな建物は『博品館』だ。明治42年にカフェやデパートメントストアである。すごいよね。

『新橋より銀座通りを望む』とある。中央の橋が新橋だ。国立国会図書館デジタルコレクションより。

やがて洋風の文物が流行る大正デモクラシーの時代になり、『銀ぶら』という言葉もあらわれたところに大正12年の関東大震災。いったんレンガ造りのモダンな街はここで消えるが、ここからの復興が今の銀座のはじまりだ。

その後の復興が、今の銀座に続く

大正13年に松坂屋(実は銀座で一番古いデパート)、大正14年に銀座松屋、さらに昭和5年に三越が開店。昭和7年には銀座四丁目のシンボル、和光の時計台(当時は服部時計店ビル)が建ち、昭和9年にはビヤホールライオン銀座七丁目店が開店する。

当時の様子を写真で見てみよう。国立国会図書館デジタルコレクションで面白い写真を見つけたのだ。『大東京写真帖』。出版年は不明だが、内容を見るに、昭和4~5年だろう。そこから3枚ほど引っ張り出してみた。

大東京写真帖の表紙。このカラーの表紙がいい。国立国会図書館デジタルコレクションより。

『銀座街の二大デパート、松屋と松坂屋』。『新橋から見た帝都の心臓銀座通り』はカラー写真。『東京のピカデイリ銀座尾張町付近の夜景』とある。ピカデリイと書きたかったのだろうが、ピカデイリもちょっと可愛くていい。

『銀座街の二大デパート松屋と松坂屋』。左が松屋で右が松坂屋。松屋はこの建物を今でも使ってるはず。外装を外したらこの建物が現れたら面白い(浅草松屋はそれで創業時の姿に戻した)。国立国会図書館デジタルコレクションより。
『新橋から見た帝都の心臓銀座通り』。子供の落書きらしい赤い線が素敵なカラー写真。中央のビルは松坂屋。奥に松屋が見えるので手前は建設中の三越ではないかと思う。国立国会図書館デジタルコレクションより。
『東京のピカデイリ銀座尾張町付近の夜景』。この時点でカラーの夜景写真があるのはすごい。夜の賑わいがよほど有名だったのだろう。国立国会図書館デジタルコレクションより。

そして2003年、銀座松屋の向かいにあるサエグサビルを改装して、日本最初のアップルストア銀座がオープンする。……って最後おもいきり100年近く飛んじゃったけど、まあ明治以降銀座はずっと日本で一番のモダンな繁華街なのである。そうそう『銀座』があるのなら『金座』もあるはず、と思うよね。もちろんあった。その跡地あたりにあるのが日本銀行である。

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荻窪圭 

flick! / ライター

荻窪圭 

老舗のIT系ライター、デジカメライターなるも、趣味が高じて『古地図と地形図で楽しむ東京の神社』(光文社知恵の森文庫)など歴史散歩本執筆や新潮社の野外講座『東京古道散歩』講師なども手がける。 https://ogikubokei.blogspot.com/

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