コレクターズ・クラブまで設立した、生粋のコカ・コーラ収集家。

36年間集め続けてきたコカ・コーラ グッズで、真っ赤に染まった自宅と社屋。そんな〈コカ・コーラミュージアム〉と化した空間の主は、コカ・コーラコレクターの末永修一さんだ。今回特別に、コカ・コーラグッズを眺めて暮らせるように、理路整然とディスプレイした非公開の館を案内してもらった。

伝説のコカ・コーラコレクターは札幌にいた!

コカ・コーラコレクター末永修一さん。コカ・コーラの景品欲しさに、缶コーヒーもジュースもお茶もコカ・コーラ製品を買いだめ。昨年12月に立ち上げた「Japan Coca-Cola Collectors Club」ではfacebook でメンバーを募集している。

大量生産、大量消費がアメリカの文化だ。その最たるもののひとつを、長年集めてきた人が札幌にいる。収集の対象は「コカ・コーラ」。コークに関するものなら、旧い瓶はもちろん、販促品から紙コップ、冷蔵庫までなんでもコレクションしている。

コレクションは捨ててしまうようなものも収集。

コレクター垂涎の、珍しいボトルや缶なども所有する。左からペーパーカートン。昭和40年代のボトル。ミリリットルが英語大文字表記の500ミリリットルボトル(昭和42年)。1974年製の1リットルボトル。昭和40年に初めて発売されたコカ・コーラ缶。

その中に半世紀ほど前によくお世話なった、瓶のコカ・コーラを運んだ紙のパックを発見した。「これは『ペーパーカートン』と言います。このタイプは、1962~66年頃まで使われていました」と、末永さんは教えてくれた。瓶のコークをまとめ買いすると、ペーパーカートンに入れて持たせてくれたものだ。瓶を返すときにも使ったはずだが、捨ててしまうようなものも、末永さんからすると大切なお宝なのである。

加山雄三が起用されたのは、昭和42年。若大将が登場するTV-CMも複数制作された。ちなみにコカ・コーラのCMには、井上順が先に登場していた。

度肝を抜かれたのは、歴代のポスターだろうか。加山雄三を筆頭に、森繁久彌、渡辺貞夫、麦わらのルフィなど、コカ・コーラが起用してきた、そうそうたる人達のポスターがシワ一つなく、真新しい状態で壁に飾ってあった。

「その時代の旬な人が登場するコカ・コーラのポスターは、時代を写す鏡なのかもしれませんね」

自社の3階の壁と踊り場には歴史を飾ったポスターが所狭しと飾ってある。森繁久弥、渡辺貞夫、倉本昌弘、松山千春、当時人気が出始めていた早見優など、階段の壁面と踊り場は歴代のポスターで埋めつくされていた。ちなみに、真っ赤なTシャツ姿のトレイシー嬢は一番左。

壁に立てかけてあった1枚のパネルに目がとまった。40年ほど前、雑誌広告にも使われていた、真っ赤なTシャツ姿の女の子のパネルだった。

「その人はトレイシーといって、当時UCLAの学生でした。5000人ほどオーディションをした中で、採用されたそうです」

どこかから持ち出してきたノートを見ながら説明してくれた。俳優でもタレントでもモデルでもない素人の名前や、ペーパーカートンの名称やそれが使われていた時期がよくわかるものだ。

「ペーパーカートンやポスターがいつ作られたのか、コカ・コーラの歴史も調べてきました。集めるだけでなく、コカ・コーラについて調べるのが面白いんですよね」

社史や資料を読み解き、知識を向上。

自宅2階の壁面は、巨大な琺瑯看板や時計に占領されていた。大きな丸い琺瑯看板は1960年代のもの。黒の帽子に黒の手袋をした女性のボードは、1961年にアメリカで制作されたものを1965 年に日本でリメイクしたもの。

大好きなコカ・コーラのことについて間違ったことを覚えたくないし、人にも教えたくない。そんな思いもあり、18年前、32歳の頃から、オークションや古本屋でコカ・コーラボトリングの社史などを入手。貴重な資料を紐解き、コカ・コーラの歴史を勉強している。わかったことがあると、自作のノートに書きとめてきたそうだ。

紙コップも大切なコレクターズ・アイテム。「ディズニーとコラボした紙コップがJALで使われると知り、紙コップが欲しくてJALに乗りました。同じ柄のもの(下段右)もありますが、サイズ違いなので飾ってあります」

膨大なコレクションを、それぞれきちんと分類しつつ、きれいに展示しているところにも驚かされた。これまでいろいろなジャンルの収集家に会ってきたが、整理整頓とディスプレイ能力は群を抜いていた。聞けば、リフォーム会社の経営が本業だそうだ。

