
インディアンジュエリーとは? 歴史と名品、巨匠を振り返る。

サカサモト
- 2020年02月09日
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昨今、インディアンジュエリーがブームとなっている。ひとえにインディアンジュエリーと言っても、千差万別。ヴィンテージにこだわる人もいれば、アーティストやターコイズに夢中になる人もいる。ひとつ言えることは、その歴史を知れば、インディアンジュエリーはもっとおもしろくなる!
【1880年代~】ナバホ族のブラックスミスからシルバースミスへ。この時代にシルバーとターコイズが邂逅する。
インディアンジュエリーの始まりにおいては、様々な諸説が存在する。今回の企画では、1880年代にナバホ族のシルバースミスがシルバーに出合い、1900年代初頭にターコイズを組み合わせたという説を基に展開していく。ナバホ族は、16世紀末から17世紀に掛けて、スペイン軍との交易を経て、鉄や銀に関する技術を学び、移動手段の馬や羊毛で織るラグのノウハウなどを手に入れた。ゴールドラッシュに湧く西部開拓時代にはアメリカ軍とナバホ族が激突。悲劇として今も語り継がれるロングウォークを経て、1868年に現在のリザベーションへ移り住んだ。ここで銀の技術を上達させ、馬蹄などの鉄製品を作っていた一部のブラックスミスが、シルバースミスへと変わっていく。当初は銀貨を叩いたボタンやスプーン、弓の弦から手首を守るボウガードなどの日用品が中心。そして1880年代にスレンダー・メーカー・オブ・シルバーとアツィディ・ジョンというナバホ族の職人が先述したインディアンジュエリーを作った。
スプーンなどの実用品が中心だった。
こちらはナバホ族の作ったスプーンにフォーカスした洋書。このようにシルバー製のスプーンには、ジュエリー同様のスタンプワークなどが施されている。銀細工の技術は、生活に必要な日用品を作るのに欠かせなかった。
そして自身を鼓舞する装飾品へ変わっていく。
1880年代に生まれたターコイズとシルバージュエリーを組み合わせた造形は、しばらくの間ナバホ族の専売特許だった。旧くから神の贈り物だと崇められていたターコイズの付いたジュエリーは儀式でも使われた。
【豆知識】当初はタガネではなく釘などで柄を形成した。
黎明期は、釘などでパターンを刻むエングレービングという手法が使われた。後にスタンプワークへ発展していく。これは現代のトップアーティストであるマッキー・プラテロのバングルで氏が得意とする。
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【1920年代~】鉄道が通ったことで居留区が観光地となった。コマーシャルジュエリーが台頭。
1869年に初となる大陸横断鉄道が開通し、その後インフラが進んでいく。ネイティブアメリカンたちの居留区にも鉄道が通り、物流と旅客で経済が発展。白人が経営するトレーディングポストと呼ばれる交易所ができたのも、この頃から。そこへインディアンジュエリーやラグなどを持ち込み、現金や日用品と交換するようになる。そしてリザベーションが観光地になると睨んで、いち早く仕掛けたのが、英国からの移民であったフレッド・ハービー氏。西海岸とシカゴを結ぶサンタフェ鉄道の食堂車を皮切りに、次々とホテルやレストランをオープン。簡素に作った大量生産のインディアンジュエリーなどをスーベニアとして販売するなど、後に『フレッド・ハービースタイル』と呼ばれるコマーシャルジュエリーを作り上げた。特に1920年代から’40年代頃まで盛り上がり、多くの観光客が購入。それまで部族内の装飾品だったインディアンジュエリーを大衆化させた功績は非常に大きい。
コマーシャルジュエリーはフレッド・ハービーが草分け。
『チーフ号』などの豪華旅客列車を擁したサンタフェ鉄道とともに、リザベーションを観光地として活性させたフレッド・ハービー社。インディアンジュエリーをお土産として最初に展開した。



