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「ザイテンの道直しのこと(前編)」|Study to be quiet #4

文◎成田賢二 Text by Kenji Narita
写真提供◎ハチプロダクション

ザイテングラード

「ザイテングラード」はドイツ語で「seitengrat」、「支尾根」と訳されている。広く知られているように、長野県側から穂高に登る最重要な登山道がつけられている岩稜のことである。涸沢カールの底に始めに立った人間はだれであったかわからないが、おそらくカモシカを追った猟師であっただろう。彼はおそらく「ザイテン」を登ってはいない。もちろん当時の「ザイテン」に道はなく、左右のガレ場か雪渓を登るほかなかったはずである。しかし現代の登山者がガレ場や雪渓を列になって登るのではどうにも都合が悪い。

カールは日本語で「圏谷」と訳される。ほとんどが氷河が削ったガレ場で構成されるが、そのなかにわずかに痩せた尾根が残されているのが普通である。「ザイテングラード」という名称がいつ与えられたものかはわからないが、単に「支尾根」では都合が悪く、外来語の一般名詞を与えるほかなかったのは頷ける。やがてアルピニズムの発展とともに自然と固有名詞化されて定着した。いまでも穂高の小屋番たちは「ザイテン」と親しみを込めて呼ぶ。それは「南稜」「北尾根」「重太郎」と同じ感覚である。

道直しのようす。セルフビレイを確保しないと作業がままならない場所も多い

穂高の小屋番

穂高の小屋番たちにはほかの山域にはない独特の空気感が漂う。穂高という山域が、梓川、蒲田川に挟まれて広い範囲で地理的に独立しており、立地条件を異にした山小屋がひとところに集まっていることにこの空気感の理由がある。支配人を現場のトップとした徒弟制度的な上下関係が厳として存在し、若い衆は隣の小屋の若い衆と切磋琢磨する。相手は厳しい山であり、下界から隔絶された環境で、一時期に押し寄せる登山客を捌き整然と秩序を維持せねばならない。男衆は男衆らしく、女衆は女衆らしく、小屋の外となかで仕事は分担され、それに異を唱える現代社会のテーゼはここではおそらく通用しない。もしかしたらそういった考えに適応した、あるいはむしろそれを求めた人間だけが穂高に定着するのかもしれない。

彼らは自らのことを「小屋番」と呼ぶ。あちこちの山小屋を訪ねてきたが、「小屋番」という言葉が、その言葉の意味を越えてある種の「生き方」にまで昇華していた例は、穂高でしか聞かなかったように思う。

それはつねに控えめではあるが、しかしたしかに静かな誇りが込められている。

除雪、道直し、飯炊き、皿洗い、石積、電気工事、配管工事、大工仕事、汚水処理、そしてレスキュー、そのいずれもが小屋番たちの仕事である。それらは下界にいたのでは決してすべてが身に付くことはあり得ない、さまざまな職業の複合である。

私が長きにわたって世話になった宮田八郎はよく言っていた。

「俺たち大概なんでもできるんやが、そのどれひとつとして専門一流ではないから下界では使い物にならんのや、山でしか役に立たん」

資材のボッカのようす。このほかにセメント100kgほどをソリに乗せて下ろした

宮田八郎のこと

穂高岳山荘の前支配人、宮田八郎に声をかけられて私が穂高の道直しの手伝いに呼ばれたのは2017年の梅雨のころだった。日が長く、案外にすごしやすい晴天が続き、毎日雪が目に見えて減っていった。岩と雪だけの世界が緑を取り戻し、日当たりのよい場所からハクサンイチゲがちらほらと咲き始めるような時期だった。

「8時から仕事するから山荘に上がって来いや。ついでに白出の道の崩れ具合、見といてな。」

当時、私はさまざまな事情から職を失っていた時期だったので、その事情をよく知っていた宮田は私の存在を気にかけてくれていたことは間違いなかった。未明に林道終点を出て残雪の豊富な白出沢を詰め、7時前には山荘に駆け上がった。

