
サミット|大いなる山 Mt.デナリ・カシンリッジへの挑戦#9(最終回)

佐藤勇介
- 2025年05月21日
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北米大陸最高峰、デナリ(標高6,190m)。7大陸最高峰のひとつに数えられ、その難易度はエベレスト登山より高いという声もある。
高所登山としての難しさだけでなく、自身による荷揚げ(ポーター不在)、トレイルヘッドからの比高の高さ、北極圏に近い環境など、複合的要素が絡み、登頂成功率(※2023年度)は30%前後。
そんなデナリへ初めて挑んだ、山岳ガイドの山行を振り返る。
文・写真◉佐藤勇介
編集◉PEAKS編集部
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Day 13 デナリ山頂
6,000mのビバークサイトはマイナス30℃以下の極寒であった。
ここではすべてが凍りつく。吐く息は霜となってテントに張りつき、風によって降り注ぐ。SPO2(血中酸素飽和度)は太雄が80台、井出が70台、私が60台であった。
私は高所が初めてなので井出に聞くと「心拍数が上がって補ってるから大丈夫だろう」と……ホントかいな?まあ、幸い激しい頭痛や吐き気はないし、食べ物も食べられるので、よしとしよう。
疲れた身体を引きずり、最小限の荷物を背負って山頂へと向かう。とにかく寒いので、ありったけの防寒着を身に着けていく。稜線は雲に覆われているせいか視界は悪く、ただひたすら上へ向かって足を進める。最後に残った食糧がどういうわけかフリーズドライのビビンバで、その辛さが弱った胃を刺激し、今にも吐いてしまいそうになる。これでは高度障害なのかどうかもわからない。
ただただ「山頂は近い」と自分に言い聞かせ、足を出す。とにかく息が切れる。山頂の肩ともいえるカヒルトナホーン直下の登りは、前を行く井出に引きずられるようについていく。一歩一歩、足を踏み外さないように確実に歩く。
カヒルトナホーンからは山頂まで標高差はわずかだが、滑落の許されないナイフリッジとなる。通常なら問題なく歩くことができる稜線も、高度障害でふらついているので中間支点を取りながら歩く。
ガスで周りがよく見えず、一度山頂を通りすぎてしまったが、下っていくので気づいて登り返し、あらためて山頂に立った。ついにMt.DENALI(6,190m)に登頂することができた。
標識などはすべて雪の下で、GPSで確認しないと山頂であるかどうかも定かではなかった。
山頂は風もなく穏やかだった。出発前に想像していたピークとは違って周囲はガスに包まれて視界はなく、ルートもミスによって変更を余儀なくされたせいか、大きな喜びはなかった。ただ、これ以上登らなくてもよいという安堵が、そこにはあった。
ほどなくして下山していくと、風は強まって天候は荒れ模様となった。天候と疲労を考えて昨日のビバークサイトにもう一晩泊まることとする。
Day 14 メディカルキャンプ帰還
再び極寒の夜をすごし、テントを畳んでまずはハイキャンプ目指して下山する。みな動きが緩慢で、パッキングに時間が掛かっている。
パッキングが終わるとロープが残されていた。ここまでは常にロープを結び合って行動していたが、この先しばらくは使わないので、誰かが担がなければならない。こんなところで見栄を張って、「ロープは俺が持つ」と、心とは裏腹な言葉を口に出してしまった。
ロープをバックパックにくくりつけて背負おうとした瞬間、激しい息切れが襲った。呼吸が整うまでしばらくかかる。バックパックの重さはこれまでと比べて3倍ほどにも感じられる。6,000m近くの高所での二晩が、確実に私の身体にダメージを与えていたようだった。ロープを担いだことを激しく後悔した。
緩やかな登り返しも、喘ぎながら、立ち止まりながら、進む。今日は下りだから問題ないだろうと思っていたが、下りがここまでキツイとは……。

視界は悪く、デナリパスからハイキャンプへの下降路を見つけ出すのに苦労する。トレースはすべて埋まっており、不安定な斜面をトラバースしながら下らなければならない。
そういえば、出発前にレンジャーが「カシンリッジを登り終えても、ノーマルルートのここで滑落する事故が多い」と言っていたのを思い出す。なるほど、極限に疲労した状態では普段なんでもない斜面がとんでもなく危険に満ちたものに変わるのだ。現在、まさにそれを実感する。
集中力を切らさないように一歩ずつトラバースしながら下っていくと、ガスの切れ間からハイキャンプのテントが目に入るようになってきた。

