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<山岳レスキュー界の異端王> 寺田甲子男 【山岳スーパースター列伝】#38

文◉森山憲一 Text by Kenichi Moriyama
イラスト◉綿谷 寛 Illustration by Hiroshi Watatani
出典◉PEAKS 2014年11月号 No.60

 

山登りの歴史を形作ってきた人物を紹介するこのコーナー。
一山岳会会長の立場であるにもかかわらず、山岳救助に大きな足跡を刻んだ男がいる。

 

JR上越線の土合駅から谷川岳に向かって歩いて行くと、谷川岳ロープウェイの乗り場の手前に大きな遭難碑がある。通常は車で通り過ぎてしまう場所なので、その存在を知らない人も少なくないと思うが、機会があれば立ち寄ってみてほしい。

そこには、谷川岳で遭難死した人の名前が刻まれている。その数、およそ800人。ひとつの山としては、世界でも最多の死者数だという。現在でこそほとんど聞かなくなったが、谷川岳はかつて「魔の山」と呼ばれていたのだ。

その最盛期は昭和30年代から40年代にかけて。平均で1年に25人ほども死亡者が出ており、最多の1966年(昭和41年)には38人も亡くなっている。ほとんど毎週といってもいいような異常なペースだ。

このころの谷川岳は一ノ倉沢などの岩場の初登競争が盛んで、各山岳会がその一番乗りに鎬を削っていた。技術も道具もいまとは比較にならないくらい貧弱なころ。遭難者は、時代の前のめりな熱いムードに浮かされた若者がほとんどだった。

続出する遭難者の救助はどうしたか。現代のような組織立った山岳救助隊もなければ、ヘリコプターも使えない時代。頼りになるのは、谷川岳を知り尽くした登山家だけであった。

なかでも、谷川岳のレスキューといえばここというくらい、山岳救助で活躍した山岳会がある。東京の緑山岳会である。

緑山岳会というのは、谷川岳にかぎらず、北アルプスの大岩壁にも「緑ルート」としてその足跡を多く残している名門山岳会。有名なクライマーも多数輩出しているのだが、そういう実績よりも、山岳レスキューでの活躍のほうが有名になった特異な山岳会だ。

いや、山岳会というより、ひとりの特異な個性によってその名を知られるようになったといっていい。その人物の名を寺田甲子男という。

1924年生まれの寺田は、15歳のときに、兄が創立した緑山岳会に入会。長期休暇のとれない勤め人でも行きやすい谷川岳や丹沢の山に通い詰める。まるで庭のように知り尽くした谷川岳の岩場で遭難事故が続出し始めるころ、寺田は緑山岳会の会長となっていた。そして、もっとも谷川岳を知る男として、請われて救助の陣頭指揮もとるようになる。

かくして人生を山岳救助に尽くすことになったーーといえば、高潔な人物像を思い描くが、寺田に関してはそれはあてはまらない。むしろダークヒーローというイメージが強い。なにしろ、緑山岳会の会章はドクロマーク。遭難が起こると、ドクロを付けたシャツを着た屈強な男たちが乗り込んできて、レスキューを仕切る。

その先頭にいるのは寺田だ。東京の下町育ちの寺田は、歯に衣着せない物言いで知られている。気に食わないことがあればかまわず怒鳴り飛ばす。

「緑の寺田を知らねえとはいわせねえ」

万事がこの調子。かの新田次郎にもケンカを売る。自分が背負っている瀕死の遭難者が痛みに耐えかねてうめいても「助けてやるんだガマンしろ」と一喝。救助終了後は、水上温泉で芸者を呼んでどんちゃん騒ぎ。

谷川岳を守っているのはオレたちだといわんばかりのプライドで、現場でもやりたい放題。当時は土合駅でも、「オウ!」と駅員に手を挙げるだけで改札を通過していったという。切符を持っていないことは言うまでもない。

会員が山頂の小屋で床板を燃やして地元で問題になったときにも、「オレが話をつける」と言って乗り込んでいき、実際に無理矢理話をつけてしまった。しかもそのエピソードを得々と自著に記す。もうめちゃくちゃである。

だがしかし、このならず者が日本の登山史を語るうえで外せない存在であるのは、彼がいたおかげで助かった命がいくつもあるからだ。しかも数々の武勇伝のイメージとは裏腹に、当の緑山岳会からは4人の死亡者しか出さなかったともいう。当時の先鋭的山岳会としては、この少なさは際立っている。

「山は道楽だ」

「道楽だからこそ真剣にやらなければならない」

「死んで行く野郎は大馬鹿野郎だ」

山は生きて楽しんでこそ。そのポリシーは生涯揺るがなかった。私もそこに大いなる敬意を払うひとりである。

 

寺田甲子男
Terada Kineo
1924~2010年。東京出身の登山家。山好きの家族の影響で、幼少のころから登山に親しみ、丹沢や谷川岳に足繁く通う。24歳のときに「緑山岳会」の会長に就任し、以降、自身の登山と並行して谷川岳での困難な遭難救助にも積極的に取り組む。生涯を通じて、谷川岳の入山回数は400回超、総山行日数は3,000日を超える。
http://www.tokyomidori-ac.org

 

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PROFILE

森山憲一

PEAKS / 山岳ライター

森山憲一

『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com

森山憲一の記事一覧

『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com

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