ハワイの歴史と文化を、アロハシャツで紐解く。

夏を盛り上げるための必須アイテム、アロハシャツ。しかし、その大胆かつ豊富なデザインは、単に南国気分を盛り上げる派手さを求めているわけではなく、多くがハワイ特有の自然や文化、歴史に由来している。「アロハはハワイの文化史」と言っても過言ではなく、アートとしても楽しめる代物なのだ。

あなたが何気なく着ているアロハにはどんな歴史や文化が秘められているのだろうか? 『サンサーフ』が完全再現した希少なヴィンテージアロハのモチーフから、知っておきたい代表的な6つの柄について紹介していこう。

1.ハワイの精神文化「レイ」

Lei Queen /  / HAWAIIAN SURF / 1930年代後期 / レーヨン羽二重 / 抜染プリント /各2万520円(サンサーフ / 東洋エンタープライズ)

旅行者を歓迎する意味だけでなく、送る相手への感謝や祝福の意味が込められているハワイアン・レイ。その起源は魔除けや幸運祈願、そして神々への信仰を表すものとして誕生し、先史時代からハワイに暮らす人々の精神文化として継承されている。そのレイを讃える祭典「レイデイ」が、勤労感謝の日でもあるメーデーの、毎年5月1日に行わている。

そのレイデイの始まりは1927年。詩人であり作家であり、ジャーナリストでもあったアーティスト「ドン・ブランディング」 が、レイの文化をより深く知ってもらうための祝日として提唱したのがきっかけ。この日はレイの完成度を競う品評会の他に、厳しい審査のうえレイ・クイーンを決めるコンテストが行われる。

この特別な一着であるアロハシャツのモチーフになっているのは、まさにそのレイデイの祭典の情景。このオリジナルは1930年代のアロハシャツ史における最初期に作られた歴史的価値の高い一枚で、手掛けていたブランドは『ハワイアン・サーフ』。同銘柄は1934年に設立したパシフィック・スポーツウェア社が展開していた。

2.今はなきハワイ航路「マトソン・ライン」

Festival  / PALI HAWAIIAN STYLE / 1950年代後期 / レーヨン壁縮緬 / オーバープリント / 2万4840円(サンサーフ / 東洋エンタープライズ)

かつて楽園の島ハワイへの観光を担っていた豪華客船による船旅。そのマトソンラインと呼ばれる、米国本土からハワイを結ぶ洋上の旅で使われた客船内は様々な装飾が施され、レストランで使われるメニューの表紙はユージーン・サヴェージなど当時活躍していたアーティストが手掛けていた。

このオールオーバー・パターンで仕立てられた一着は、サヴェージが描いた6枚のメニュー・デザインのうちの1枚「FESTIVAL OF THE SEA」がモチーフ。当時、日本で友禅の職人がシャツ用の絵柄として描き直し、京都の捺染工場で22色もの版を使いプリントしていた。

当時この生地を手掛けていたのは、日系人のイサム・タカブキ率いるアロハ貿易。戦後すぐに廃校となった小学校を買い取り、プリント工場を設立。和装用の生地であったレーヨン壁縮緬に多色のトロピカル柄をプリントし、ハワイへ輸出していた。

3.神にささげる踊り「フラ」

Banana Trees / ALOHA KANAKA BY ARTVOGUE / 1950年代中期 / レーヨン羽二重 / 抜染プリント / 各2万520円(サンサーフ / 東洋エンタープライズ)

現在の観光的娯楽とは異なり、先史時代のハワイにおけるフラは、神々にささげる神聖な踊りであった。森羅万象すべてのものに宿る精霊「マナ」へ感謝と祈りの気持ちを表したこのフラは、文字を持たなかったハワイの人々が後世へその歴史を伝える物語であった。

この伝統的神事を踊るフラガールを、見事なホリゾンタル・パターンへ落とし込んで作られた1枚は、ヴィンテージ・アロハシャツのカテゴリーにおいて、高い評価を得ている逸品。このオリジナルを手掛けたのは代後半に1940代後半に創業し、サンフランシスコを拠点にしていたアパレルメーカー『アートヴォーグ・オブ・カリフォルニア』。

同社のレーベルのひとつであるアロハ・カナカ(親愛なるハワイの人々という意味)の織りネームが使われている。そしてシャツ全体に青々と生い茂るバナナツリーと、その下で踊るフラガールたちを描いたこのテキスタイルデザインを手掛けたのは、ポール・ゴーギャンと同じポスト印象派の画家ウルフギャング・ウルフ。太平洋に浮かぶ楽園ハワイの美しい情景が、アロハシャツをキャンバスに今、甦る。

