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レイ・ジャーディン 【山岳スーパースター列伝】#05

文◉森山憲一 Text by Kenichi Moriyama
イラスト◉綿谷 寛 Illustration by Hiroshi Watatani
出典◉PEAKS 2013年8月号 No.45

 

山登りの歴史を形作ってきた人物を紹介するこのコーナー。
クライミングとバックパッキングというまったく異なる分野でカリスマとなった人物を紹介しよう。

 

レイ・ジャーディン

ひとつの分野でめざましい業績をあげる人はいくらもいる。しかしふたつの異なる分野でそれを成した人は数えるほどしかいない。スティーブ・ジョブズはアップルとピクサーでパソコン界とアニメ界に革命をもたらしたが、つまり、ジョブズ級の異能でないとそれはできないということなのだ。

山の世界にもそんな異才がいる。鬼才といったほうがいいかもしれない。

カムデバイスを発明してクライミングに革命を起こし、バックパッキングに転じてウルトラライトというムーブメントを確立させたレイ・ジャーディンである。

 

時は1970年代のアメリカ・ヨセミテ渓谷。エルキャピタンやハーフドームなどの大岩壁が立ち並ぶこの渓谷は、世界のロッククライミングの中心地となっていた。

1944年生まれのジャーディンはこのときすでに30歳近く。ありあまる情熱と度胸でルートを開拓していく若手クライマーたちを横目に、彼は違ったアプローチをとる。

ルートを登るのに必要とされる動きを分析し、それだけを徹底して練習する科学的トレーニングの導入。当時は卑怯な行為とされていた、ロープにぶら下がっての試登。航空宇宙工学を専攻していたジャーディンらしい、常識や倫理にとらわれない理詰めのやり方だった。

まったく新しい道具まで開発する。クラック(岩の割れ目)にワンタッチでセットできるギアで、これによって彼は命を張ったリスクを冒さずに高難度ルートを攻めることができた。その結果、世界初の5.13というグレードを達成。そのギアがいまでいうカムデバイスで、ジャーディンはそれを「フレンズ」と呼んだ。

しかし登るためには岩にホールドを刻みさえするジャーディンのやり方はあまりにラジカルで、異端扱いされ続けた。しまいには「フレンズを使うとクライミングが簡単になりすぎる。反則ではないか」という、いいがかりのような論争すら起こった。そんな状況に嫌気がさしたのか、1980年代に入ってほどなく、彼はクライミング界から姿を消してしまった。

だれもがその名を忘れかけていた1991年、一冊の本が出版された。『The PCT Hiker’s Handbook』。アメリカを代表するロングトレイルコースのバックパッキング指南書である。著者は――レイ・ジャーディン!

ジャーディンはクライミングから足を洗ったあと、”バックパッキング道” の追求に情熱を傾けていたのだ。そしてこの本で、10年あまりにわたる実践から得られたノウハウを披露。その中心的概念が過激なまでの軽量化だった。

彼はバックパックを自作する。それはただの袋同然で雨蓋や背面パッドなどはなし。テントは使わない。代わりに布きれのようなタープを使う。そして雨具より傘を好む。20~30kgは当たり前に背負っていたロングトレイル・バックパッキングが、わずか5kgでできるというのだからその衝撃は大きかった。

クライミングでは重さは敵である。装備を1グラムでも軽くするためならビバークの快適性などは簡単に犠牲にする。そんな文化に慣れていたジャーディンにとって、バックパッキングの装備は過剰に思えたのに違いない。

そのウルトラライト哲学が世界的に注目を浴びるようになったのは、ゴーライトとの提携だろう。1998年、新進メーカーのゴーライトはジャーディンの協力を得て、彼が自作した超軽量バックパックと同じようなモデルを発売した。それがゴーライトの出世作「ブリーズ」である。

その後はご存知のとおり。ウルトラライトはアウトドア界の一大潮流となり、いまも発展・進化中である。しかしその基本は、ジャーディンが30年前にすでに確立していたものからなにも変わっていない。だからウルトラライトハイカーは敬意を込めて彼をこう呼ぶ。”The Guru of Lightweight(ライトウエイトの導師)”

そして今日のクライミング。カムデバイスがないクライミングは考えられず、科学的トレーニングもロープにぶら下がっての試登も当たり前になっている。当たり前にならなかったのはホールドを削ることだけだ。

異端の男は世界をふたつも変えたのである。

 

レイ・ジャーディン
Ray Jardine
1944年アメリカ生まれ。19歳のときにクライミングを始め、1977年に世界で初めてグレード5.13のルートを登る(ヨセミテのフェニックス)。1980年代以降はバックパッキングを追求し、そのノウハウは「レイ・ウェイ」として有名になった。セイラーやダイバー、極地冒険家としての顔も持つ。
http://www.rayjardine.com

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PROFILE

森山憲一

PEAKS / 山岳ライター

森山憲一

『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com

森山憲一の記事一覧

『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com

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