舟生大悟 厳冬期北アルプス27日間単独縦走という静かなる偉業 Part 1
PEAKS 編集部
- 2022年01月12日
厳冬期に、日本海から穂高へ。デポやサポートを受けたらできることはわかっている。だから単独で臨む。この計画に舟生大悟は、30泊31日を用意した。予備日は9日間、エスケープルートは各所にある。その末、27日目に西穂高岳を越えて上高地へたどり着いた。
※この記事WILDERNESS No.7(2017年10月刊行)からの転載です。
文◎柏 澄子 Text by Sumiko Kashiwa
写真◎舟生大悟、佐藤雅彦 Photo by Daigo Funyu, Masahiko Sato
出典◎WILDERNESS No.7
日記とともに男の偉業を追走
出発は、2016年12月24日朝5時。前夜、国道沿いの旅館に泊まっていた舟生は、「海抜0mからのスタート」と、海岸まで降り立った。この先穂高までの27日間、舟生は至極簡単ながら日記を綴った。それを引用(青字部分)しながら、今回の縦走を追いたい。
12月24日 出発時の荷物は51kg!重たかった。30分おきに休憩。
舟生は「担げるクライマー」の印象がある。営業小屋がない北海道で山岳ガイドをしているという実績や、木道の資材を運ぶボランティアで100kgを担ぎ上げた逸話もある。しかしそんな彼にとっても、この先続く重荷は辛い。さらに初日はあいにくの空模様。雨から始まり、標高を上げるにつれてみぞれになり、湿雪のなかを登った。
12月27日 雪洞にテントを張り、シュラフを少し乾かした。毎日あまり寝られていないので、今日こそは熟睡したい。
泊まりはテントか雪洞。雪洞は中にテントを張る。風の影響を少なくするために雪洞を掘りたいが、条件が合わないとテントになる。「避難小屋は使いたくなかった」と言っていたが、強風にあい雪倉岳避難小屋からは使用した。
12月28日 朝日岳の山頂までは順調に進んだが、山頂から先は腰から胸までラッセル。必死に歩くが、全然進まない。お先真っ白だ。
全身が埋まる「バンザイラッセル」程の深さになり、空身でラッセルもした。ザックを回収する際に注意すべきは、置いたザックを背負うときに足元の雪を固め、ザックを背負いやすい高さに位置させることだ。失敗すると51kgの荷物ともども深雪に埋まる。
12月29日 尾根を抜けるとすごい風! しょうがないので我慢して歩くが、徐々に強くなってきた。まっすぐは歩けない。雪倉の山頂あたりで、吹っ飛ばされそうになったが、がんばって山頂を越えて避難小屋に。
12月31日 出発するも、風が強くて進めず。朝一のピッチは、手も足も冷たくなる。もし、ルートロストすると大変。
結局、雪倉岳避難小屋に3泊。その先の核心部は日記はごく短い。
1月2日 寒い。II峰の白馬側の巻きがいやらしい。巻きのときは、胸ラッセル(空身)。
不帰II峰下部岩壁。「岩のセクションとしてはもっとも難しかった」と振り返る。長野県側のトラバースはロープをフィックス。下方に岩棚があったが、キノコ雪が乗ってどうにもならない。荷物が重いと踏み抜きそうで、フィックスに半分ぶら下がった。
再び、荒天による停滞がやってくる。五竜山荘前に「帝国ホテル風」の雪洞を掘って3泊。休養したが疲れは残り、6日の日記には「足首が壊れそう」、7日は「かっ飛ばして歩きたいが、体に力が入らずよろよろ歩く。疲労が蓄積している感じ」と。
1月8日 モナカ雪が多くかなりくたびれた。七倉の山頂に着くころにはふらふらだった。
1月9日 船窪岳が急登できわどいので、アイゼン・ピッケルの猛ラッセル。足元が抜けると滑落しそう。
不帰を抜けても、きわどいところはある。前年、舟生は船窪岳から七倉尾根を下山している。
1月10日 (停滞)いっぱい寝た。午前9時に行動食をバカ食い。こんなに一生懸命歩いたのに、どっかで滑落すれば死んでしまうなんて、なんて非情なんだ山は! でも山は、いつもの山なんだなぁ。明日は、がんばって歩こうかな?
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文◎柏 澄子 Text by Sumiko Kashiwa
写真◎舟生大悟、佐藤雅彦 Photo by Daigo Funyu, Masahiko Sato
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PEAKS 編集部
装備を揃え、知識を貪り、実体験し、自分を高める。山にハマる若者や、熟年層に注目のギアやウエアも取り上げ、山との出会いによろこびを感じてもらうためのメディア。
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