「マッシュ壊し」|Study to be quiet #1
成田賢二
- 2022年04月22日
INDEX
「マッシュ壊し」という雪山のジャンルがある。なんのことやらわからない。夏は全く登攀の対象にならないような藪に被われたただの痩せ尾根の話だ。
しかし厳冬を経て分厚い積雪に覆われれば一気に魅力的なキノコ雪を連ねた尾根になる。
文◎成田賢二 Text by Kenji Narita
写真◎中島健郎 Photo by Kenro Nakajima
クライマーの登高意欲が高まるマッシュの条件。
このキノコ雪のことを愛好家たちはマッシュと呼んでいる。英語圏でこれが通じるのかは知らない、たぶん通じるんだろう。ただしこういうジャンルがかの地にあるのかは私は知らない。
場所は東面から東南面に限定される。南面でも北面でもうまくいかない。北西から山襞に叩きつける偏西風が東面に雪を吹き飛ばす。この吹き飛ばされた雪が静かに降り積もると、うねるようなボリュームを持ったマッシュになる。
標高がまた微妙である。高すぎるとよくない。雪の湿度が低くなりボリュームが発達しない。稜線の形状も重要で、東西が非対称で東側が浸食により絶壁となっているほどよい。稜線が平坦であるほど風が高い位置を吹き抜けていくのでマッシュは発達する。
マッシュのできる痩せ尾根自体は高くなくてよい。むしろ稜線より一段、二段ほど低い場所にあるほうが雪が静かに降り積もる。
胸を圧する、あるいは頭に覆い被さるマッシュであるほどクライマーの登高意欲は高まるのである。
片手にショベル、片手にアックスを持った、作業的クライミング。
だがマッシュのできる場所は残念ながらあまり多くはない。メインフィールドはなんといっても戸隠連峰で、夏は名前もつかないような藪尾根が魅力的なマッシュのリッジに変貌する。戸隠の壁自体は南東を向いており、マッシュの標本のような場所である。
ここで片手にショベル、片手にアックスを持ち垂直の雪を壊しながらじりじりと進むのがおもしろい、ということになっている。
だれが最初にそう思ったのかは知らない。クライミングというよりは明らかに「作業」寄りだが、作業的クライミングがあってもよいのである。少なくともいまはここしか進める場所がないのであれば、すなわちそれは合理的な登山であるとしか説明がつかない。
荒沢奥壁の荒沢尾根へ、マッシュを壊しに。
近年暖冬が続き、マッシュ壊しも楽しめなくなってきた。久しぶりの寒冬となった2022年シーズン、戸隠で修行を積んだつもりになったので鹿島槍ヶ岳の前衛にある荒沢奥壁の荒沢尾根に行ってみた。奥壁とはいっても登るのはあくまでマッシュの尾根なので壁を登るほどの道具は要らない。ショベルとスリングと60mロープと、気休めのスノーバーを一本。
一ノ沢の頭に掘った雪洞から朝の3時に外に出てみたら、空には欠けはじめた月が出ており、柔らかな暗い光に満ちていた。
威風堂々と立ちはだかる、巨大なマッシュ。
目の前の割れはじめた急な雪面を、慎重にアミダくじのように雪を繋げながら降りきると、四方からの壮大な量のデブリに埋められた荒沢本谷に着いた。これを怯えながらスタスタと駆け抜けて荒沢尾根に取りつくと、まだ夜明け前でほどよく雪は締まっており、カツカツと調子よく進めた。
こんなんでいいのか? と思うくらいにショベルも使わずに夜明けとともに順調に核心部へ来た。噂に違わず巨大な、乗用車大のマッシュが威風堂々と立ちはだかっている。こんなの真正面から攻略するとどれだけ時間がかかるだろう?
マッシュ壊しではなく、迷路のようなトレース。
とりあえず私がショベルにてリードして、はじめの切れ落ちたナイフリッジを壊して進む。次のピッチはパートナーのNが、大きすぎるマッシュに恐れをなしてマッシュの下段の棚を巻きながら進み、岩登りを交えつつトラバースして直ぐに視界から消えた。そもそも棚ができてること自体がマッシュが巨大であることの証拠だが、その棚が存外にしっかりしていてハイハイしながらなんとなく進めるようだ。
ロープはしばらく躊躇していたが、また進みはじめて解除のコールがきた。さて一体どうやって進んだんだかとフォローしてみると、キノコ雪の切れ目みたいなところをアミダくじみたいにジグザグに這い上がり、最後はハングした雪面のわずかの弱点に飛び移るような形でトレースが続いてる。これにてマッシュは壊すことなくその上に乗ることができた。拍子抜けである。その先でNが親指くらいの灌木で私をビレイしていた。
「マッシュ壊しではなく迷路みたいだなあ」
ハングしたマッシュを下って鹿島槍の東尾根へ。
その先で私がひとしきりショベル作業を進めると、これにて核心部は終了、そこから荒沢尾根が鹿島槍に吸い込まれて消える鋭いギャップまで、ハングしたマッシュを今度は下らねばならない。
土嚢袋に雪を詰め込んで埋めると、それに捨て縄をかけて支点にして、短いながらも空中懸垂となった。最後に雪が腐ってグズグズになった垂直の藪雪のミックス壁をショベル作業交えて進むと鹿島槍の東尾根に飛び出した。時間は9時半、思ったよりはるかに早かったので、奥壁南稜に継続の案も出たが雪が腐り始めており、これにて下山となった。
私たちは、ほどよいなにかをいつも探している。
結論、マッシュがあまりにも大きすぎて壊さずとも弱点ができていたので、なんだか労せず登れちゃったという感じである。あれらを全部壊しておくべきだったという後悔も少しある。
マッシュはいつも微妙である。大きく発達しすぎても易しくなるのでよくない、雪がしまりすぎていても簡単になるのでよくない。つまり私たちの破壊欲の対象は、ほどよいなにかをいつも探している。
それにしても雪は、壊すにも掘るにも捨てるにも歩くにも滑るにも、だれにも害がないのでよろしい。飽きないのである。冬は冬らしく雪がたくさん降ってほしい、私は切にそう思う。
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