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過酷な自然と、山岳リゾートのふたつの顔を持つ ヨーロッパアルプスとはなにか?

ヨーロッパアルプスは、日本の山岳観光地とは比較にならないほどに発達している。それはもう、単純に「整備が行き届いている」という言葉では片付けられないほどに、である。山中に縦横に走るロープウェイ、ホテルのような山小屋。それでも人はそのアルプスに憧れる。その理由とは?

文◎編集部 Text by Wilderness
イラスト◎上坂じゅりこ Illustration by Juriko Kosaka
出典◎WILDERNESS No.6

※この記事はWILDERNESS No.6からの転載であり、記載の内容は誌面掲載時のままとなっています。

世界の登山文化を牽引したヨーロッパ山岳文化の起こり

登頂をするために山を登る「登山」。いまや山の規模に関わらず多くの人が受け入れているその文化の成り立ちには、マッターホルンやモンブランに代表されるヨーロッパアルプスの存在が大きく寄与している。

マッターホルンとツェルマット。4,500m近い山のすぐ近くに、観光地がある光景は、日本人の目には異質に映るかもしれない。

それまで登ること自体は目的でなかった山に、登頂の対象という価値が生まれたのは近代に入ってから。1760年代、スイス人の貴族であり、同時に気象学・地質学者であったオラス=ベネディクト・ド・ソシュールは、研究データを得るために観測器を持って山頂で気温や気圧変化を測定していた。彼は新しいデータを収集するために当時未踏峰であったモンブランの登頂に賞金をつけたのである。

数年ののちに、シャモニー(スイス)に住む医師とポーターによって初登頂が成されるが、その後こうした「登頂=目標」という動きが広まっていたことから、ここに「登山」という文化が興り、彼は近代登山の父と呼ばれるようになった。

その後、ヨーロッパの分離独立戦争によって、アルプス周辺の国境線が何度か変動し、19世紀の後半に、ヨーロッパアルプスは現在のスイス、フランス、イタリアなどの領内に収まることとなった。

同時に、19世紀にはイギリス人によるアルプス攻略も始まり、マッターホルンなどアルプスの主峰が次々に登頂された。そうして登山文化はヨーロッパ全土に広まっていった。

当時はいまと違い、登山は裕福な貴族たちの冒険の場でしかなかったが、登山文化が成り立つ以前にアルプスの山岳地帯で狩猟や畜産業を生業としていた地元民のなかには、貴族のガイドをしたり、宿やレストランをはじめる者も出て、それが現在のアルプスの山岳ガイド業や、宿泊施設の原型となったといわれている。

貴族たちを道案内していたアルプス山麓の住人たちが、山岳ガイドとの前身だともいわれている

山岳鉄道の開通と山小屋の建設

登山文化が盛んになった恩恵もあって、19世紀の中ごろには、アルプスはヨーロッパの一大避暑地として知られるようになる。荒涼とした平地が多いヨーロッパのなかで、アルプスエリアにはひときわ美しい風景が広がり、澄んだ空気があると、貴族以外の人間にも魅力が伝わり、みなの憧れの地として見られるようになったのだ。

麓にはこれまで以上に多くの人間が集まり、アルプス山麓の町はさらに発展していく。19世紀後半には、より多くの観光客を招き入れるという目的もあって、当時スイス国内で建設ラッシュとなっていた鉄道が、ゴッダルトトンネルの開通によって、スイスアルプスを南北に走る鉄道にまで延長された。

マッターホルンやモンブランの周辺には当たり前のようにロープウェーが走り、登山者も観光客もみなこれを利用する。

さらに20世紀初頭にはスキーがこの地に伝わり、登山の対象以外にも、夏は避暑地、冬はウインタースポーツのメッカとして、ヨーロッパアルプスは山岳リゾートとしての地位をいっそう盤石なものにしていく。

スキーリゾートとして名高い、シャモニー=モン=ブラン。通年多くの観光客で賑わう。冬期五輪発祥の地。

そして1911年、レッチュベルクトンネルが開通したことで、鉄道はアルプス全体を貫いたのである。翌年には観光用登山鉄道として有名なユングフラウ鉄道も開通、同線の駅「ユングフラウヨッホ駅」はいまでもヨーロッパでもっとも高い標高にある鉄道の駅だ。

