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キノコの深淵・後編|Study to be quiet #9

三回目の秋

マツタケ採りに手を染めてから三回目の秋が来ようとしていた。お盆がすぎると、各地の雨量が気になって仕方がない。私の経験した一年目は稀に見る豊作年、二年目は不作年といわれていた。今年はすでに豊作を予感させる秋雨前線が本州に停滞しつつあり、一雨ごとに気もそぞろになる。各地のマツタケの情報が気になる。国内では北海道産から初物が出回る。次に早いのは岩手産である。北海道の収穫量はさほど多くはないようで、彼の地ではマツタケを食す習慣も浸透してはいないらしい。そのため本州向けにフリマサイトなどで出品されてくる。同サイトでは各地の強者たちが次々と初物を出品するようになり、一気にマツタケ市場は騒がしくなる。相場の金額であればほとんど即日完売で、売れ残るというのはほぼない。水谷氏も過去には割烹やホテルなどにマツタケを卸していたこともあったらしいが近年はそれをしていない。

「本当ならお金に換えてもいいんだろうけど、なんかつまんないんだよね。やっぱりお世話になった人に贈ってさ、信州の秋の香りを直接届けたいもんね。みんなのよろこぶ顔が見たいもん」

マツタケが持つ、贈り物としてのインパクトはほかに比類がない。たかがキノコを採るために費やしている苦労とその情熱。

私などはつい「苦労して採ったのでぜひ食べてください」と言ってしまう。言ったあとに、恩着せがましかったなと後悔する。

水谷氏は苦労を露ほども相手には見せずに「今年も採れたよ」といって惜しみなく最高のマツタケを送る。余れば配送センターの女性スタッフにあげてしまったりする。

長年スーパーを営んでいた水谷氏は、マツタケの保質にも最大限の気を配り、山の帰り際にかならず羊歯の葉を刈っていく。

「マツタケを包むのは羊歯がいちばんいいよ、匂いがないし水分多いしすぐには枯れないからね、マツタケが乾かないように守ってくれるよ。ヒノキの葉っぱも高級感出ていいんだけど、ヒノキ独特の匂いがあるからね、段ボールじゃなくて桐の箱に入れればなおいいね」

これほど採れると下山して帰宅、仕分け、箱詰めを終えるころには深夜となる

憂鬱

三回目のシーズンを直前にして、ある考えが私を少し憂鬱にさせていた。

「今年こそは水谷さんに頼らない新しい自分だけのシロを見つけなければならない」

それは水谷氏に対して私ができる唯一の恩返しであった。

地図を眺めつつ山の地形を観察し、樹種を想定し、シロができそうな標高を推定する。近くに民家があったり林道がある山は除外する。他者との競争ではなく、自分の持てるセンスと、マツタケという不思議な菌類のマッチングポイントを見つけたかった。アプローチの難は厭わない。キノコは条件さえ整えば生える。そのときのその場所に人が行けるかどうかである。人に採られなくとも当然キノコは発生し、傘を開かせやがて雨に打たれて溶けて消える。逆にいくら採ったとしても、シロさえ壊さなければ減るわけではない。

私はシーズン開幕前からいくつかの山の偵察を繰り返した。それらの山が本当にマツタケに適した斜面かどうか、最終的には現地へ行かないとわからなかった。地図を見る限りにはこれは生えそうだという場所も、樹林の濃さ、尾根筋の岩質、斜面の下草の生え具合などが合わないことが多かった。

顔を合わせるたびに水谷氏に相談する。

「結局よくわかんないんだよねえ。どう見ても生えそうなんだけどってところになかったりもするしね。とにかく下草、雑木、落ち葉は大敵ってことはたしかだよね。でもこないだYouTube見てたらハイマツのなかにマツタケ生えてましたよ、あんなことあるんだねえ。ハイマツなんて探し始めたらお盆から10月までずっとマツタケ採りしなきゃなんないよ、そもそも生えるか生えないかなんてその時期に行かないと最終的にはわかんないしさ」

子どもはマツタケの風味を理解しない。まずいと言って残すから腹立たしい。ご飯に炊き込んでしまえばよく食べる

発見

私とTはすでに収穫した実績のある山の近くで、同時期の同斜面、同標高からまずはあたりをつけ始めた。広くはない山とはいえ枝尾根は無数にありしかも急斜面と来ているからそれらを全て探すのは容易ではない。アプローチに数時間をかけていくつものツガの尾根を登り下りした末にやっと数本の「つぼみ」を採った。場所を大きくはずしてはいないがシロというには物足りない。その先のガレ場を大きく迂回して、さらに斜度を増した対岸の尾根を下っていると、その瞬間は不意に訪れた。