4.伝統漁法「フキラウ」

Hukilau / ROSS SUTHERLAND BY SUN FASHIONS / 1950年代後期 / レーヨン・リネン・ホップサック / オーバープリント / 各2万520円 (サンサーフ / 東洋エンタープライズ)

紺碧の大海原に囲まれるハワイの島々。それ故、ハワイに暮らす人々に豊かな恵みを与えてくれる海の幸は掛け替えのないもの。フキラウと呼ばれる地引網を使った伝統漁法は、年代に1950年代に入ると観光客向けのアクティビティとしても人気を博し、観光客たちは捕った魚でバーベキューを楽しんでいた。

そんなハワイならではの伝統漁法をバックパネル・パターンで描いたアロハシャツの逸品は、良質な商品のセレクトにより絶大な人気をハワイ・ホノルルで誇っていた洋品店『ロス・サザーランド』によるもの。同店がハワード・ホープ率いるシャツメーカー「サン・ファッションズ」にオーダーした作品で、麻とレーヨンの混紡糸を使い、特別に織られた生地を使用している。

ヴィンテージ・アロハシャツの中でも年々入手困難となり、価格も高騰しているバックパネル・パターンの秀逸デザインとなるこの1枚は、コレクター垂涎の一着となるだろう。レーヨン・リネン・ホップサック/オーバープリント。

5.「日系移民文化」

Demon On Japan Beauty /SUN BROS & CO / 1950年代後期 /  レーヨン壁縮緬 / オーバープリント / 2万5920円(サンサーフ / 東洋エンタープライズ)

アロハシャツの起源は諸説あるが、日系移民の存在が深くかかわっているのは間違いない。彼らが日本から持参した和装の生地独特の色や柄が現地の人々や観光客には新鮮に映り、アロハシャツの黎明期には和装用の生地を使って仕立てた開襟シャツが人気を集めていた。

そんな歴史的背景を持つ和柄のアロハシャツの中で、傑作と呼ばれるモデルが存在する。怒りと憂いの表情を携えた般若の面をメインモチーフとした、迫力のあるテキスタイルデザインがそれだ。当時の大手商社であった東光貿易のブランド『サン・ブラザーズ&カンパニー』が手掛けた作品で、このように般若の面をモチーフとしたアロハシャツは数が少なく非常に稀少価値が高い。

同社は輸出用の生地を扱う商社であったが、1950年代後期になると日本での縫製が盛んになり、生地ではなくシャツとして輸出する機会が増えていった。このラベルにある「YOKOHAMA JAPAN」の記載は、同社の輸出拠点となり縫製工場を建てた横浜港に由来する。

6.伝説のサーファー「カハナモク」

Wondrous Palm Tree /  DUKE KAHANAMOKU / 1950年代後期 / レーヨンフジエット / 抜染プリント / 各2万1384円 (サンサーフ / 東洋エンタープライズ)

オリンピック競泳のゴールドメダリストであり、サーフィンというスポーツを確立させたハワイの英雄にして伝説のウォーターマンであるデューク・カハナモク。自らの知名度を活かしハワイの文化を世界へ広め、発展に尽力した人物である。彼は自身の名を冠したブランドを1930年代からスタートさせ、当時、観光客向けのギフトとして人気のあったアロハシャツの地位を、ファッションアイテムとして扱われるところまで引き上げた。

そのスペシャルな逸品は、アメリカ本土のメーカーが手掛けたアロハシャツならではの秀逸なデザイン。オールオーバー・パターンでプリントされたテキスタイルには、洗練された雰囲気とともに強いインパクトを放つ、モノトーンのヤシの木が大きなドットで描かれている。この作品は過去に出版されたアロハシャツ関連の書籍にも登場することのなかった、珍しいデザインである。

※掲載情報は取材当時のものです。

※現在取り扱っていない場合もありますので、ご了承ください

(出典:『Lightning 2019年6月号』)

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ADちゃん

Lightning編集部

ADちゃん

スケートカルチャーシーンでは実は名の知れた存在で、社内に隠れファンが多数いるほど。だが普段はそんな雰囲気はまったく醸し出していないため、ただの笑顔のステキなお兄さんと思われている。ミリタリーについても、モヒカン小川に並ぶ知識の持ち主

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