鉄道とは時を異にして、アルプスでは山小屋の建設も意欲的に行われていた。1865年の初登頂以来、ヨーロッパアルプス一の人気を誇るようになったマッターホルンへの来訪客は、登山、観光の目的を問わず増加の一途をたどっていた。そのため1880年、スイス山岳会モンテローザ支部が主導となり、20台弱のベッドを備えたアルプス初の営業小屋「ヘルンリヒュッテ」が建設され、営業を開始した。以来、現在でもマッターホルン登山のベースとして、または悪天候の際の避難所として、多くの登山者たちに親しまれ、利用されている。

1911年になると、ツェルマット自治体が、ヘルンリヒュッテからほど近い場所に山小屋「ベルヴェデーレ」を建設。年々増加する利用客の数に対応するため、ふたつの山小屋は、それから数十年に渡り増築を繰り返し、1982年の改修工事で定員は創業当時の10倍近い170人程度まで増えていた。

そしてマッターホルンの初登頂から150周年を記念し、スイス山岳会によって建てられた旧小屋はいったん取り壊され、2015年7月、ヘルンリヒュッテは装い新たにリニューアルオープンしたのである。同時にベルヴェデーレにも改修を施し、ヘルンリヒュッテと連結。環境に配慮した造りで、エネルギーや水の供給システムに最新鋭の技術を導入、高山地帯の山小屋には不可欠な安全性や衛生面の質の高さを満たした、世界にも類をみない最新鋭の山小屋が誕生したのだ。

2015年にリニューアルしたヘルンリヒュッテ。シーズン中は、マッターホルン登頂をめざす登山者でほぼ満室状態だ。

また経緯は異なるが、モンブランにもグーテ小屋という山小屋があり、フランス山岳会の管理のもと、モンブランを目指す者たちのベースとなっていた。2013年に建て替えが終わり、営業を再開、それまでは日本の山小屋と大差のない施設だったのが、まるでホテルのような設備で、ここにもヨーロッパアルプスの発展が見てとれる。

モンブランの中腹、標高4,000m付近のエギーユ・デュ・ミディ展望台。麓からゴンドラでだれでも簡単にたどり着ける。

リゾートと山岳のはざまで。これからのヨーロッパアルプス

20世紀後半、自動車利用が急激に増えたことで、「アルプスにも自動車向けのトンネルを」という声が上がる。1965年にはイタリアのアオスタ州とモンブランのお膝元、フランスのシャモニーを結ぶモンブラントンネルが開通し、その後’80年にはゴッダルト鉄道トンネル付近にゴッダルト道路トンネルが通った。

ヨーロッパアルプスへの門戸がさらに広がるかと思われたが、その時期からトラックを中心とした自動車交通量が増え、アルプスの植生に露骨な悪影響が表れ始める。スイス政府はトラックの輸送制限を行ない、さらに通行税を増額。そしてアルプトランジット計画というアルプス周辺への高速鉄道網建設を計画し、早々に着工。建設を進め、2018年には供用が開始される見込みだ。

ヨーロッパアルプスの魅力は主峰だけではない。周辺のトレイルにも整備がしっかり行き届いている。

世界的に環境保全を重要視する昨今にあって、スイス、フランス、イタリアを中心とした「アルプスを持つ国々」は、その自然と発展を絶妙なバランスで共生させている。

自然を、山岳をもっと身近に、それでいて山岳に対する畏怖や敬意を忘れない。人と大自然との境界線を常に模索しているのが、ヨーロッパアルプスなのである。だからこそ、人は過酷な自然に肉薄できるその環境に惹きつけられるのかもしれない。

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PEAKS 編集部

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装備を揃え、知識を貪り、実体験し、自分を高める。山にハマる若者や、熟年層に注目のギアやウエアも取り上げ、山との出会いによろこびを感じてもらうためのメディア。

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