お土産品のためわかりやすいモチーフが中心だった。
東海岸から来る旅行客にとって、大自然の中にあるインディアンカントリーの風景やそこで暮らす人々の生活様式は実に新鮮だった。ネイティブアメリカン独自の文化を象徴するわかりやすいモチーフを使ったインディアンジュエリーは、観光客にとって格好の土産品となった。





【豆知識】インディアンメイドと呼ばれているハンドメイドの逸品。
当時のヴィンテージ=フレッド・ハービースタイルではない。この手のアクセは大量生産を目的としていたため、機械でのプレスも多い。ヴィンテージの中にも、当時のシルバースミスがすべて手作業で作ったアーカイブももちろ
んある。参考商品(ラリースミス)

【1930年代~】今のインディアンジュエリーの礎を作った偉大なアーティストが出現。
手軽なフレッド・ハービースタイルのジュエリーが全盛を迎える一方で、ナバホ族の作家は確実にその技術を磨いていった。シルバースミスから作家へステップアップした伝説の人物がこの年代より頭角を現す。それがここで紹介するフレッド・ペシュラカイだ。ペシュラカイ(=ベシュラギ)とはシルバースミスという意味。彼は第一人者であるスレンダー・メーカー・オブ・シルバーの息子または孫という説がある。しかし1880年代に作られたことを考えると、年代的には後者の方が腑に落ちる。独自のスタンプワークや、捻ったワイヤーでターコイズを縁取る意匠など、次々と洗練されたデザインを考案。’30年代にはニューメキシコ州のフォートウィンゲート寄宿学校でジュエリー製作を教え、後に偉大な作家となるケネス・ビゲイなどを指導した。
Fred Peshlakai
最近、フレッド・ペシュラカイのアーカイブを集めた本が出版されるなど、今も評価され続けているナバホ族のレジェンド。今までにない技術とデザインを編み出した。その一方で、学校で講師を務め、そのノウハウを惜しみなく後世の作家たちに伝えていった。


【豆知識】数々の名作家を輩出した伝説のショップも開店。
同じ年代に大きな影響力を持っていたのが、フランク・パタニア。1899年生まれのイタリア人で東海岸にて活躍した後に、サンタフェへ移住。1927年にサンダーバードショップという工房を構えた。そこで働いていたのが、ジョー・H・クィンターナやジュリアン・ロバートといった後に活躍する大物作家たちだった。

【1960年代~】民芸品から、高級デパートでも取り扱われるアートへと邁進し、巨匠誕生。
第二次世界大戦で勝利したアメリカは、空前の好景気を迎えた。様々なインフラが整い、人々のライフスタイルは一変した。車の普及率や性能の向上、大型旅客機の登場によって、鉄道の需要は減り、フレッド・ハービーは徐々に求心力を失っていく。そうした状況下でインディアンジュエリーは、優れたアーティストたちの出現によって、民芸品からアートへと進化を遂げる。その筆頭がチャールズ・ロロマ。ホピ族のアーティストで、10代の頃からその才能を見出され、ニューヨークやパリに行く機会を与えられていた。その部族の伝統からかけ離れたコンテンポラリーなデザインは、多方面で評価され、サックス・フィフス・アベニューといった高級デパートでも取り扱われる。またフレッド・ペシュラカイの教え子であるケネス・ビゲイ、戦前からある名店サンダーバードショップやトーブターペン出身の作家たちが躍進。’30年代に植えられた種が、’60 ~’70年代に掛けて開花した。
Charles Loloma
『着ける彫刻』と評される立体的なフォルムや美しいインレイワーク、アシンメトリーなデザインなどが特徴のホピ族の大作家。コンテンポラリー・インディアンジュエリーの第一人者と言われ、自家用ジェットを所有するほど大成功した。



