石塚真一 【山岳スーパースター列伝】#06
森山憲一
- 2022年02月07日
文◉森山憲一 Text by Kenichi Moriyama
イラスト◉綿谷 寛 Illustration by Hiroshi Watatani
出典◉PEAKS 2015年2月号 No.63
山登りの世界を形作ってきた人物を紹介するこのコーナー。
日本の登山史上重大な足跡を残したと個人的に信じるこの人を登場させたい。
石塚真一
漫画『岳』の作者である。
この人を「山岳スーパースター」として紹介するのは違和感があるかもしれない。私も「スーパースター」という言葉は違うかと思う。しかしこの作者は、近年の登山史上、重大な革新を起こした実績を持っている。
それはどういうことか。これから説明しよう。
『岳』第1巻が発売されたのは2005年。私はその初版第1刷を持っている。当時、山の漫画など滅多になく、たまたま書店で見かけた妻が「興味あるんじゃない」と買ってきてくれたものだ。
読んだ感想は、ディテールの描写がやけにリアルということだった。遭難者の引き上げをするシーンで、岩角にバックパックをあててロープが擦れないようにしていたところがとくに印象的だった。こんな細かい描写は経験者にしか描けない。
帯に「国際山岳ガイド近藤謙司さん推薦」というような一文が入っていたので、近藤ガイドがこんな細かいところまで監修しているのかな?と不思議に思ったものだった。
しかし今回言いたいことはそこではない。本題はここからだ。
『岳』をリビングかどこかに置いていたら、妻と小学生の息子も読み始めた。そして「おもしろい」と言う。妻も息子も、とくに山はやらない。当然、専門的な描写はわかるはずもないが夢中になって読んでいる。
妻は早速2巻も買ってきた。以後、新刊が出るたびに妻がいち早く買ってくるので、私は買う必要がなくなった。それは最終18巻まで続いた。
――言いたいことはこれである。
石塚真一が、その作品『岳』で起こした重大な革新はこれなのだ。山に興味がない人を引きつけ、巻き込み、いまに至る登山ブームの土台を作った。そんな革新的な作品が『岳』なのだ。
2005年以前から登山をやっていた人は思い出してほしい。当時の山を。若い人なんかいなかった。ほぼ9割は中高年以上だった。登山雑誌だって『山と溪谷』と『岳人』の2誌があっただけ。30代以下で山登りをやっていた人は周囲から変わり者扱いされていたはずだ。
それに比べていまはどうだろう。山で30代以下の登山者を見ることはまったく珍しくなくなった。登山雑誌は無数に出版され、私もその全部を追うことは不可能になった。
漫画だって、萌えキャラが山に登る時代である。テレビで登山を扱ったシーンもよく見るし、山をテーマにした映画すら年に何本も上映される。登山は若い世代にとっても一般的なレジャーになっている。
もちろんそれがすべて『岳』のせいだというつもりはない。時代の空気もあるし、環境の変化もある。PEAKSやランドネの創刊だって要因のひとつではあるだろう。いろんなことが組み合わさった結果ではあるのだが、しかし、『岳』がそのなかでとりわけ大きな役割を果たしたということに異論を唱える人は多くないと思う。
ところで私は石塚真一本人に会ったことがある。PEAKSのNo.2(2009年)で、巻頭インタビューをしたのである。
なんというか、めちゃくちゃいい人であった。漫画家先生というようなえらぶったところがまったくない。年齢が近いこともあり、私は友達感覚で話ができた。登山に対する考え方も同意できることばかりだった。
ディテールがリアルだった謎も解けた。石塚は留学先のアメリカで山登りを始め、聞けば日常的にアルパインクライミングをしていたという。だから私がかなり専門的な質問をしても普通に返してくる。話は弾み、私は感激しながら帰途についた。記事はかなり力をこめて書いた覚えがある。
私はこのインタビューで、なぜ『岳』が山をやらない人にもこれだけ受け入れられたのかをはっきりと悟った。石塚はこんなことを言っていた。
「アメリカでは、登山に悲壮感はまったくなくて、明るく、楽しく、カッコよかった」
山登りはそうありたい。
遭難救助をテーマにしながらも、石塚は作品にそんな思いを込めていた。その思いは、当時の登山者よりもむしろそれ以外の人に響き、旧態依然の日本の登山を外堀から変えた。
私が「革新」というのは、そういうことなのである。
石塚真一
Ishizuka Shinichi
1971年茨城県生まれ。アメリカの大学に留学後、30歳で漫画家デビュー。2003年から連載を始めた『岳』で2008年マンガ大賞などを受賞(2011年には小栗旬主演で映画化)。ほかの作品に『BLUE GIANT』などがある。
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PROFILE
PEAKS / 山岳ライター
森山憲一
『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com
『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com