「剱岳八ツ峰」|Study to be quiet #2
成田賢二
- 2022年05月24日
INDEX
文◎成田賢二 Text by Kenji Narita
写真◎中島健郎 Photo by Kenro Nakajima
日本の山は三月がいちばん良い。寒気が抜けて雨が降り、日が伸びて雪が締まる。午後は良くない、雪が緩む。固いものは登りやすい。したがって登るのは夜のほうがよい。
満ちた月があればなおいい。月は鏡なので雪を痛めることはない。三月の雪山稜線、未明から夜明けの一時間は、なにかが山に満ちる。それがなにであってもいい、たぶん特別な時間がそこにある、そこに厳冬期とは違った気軽な気持ちで居合わせてみたい。
夜明けの八ツ峰に向けて。
僕たちは逆算してみた。夜明けの一時間を八ツ峰の一峰あたりで迎えるには、馬場島手前の林道ゲートを何時に歩き出せばよいか。
「昼くらい、かなあ」
「その時間、雪ズボズボよね、嫌だなあ」
パートナーの N は千葉から来て、山梨で僕と合流して富山に向かう。山梨から富山まで 6時間かかる。
「山梨を何時に出りゃいい?」
「朝かねえ」
「千葉は?」
「夜中よね」
「山頂は?」
「翌朝の 9 時くらいか」
登山そのものが 25 時間くらいかかるとして、それまでの移動が 6 時間かかる。この計画だと山では死なないかもしれないが、帰りの北陸道で確実に死ねそうな計画だ。
「大人だからそういうのは止めますか」
お互いに春休み中で騒がしい子どもたちの面倒を家人に任せ、ダラダラと山梨で合流したのは夕方だった。交代で運転して登山口のゲートに 23 時着。睡眠は 3 時間周期でスッキリ起きられるとの N の主張で翌朝 2 時に起きた。
「とりあえず眠くなったら寝ますか」
色々考えた末に結局は場当たり的な発想となった。
気温の高さにルンゼ登攀はあえなく却下。
当然ながら、とにかく装備はどんどん減らす。テントなし、夏用の寝袋、シュラフカバーなし、予備手袋 1 枚のみ、スコップ一丁、ロープ 1 本、スクリューなし……。しかし汗かきの僕は、水を 3L 持つ必要がある。30L ザックになんとか収めると、今度は軽すぎて不安だ。
無人の馬場島を通りすぎ、白萩川ではデブリのおかげで懸念の渡渉はなし。池ノ谷は同じくデブリで完全に埋まっている。その先で側壁の氷に取りつこうとしている富山の友人パーティーに偶然会った。
「気温高いなあ」
僕たちもそう思った。岩に張り付いた決して厚くはない氷に取りつくには、いかにも気持ちが悪い気温だ。一週間遅かったか。我々も雪が腐る前に先を急がねばならない。
傾斜を増した西仙人谷を詰め上げて、朝を迎えた小窓のコルで初めて後立山を拝み、しばらくボーッとする。雪は悪くない。いや、むしろよい。
小窓雪渓は湿気たパウダーが表層に残っており、デブリもひどくない。スキーを履いていない自分たちを呪いながら二股にむけてどんどん降りる。降りるにつれて再び気温が上がっていき、パウダーはどこかに消えた。目指す滝ノ稜には氷はあるのか?
滝ノ稜の全貌が眺められた時点で、濃密な陽射しのために半袖一枚状態となり、ルンゼ登攀の可能性はあえなく却下となった。
まともな蒼い氷は、どうも存在するようには見えない。ロープなしで駆け上がれそうな、ルンゼにかかるシュッとした氷がないかと密かに期待したが、それは儚い夢だった。
サウナの剱沢からドミノ岩へ。
やむなく雪がモソモソと変態を始めつつある雪壁を、ダブルアックスで登り始める。
「サウナ!」
風がそよりとも吹かない、快晴の剱沢の奥底の 50 度くらいの雪壁は、ぬるめのサウナに等しい。半袖一枚でなおも首に掛けたタオルが搾れる。
そろそろいい加減にロープを付けませんか? という場所はドミノ岩のてっぺん直下だった。ドミノ岩では雪稜でおなじみの土嚢袋を支点とした懸垂を強いられる。曖昧な雪に深めに穴を掘り、その雪を詰めた袋にスリングを巻いて埋め、さらに踏み固める。人間ひとりぶら下がるのはどうってことないはずだが、やはり先頭で降りるのはちょっと不気味だ。しかしN はなにも言わずにさっさと懸垂していった。
その後は氷混じりの雪壁をひたすら進む。ダケカンバがなくなりそうな辺りで正午すぎ、雪が腐りすぎて、夜明けごろに比べたら 3 倍くらい労力がかかるようになった。まだ眠くはないが進むのはバカバカしいほどの雪の泥濘だ。
一丁のスコップで代りばんこに急斜面に横穴を掘って 1 時間で雪洞となる。ツェルトを吊るして水を作って飯を食べたが、雪洞のなかだというのにまだ明るい。年末に比べたら笑えるくらいの日の長さだ。東向きで夕焼けも見えないから、明るくとも構わず就寝。
案外と快眠した翌朝は、2 時起き 4 時発、イマイチ冷え込みが足らずに締まりきらない雪をボチボチ登り始める。登っていて思ったが、だんだん雪が締まってきたのは、夜明け前の一時間がもっとも雪が締まるからだろう。
暗闇の雪稜の答えはひとつ。
一峰に着いたときはまだ真っ暗。この辺りで夜明けと踏んでいたがやや焦りすぎたようだ。行く先も真っ暗だが、雪稜なので大概答えはひとつだから迷うことはない。
岩登りは正解がなくルートが左右に選べるから迷うものだが、雪は先が見えなくても進んでいけばそのうち答えが出てくる。
東南向きのハツ峰にはブッシュが少ないためか、雪庇はあまり発達しない。中間支点はときどき現れる指より太いくらいのハイマツだが、あるだけましなのでとりあえずロープを付けて進む。
やがて雪面を照らすヘッドライトの光が淡くなったことに気づいた。僕たちは光を待ち望んでいたはずだったが、いまはもう、ほのかに光を帯びた雪面を歩く影になった。空より先に雪は明るくなったのかもしれない。
三月の八ツ峰山頂は平和であった。
昨日の雪の腐り具合も知っていた僕たちは、美しい朝焼けをじっくり見ることもなく、ただクランポンで雪を蹴り続けた。特別な時間は意外にも、静ではなく動にあった。
技術的には三月の八ツ峰は一年でいちばん易しい。岩はほぼ埋まっており懸垂下降せずとも容易に巻き下れる。山頂には予想より早く 7 時半に着いた。
お社の兜だけわずかに雪面から出ていた。
テルモスの湯でカレー飯をかきこんだ。
カレー飯のご飯粒が本物なのか偽物なのかで議論になった。それくらい山頂は平和であった。
そうして僕らはわずかにトレースのある早月尾根を下り始めた。数日前にスキーを背負ってここを登った友人たちのものに違いなかった。
ほとんど埋っている早月小屋の屋根がわずかに見えている。あそこを通るころには雪はまた腐り始めるだろう。
SHARE