ハイキャンプでキャッシュ(デポ)を回収して、さらにメディカルキャンプまで高度を下げる。ハイキャンプに着いて腰を下ろしたとき、凍りかけた足先に身体の暖かい血流が流れ込んで、激痛が走った。しばらく悶絶しうめき声を挙げる。縮こまった血管が無理やりこじ開けられたのだろう。
メディカルキャンプにたどり着くと、放心したように座り込んでしまった。
ただ、下るほどに濃度を増す酸素に「空気がおいしい」といった感動を味わうことができた。
Day 15 C4 ~ベースキャンプ
今日は一気にセスナのランディングポイントとなるベースキャンプまで下る。あれほど時間を掛けて登ってきた道のりを疲れた身体で一気に下れるか不安だったが、天候の都合上、そうするのがベストと判断した。広い氷河で悪天につかまれば、下山さえままならない。長期の足止めはここでは珍しくない。進めるときに進んでおくのが鉄則だ。
出発前に、ひとつ大きな仕事を済ませなければならない。それは溜まりにたまったCMCの中身を指定のクレバスに捨てに行くことだ。
メディカルキャンプでは1カ所、ブツを捨ててよいことになっている場所がある。
底の見えない大きなクレバスの縁に立ってブツを投げ込むのだ!
あまりに近づいて滑落すると世界一不名誉な死に場所となってしまうので、ほどほどに距離を取る。
遠くへ飛ばすためにスイングして距離を出す。
「1、2、3!」と勢いをつけて投げた瞬間……
ブチッ!
袋の取っ手がちぎれ、クレバスの端に引っ掛かった……。
(中身はさらに小分けの袋に入っていたのでご安心ください)
「このまま残すのは、日本人として許されない!」
と3人で手をつないでカニ歩きの要領で確保し合い、恐る恐るクレバスの端に寄って、ブツを地獄に落とすことに成功した!
なんだか、山頂に立ったときよりも達成感を感じてしまった。
広大なカヒルトナ氷河を下る。
あれほどキツかった斜面を驚くほどスムーズに進む。視界のなかった場所も「こんなに広く、きれいだったのか!」と驚く。
C1までは下りが続くので快調だった。
C1では、行きがけに出会った虎之助の一行に再び会うことができた。彼らはなんとカヒルトナピークから10日を掛けて、デナリ山頂まで縦走をやり遂げていた。途中、ピンチに見舞われながらも困難なルートを登り切ったそうだ。最後は私たちの叶わなかったカシンリッジを登り切った。これはデナリの登山史に確実に刻まれる偉業である。
若きクライマーの実力に驚くとともに、自分たちの不甲斐なさが身に染みた。ただ、同じ時期に同じ場所でお互いが頑張ったことを、世代を超えて分かち合えた気がする。
そこからさらに気の遠くなるような道のりを歩いて、太陽が山影に入るころ(22:30くらい)、ようやくベースキャンプにたどり着くことができた。
ついに到着!!
ビールを掘り返して、無事の帰還をともに祝う。ひさしぶりの炭酸が、疲れ切った身体に染みわたる。
Day 16 停滞
天気が悪くセスナが飛ばず、一日停滞。湿った雪が30cmほど積もった。
日がな余った食糧を食い漁り、トランプをしてすごす。
Day 17 脱出
目覚めると昨日より空が明るい。昼近くなると青空も見え始めた。
待っていると突如、セスナの音が聞こえてきて、氷河に現われたと思ったら着陸した。「すぐに準備しな!」と声が掛かり、慌てて撤収作業を行なう。
セスナに乗ると、眼下に懐かしい緑が目に飛び込んできた。土の茶色もまた愛おしい。雪と氷の世界にはなかった生命の色が、そこにはあふれていた。
長いようで短い、順調とも波乱とも言える山行だった。大いなるデナリの懐でちっぽけな私たちは翻弄され、かすり傷にも満たないほんのわずかなトレースを刻んだ。
「大いなる山・デナリ」は、なにひとつ変らぬ姿で悠然とたたずんでいた。
最後に、最高の時間をともにしてくれた仲間と、快く送り出してくれた妻に感謝したい。
(おわり)
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