「おう、おつかれさん、とりあえず飯食えや」

この時期は登山者も少なく、宮田はいつになく機嫌がよかった。

「山小屋なんて客さえいなけりゃ天国みたいなもんだ、とりあえずこれ着ろ」

私は与えられたダボダボのだれかのつなぎを着て、極厚の革手袋、金テコに箕、番線、シノ、セメントなどを背負子に満載して「ザイテン」のクサリ場を下っていった。

石を敷き、階段を作る。岩の角を踏んでもガタつきがないように収める

岩のツラ

穂高の道は一冬越すごとにあちこちが傷む。凍結融解作用や雪崩、地震も影響するが、元来が岩を積み木のように積んだだけの山でもある。

「指潰すなや、クライミングでけんようになっても知らんで、これとこれ」

道が壊れた現場に着くと、宮田に指示されたひと抱えほどもある岩を集めることから仕事は始まった。宮田は瞬時に岩を見抜く。

「岩の面(ツラ)を見て、表か裏かステか(埋め石となる岩のこと)、どこにうまいことはまるか、長年やってるとわかるようになる、そしたらバラス五杯」

バラスとは握りこぶし以下のサイズの小石のことで、一般にひと抱えの岩のうしろにはこれの三倍の体積のバラスが必要とされる。ザイテンのなかほどには大岩は豊富なため、「表」に使いたい大岩は上から転がして下ろせばいい。しかしバラスはその場所より上には少なく、仕方なくガレ場のほうに降りてバラスを桶に集めて持ち上げることになる。これはもっともつらい作業だった。

「それでも穂高は楽なもんや、岩の角が立ってて積みやすい。槍に行けば角の取れたバラスみたいな岩ばっかりや、セメントがなけりゃ階段も作れん」

金梃子(テコ)の使い方には「ハネ梃子」「トメ梃子」「オクリ梃子」などいくつもの種類がある。それらを言葉で表現するのは難しい

山荘の石垣、石畳

余談だが、私が過去に夏の仕事で穂高岳山荘を訪れていたころ、登山者で混み合っている山荘で宮田に挨拶しようと受付を訪れても、いつも宮田の姿は周辺にはなかった。

「裏で石積んでると思いますよ。」

そう言われて裏に回ると、黙々と石を積む宮田の姿があった。

現在の穂高岳山荘玄関前のみごとに均された石畳と巨大な石机、そして東西の石垣は、百年に迫る山荘の歴史のなかで歴代の小屋番たちが営々と積み上げてきたものである。

なかには涸沢岳の山頂近くにあった石もあったらしい。

「先代は山の上にある目ぼしい岩に墨で値札を書いたんや、これ山荘まで下ろしてきたやつにはこの銭を払うってことやな、ほとんど城みたいなもんや」

宮田にはエピソードを語らせても無類の上手さがあった。

「石の重心があるんやな、それがわかってれば1トンくらいのヤツなら金テコ1本で動くんや」

山荘西面の石垣を積む宮田。腰より上の段はチェーンブロックを使用していた

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PROFILE

成田賢二

PEAKS / 山岳ガイド・マウンテンワークス

成田賢二

1982年山梨県生まれ。古民家で野菜を作りながら犬、猫、鶏と暮らす。山ではいつも探し物をしている。春は山菜、夏はイワナ、秋は松茸、冬は猪。難しすぎず易しすぎず、のんびりくつろいで泊まれる山旅を愛する。山岳救助や行方不明者の捜索にも携わっている。

成田賢二の記事一覧

1982年山梨県生まれ。古民家で野菜を作りながら犬、猫、鶏と暮らす。山ではいつも探し物をしている。春は山菜、夏はイワナ、秋は松茸、冬は猪。難しすぎず易しすぎず、のんびりくつろいで泊まれる山旅を愛する。山岳救助や行方不明者の捜索にも携わっている。

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