「32歳で最初の家を建てたとき、コレクションを展示できる設計にしました。いま住んでいる家は3軒目。専用の棚を作り、自分が見て楽しめるように展示しています」

ラックや専用の収納棚を作り、お宝をディスプレイ。会社と自宅を、私設コカ・コーラ・ミュージアムにしてしまったというのだ。収集品の数は、数万点。収集をはじめたのは14歳のときに遡る。

14歳でコレクターの道へ。

この記念ボトルを受け取ったことでコレクターに変身。14歳のとき営業マンから貰った、東京コカ・コーラボトリング25周年の記念ボトル。コカ・コーラ収集家への道を歩みはじめることになった、末永さんにとっての記念ボトル。

物心つく頃から、実家(帯広)がコカ・コーラを販売していた。中2のとき、担当の営業マンが、東京コカ・コーラボトリング25周年の記念ボトルをプレゼントしてくれた。市販品とは異なる、変わった形の瓶だったことから、飲まずに自分の部屋に飾った。それがすべての始まりだった。

営業マンが新製品を運んだクーラーボックス。冷やした缶を持ち歩き、販売店で試飲してもらった。右側には所有者と思われる小林の名がサインペンで書かれていた。

販促品やポスターなども届けてくれた、サンタクロースのような営業マンのおかげで、部屋がコカ・コーラ一色に染まっていった。実家には、空き瓶や空き缶や王冠がごろごろしていた。まだ中学生。お小遣いも少なかったので、瓶や缶や王冠を集めはじめた。王冠に各地域のボトラーの名前が明記されていたり、瓶の表記にもいろいろあり、瓶のくびれのあるなしなどの違いもあった。それに気づき、のめり込んでいった。

「僕の人生は、中学時代に決まってしまいました。中学のとき好きになったものに囲まれて暮らしています」

収集家のクラブを設立し、会長に就任。

アジア各国で開催されるコレクターズ・フェアミーティングにも参加してきた。会場は、コカ・コーラの真っ赤なTシャツを着たファンでいつもいっぱいだった。そんな風景を見るにつけ、日本でもいつかフェアミーティングを開きたい。それにはクラブを組織しなければならない。そう思い昨年暮れ、「ジャパン・コカ・コーラ・コレクターズ・クラブ」(JCCCC)を設立。会長に就任した。

「来年6月、札幌で世界中のコレクターを集めたフェアミーティングを開催する予定です」

ただ集めるだけでなく、コカ・コーラの歴史的背景や文化も調べているJCCCC会長の末永さんに、コカ・コーラへの愛を感じた。

「愛とは違います。コカ・コーラへのリスペクトなんですよね」

まだまだあります、末永さんのコレクション。

アメリカから取り寄せた、電気冷蔵庫以前の「冷蔵箱」。

「電気ではなく、氷と水を入れて冷やした、コカ・コーラのオリジナルの冷蔵庫です。アメリカで使われていたものを取り寄せ、会社に飾ってあります」

ひたすらコカ・コーラ製品を飲み続けて応募した懸賞品。

コカ・コーラの懸賞品として開発された自転車。手前のポルシェデザインは缶に貼ってあった応募シールを送ったところ当選した。プジョーはハズレたものの、道内のリサイクルショップで偶然見つけ、迷わずに購入した。

着ずに保管しているTシャツやトレーナー。

コカ・コーラの衣類もコレクションしてきた。VANとのタイアップで作ったタンクトップ(右上から2点目)や限定品なども所有する。「大半が非売品です(笑)」

コカ・コーラが配った、資料価値のある貴重な非売品ボトル。

マクドナルドのロゴ入りボトルは、2001年に日本マクドナルド30周年を記念してリニューアルされた、横浜の店舗で来店客などに配布された非売品。その隣はダイエーホークスの優勝記念ボトル。

※掲載情報は取材当時のものです。

(出典:『Lightning 2019年7月号』)

SHARE

PROFILE

ラーメン小池

Lightning編集部 ディレクター

ラーメン小池

Lightning編集部、CLUTCH magazine編集部を経て、Lightning編集長を務めた後、現ディレクター。アメリカン・カルチャー、特にヴィンテージ・アメリカンをこよなく愛する。クルマから雑貨まで、あらゆるアイテムに食いつくのが悪い癖

Lightning編集部、CLUTCH magazine編集部を経て、Lightning編集長を務めた後、現ディレクター。アメリカン・カルチャー、特にヴィンテージ・アメリカンをこよなく愛する。クルマから雑貨まで、あらゆるアイテムに食いつくのが悪い癖

Lightning TOPへ

No more pages to load