Fred Thompson
1921年生まれのナバホ族の巨匠。2002年に他界。’30年代より名門として知られるトレーディングポスト『トーブターペン』で働き、‘70年代頃に独立。ターコイズとレッドコーラルを組み合わせたリング。(スカイストーン・トレーディング)
Joe H Quintana
大人気アーティストであるシピー・クレイジーホースの父親でもある超が付く有名作家。リビングレジェンドであるジュリアン・ロバートと同じサンダーバードショップ出身。大きなブルージェムのバングル。(スカイストーン・トレーディング)
【1970年代】インディアンジュエリーブームの影響もあり、ターコイズが急騰!
’70年代は、ハリウッドスターやロックスターがこぞってインディアンジュエリーを身につけたこともあり、空前のブームとなる。それに加えて、ある経済誌がこれからターコイズの価値が上がるため、投資として最適だとの記事が出たことで、トルコ石の価値が急上昇。それを煽るかのように、雑誌『アリゾナハイウェイズ』では、度々ターコイズに関する特集が組まれている。そこにはターコイズコレクターとしても有名で、数々のアーティストを育てたC.G.ウォレスも協力。グレードの高いターコイズに特化したジュエリーも多く見られる。
多くのターコイズ特集を企画!
アリゾナに特化した情報誌である『アリゾナハイウェイズ』。’70年 代にはターコイズの関する特集をいくつも掲載している。そのクオリティの高さも素晴らしい。それもそのはず、C.G.ウォレスを始め とする歴史的なコレクターたちが惜しみなく撮影に協力していた。


【豆知識】知っておきたい3 大ターコイズ。
アメリカで採掘されるターコイズのトップ3と言われているのがこちら。次にビズビーやレッドマウンテンなどが数えられる。簡単に手が出るものではないが知っておきたい。
ランダーブルー

ローンマウンテン

ナンバーエイト

▼ターコイズのグレードなど見分け方が知りたい方はこちら!
【1980~2010年代】脈々と受け継がれる伝統と日本ブランドの躍進。インディアンジュエリーの進化は今なお続く。
今のインディアンジュエリー界で、名実ともに頂点に君臨しているのが、マッキー・プラテロ。’80年代から活動し、常に斬新な作品を作り続けている。いろんなショーに出展し、そこでアワードを受賞することが大作家になるためのセオリーなのだが、マッキー・プラテロはショーに出ることはなく、そのセンスだけで今の地位を築いた。また注目したいのが日本ブランド。インディアンジュエリーを深く理解した上で、日本人の感性や技術で作り上げるプロダクトは、一種独特の魅力を持ち、新たなジャンルを築いた。
Mckee Platero
マッキー・プラテロはナバホ族のアーティスト。世界中に多くのファンを持ちつが、年に数個しか作らないためその作品が市場に出ることは稀。トラディショナルな手法を駆使しながらも、それまでにない斬新な作品を飛び抜けたセンスと技術で作る。

独自に解釈した実力派のジャパンブランド。
SKY BLUE HAWK

LARRY SMITH

(出典/「Lightning 2015年8月号 Vol.256」)
- BRAND :
- Lightning
- CREDIT :
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Text/S.Sato 佐藤周平 Photo/S.Sawada 澤田聖司、M.Watanabe 渡辺昌彦
問い合わせ/ スカイストーン・トレーディング TEL0267-41-1717
バーニーズ ニューヨーク カスタマーセンター TEL0120-137-007 ラリースミス TEL03-5794-3755
取材協力/ 中野光章(バーニーズ ニューヨーク)
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PROFILE

Lightning / 編集者
サカサモト
編集部のなんでも屋。CLUB HARLEY→Lightning→2nd、そして再びLightning編集部へ移籍。結果クルマ、バイク、古着などオールラウンダー編集者に。ニックネームは、スキンヘッドにヒゲ面をいう「逆さ絵」のような顔に由来する
編集部のなんでも屋。CLUB HARLEY→Lightning→2nd、そして再びLightning編集部へ移籍。結果クルマ、バイク、古着などオールラウンダー編集者に。ニックネームは、スキンヘッドにヒゲ面をいう「逆さ絵」のような顔に由来する