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映画『SPOONS』とサンタバーバラ物語_vol.1

2020年に公開されて、大きな話題を呼び、サーフィンという枠を超えて、多くの映画賞を受賞した『Spoons: A Santa Barbara Story』。サブタイトル通り、カリフォルニア有数のリーフブレイク、リンコンを誇るサンタバーバラのサーフィンヒストリーがそのテーマだ。DVDもリリースされているコアな映画の裏側や時代背景をNALUでお馴染みの抱井先生が解説する。
◎出典: NALU(ナルー)no.120_2021年4月号

サーフボードに革命を起こしたデザインについて

出だしは「ん?」、最後は「うん」

この映画のログライン(謳い文句)に『イェーターとグリノーがこの地球上最高の波の為にサーフボードを造った時、サーフィンの方向性は永遠に変わった』とあるが、はっきり言ってそこまでサーフィンの方向性が永遠に変わったとまでは、とても言い切れない…まずは、そう感じた。でもそれはきっとログラインの日本語化の際にちょっと盛ったのであろう、なぜならオリジナルの英文ではより控えめに、しかし冷静に『サーフィンの方向性が永遠に変わった』のではなく、”they helped kickstart a revolution…”つまり『革命の始動を手助けした…』とある。
実際に1967年から’70年にかけてのショートボード革命(ロングボード時代の終焉とショートボード時代の幕開け)や、1980年代始めのトライフィン革命(サーフボードのフィンの数が3枚になった)のようにその影響が日本の片田舎にさえ及んだのは実体験として認識できたが、本当の話、イェーターのスプーンモデルやグリノー(文中敬称略)のフレックスフィンの影響はまったく 受けなかった。
強いて云うなら、1970年代初頭、国産マリブサーフボード一連のプロダクションボードに採用されたフレックスフィンの形状に、グリノーさんの影響を垣間見れた程度である。そんなふうにちょっといぶかしく思えるような映画の触りではあったが、観進めるうちにじつは「そうゆうことだったのか〜」と納得させられていった…。
▲ミッキー・ドラやジョイ・キャベルなど、才気あふれるサーファーに支持されてきたイェーター。その確かな腕は言うに及ばず
photo: Wyatt Daily

シェイパーとしてのスタンス

イェータースプーン、物語の序章

このサンタバーバラのサーフシーンの歴史的移り変わりを讃える映画のタイトルともなったサーフボードのモデル名『スプーン』を世に出した張本人、レニー・イェーターは、サンタバーバラのローカルではない。もともとラグーナ界隈の海に親しみアワビやロブスター漁で生計を立てていたが、漁のオフシーズンにホビーサーフボードで樹脂関係の仕事をしていたという。
後にベルジー爺さんがサンクレメンテの北端にショップを開いたものの、樹脂職人が見当たらず、はじめはやる気のなかったイェーターだが、そこでボードのグラッシングとシェイプをする成り行きとなった。ちょうどサーフボードの芯材が木材のバルサからポリウレタンフォームへと移行する時代だった。イェーターのシェイパーとしての発端はここにある。興味深いのは、すでに本格的なロブスター漁で家族を養えていたため、自分のサーフボードブランドの宣伝や営業に固執する必要がなかったということ。だから1959年とかにサンタバーバラに移る際も、そこにロブスターの漁場としての可能性を見いだしたからだという。
そんなシェイパーとしてのイェーターのスタンスは実は凄くだいじで、なにしろ必死こいて自分ブランドを売らなくていいのだから、製品とか商品と呼ぶ必要のない自分の作品を世に出せていた。当時このスプーンという人気を博すに違いないボードのモデル化に踏み切らなかったのも、そんなに数を作る気は無いという、イェーターさんの生き方が反映されていたからだ。
▲1960年代、サーフィンブームの追い風で、多くのメーカーがビジネスを拡大したが、イェーターは自分のペースを守った
photo: Wyatt Daily

クラシックなロングボード時代最後の画期的なシェイプ

リンコンという場所が生み出したデザイン

ところで自身が主役のひとりという設定なのに、映画中、イェーター本人のコメントは意外と少ない。ボード自体に関しても解説が足らず、たとえばこの映画のDVDケースの写真のイェータースプーンには1964年とあるが、最初のスプーンを削ったのは1965年だと、今から20年程前のインタビューで本人が述べているという始末。それは放っておくとして、イェータースプーンというボードを『クラシックなロングボード時代最後の画期的なシェイプ』と定義する者も少なくないのだから、もし仮にこのボードの登場数年後に、あのショートボード革命が勃発したせいで、そのインパクトが薄れたのだとしても自他共にもっとこのボードの存在を高く評価すべきだと思う。
さらに映画の中ではパラレルなアウトラインやフラット気味なロッカーにイェータースプーンの特徴があるとのことだが、誰が見てもいちばんに目を引くのは、そのスプーン形状そのままのステップデッキとノーズスクープであろう。サーフィン中にパドリングしていて常に自分の目の前にあるデッキノーズ部分のあの余分なボリューム。水に触れることもなく、また水だってその存在を知らないだろう意味のない厚み…。それを削ぎ落し、ボードの取り回し感覚の軽量化を図ったのがイェータースプーンだ。
リーシュコードの無かった1965年とかは、とにかくボードのレイル部分に強度を持たせないと、とりわけ岸が岩場というリンコンポイントの立地条件もあって、ワイプアウトしてボードが流れ壊れたらそれでもうその日は終わり! では済まされなかった。
▲まさにQueen Of The Coastという称号がふさわしいリンコンのポイントブレイク。陸上は宅地開発が進んだが、波のクオリティは不変だ
photo: Roger Nance Archive

サーフボードエンジニアとしての発想力

ジョージ・グリノーの登場で、新たなストーリーへ

だから10オンスという厚いガラスクロス2枚重ねで各面を樹脂加工し、とうぜん重くなってしまうボードに取り廻しの軽さを求めた。つまりボードの重量に変化は期待できないが、しかしターンやカットバックの際のボードの反応は格段UP するというわけだ。オールドスクールなロングボ ードシェイパーなイメージの強いイェーターだが、なにしろバルサからポリウレタンフォームへのブランクスの過渡期を経て、じつは1960年代にはすでに比重の軽いEPS発泡スチロール芯材を試してもいたというサーフボードエンジニアでもあるのだ。
そんなコンセプトで、自分もイェーターシェイプのUSブランクス Yという型のウレタンフォームで、なんちゃってスプーンをシェイプしてみたが、これがボード前半分の取り回しの良さに加え、思いのほかフレックスしてくれてノーズライド性能も良いとの評判だった! ところが当のイェーターによれば、オリジナルのスプーンを削るにあたり、ノーズのフレックス性能は考えていなかったという。なぜなら当時のウレタンフォームの密度は高く硬くて、しかもストリンガーが丈夫で太かったために「サーフボードにフレックスなんて言葉はジョージ・グリノーが登場するまでは聞いたことがなかった」というしだい。しかし ここでまさかのグリノーさんの名の出現により、サンタバーバラ伝説は次のセグメントへと進むことになる…。
▲パサデナとラグナビーチで育ったイェーターは14才でサーフィンを始めた。サーファーとしても才能があふれていたことがわかる一枚
photo: Dick Perry

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FUNQ NALU 編集部

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テーマは「THE ART OF SURFING」。波との出会いは一期一会。そんな儚くも美しい波を心から愛するサーファーたちの、心揺さぶる会心のフォトが満載のサーフマガジン。

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