一抱えほどのツガが立ち並び、同じくツガの倒木が数本倒れているその付近に、見紛うことのない傘のような頭が数本見えた。勇躍して近づけば倒木の死角になっていた面にも同様の傘が見える。既に私は狂喜して叫んでいた。

「成田さん! 倒木の裏! あっちも!」

Tが指差す先には開き切った大柄のマツタケが5、6本輪になって並んでいた。そこはロープがほしいくらいの急斜面で、実際に片手でアックスを地面に刺しながら慎重に下る。そこにも、あそこにも、下るほどにキノコの傘が見える。おどろくべき光景であった。その付近だけで土俵状に広がったシロを中心に三十数本の良型を採り、我々ふたりのザックも魚籠もパンパンに膨れあがった。午前中に採った良型のヤマドリタケは全て捨てた。

群生のようす。これがさらに俵状に広がっていた。ここまで来た苦労が報われる瞬間

その後

数日後に私は水谷氏の軽バンで山へ向かっていた。氏は秋の仕事が忙しく今シーズンの初マツタケ採りだという。

車中で私は前回のシロを見つけた顛末を話し終わると、それとなく息子の安否を尋ねた。

「おれも全然わかんない。女房はもしかしたら知ってるのかも知れないけどオレにはなにも言わない。でもこの間、用事で市役所行ったらどうも息子の籍が抜けてるんだよね。住所完全に変わってる。それってどういうことなのかなあ、死んではないってことだから独立したってことだよね、もしかしたら結婚したのかなあ」

それらは深く探索すれば調べがつきそうなものだと私は思ったが、それは言わなかった。息子には息子の考えがある。それを父に知らせるにはまだ時間と、なにかしらの転機が必要なのかもしれない。

「なんでこうなっちゃったんですかね。オレにもよくわかんない。たしかにあのとき、家に引きこもってないでなんかしろとは言ったんだけどね、一回だけだよ、そう言ったのは。もうもとには戻せないと思うと、悲しいね」

マツタケの歴史

10月初旬で私たちはいつもの山に見切りをつけた。本来ならここから信州のマツタケは本番を迎えるが、それは里に近いアカマツの話であり、深山のツガにシロを求める私たちは別の山を探索することになった。だれにも知られない群生したシロを見つけることは、もはや私たちの使命になっていた。

私は地図や文献などを渉猟しながら、隣県を含むあちこちの山に目星をつけた。

同時にマツタケの歴史を学んだ。古くは平安時代から公家や僧侶などが京界隈の裏山でマツタケ採りを楽しんでいた。過去に同じ京都の東山のトレイルを歩いたことがあるのだが、マツタケが生えるとは到底思えない照葉樹とヒノキの植林の森であった。燃料革命以前は薪炭を集めるため、また化学肥料以前は堆肥を集めるために、里の人々はつねに山に入っていた。私がキノコ採りで通うどの山にも、すでに廃道化してはいるが昔人の通った道が縦横に張りめぐらされていた。

人々の営みにより裸地化し貧栄養状態が恒常化した山において、優先種となったのはアカマツなどの先駆植物であった。自然の営みからすれば、本来アカマツやススキなどの先駆植物は数十年でその役目を終え、ナラやカシ、クヌギなどにその場を奪われるはずである。しかし絶え間ない人々の落ち葉の収奪により自然の営みが停滞させられ、マツタケが発生しやすい貧栄養の状況が長く続いた。「山へ芝刈りに行ったおじいさん」がその帰りに腰にマツタケをぶら下げて帰ってきていたのはおそらく間違いがない。それが私たちの先祖の姿である。

ちなみにこの事情は、昨今の有害鳥獣問題と軌道を同じくしている。人々が芝刈りをしないために腐葉土や堅果が堆積した林床や、藪化した耕作放棄地は、野生動物にとっては好適な住環境になっている。里山への無関心によってマツタケ林は失われ、鹿猪は増え続けている。全てが世の流れとしかいいようがない。

実際にマツタケ採りが庶民の娯楽にまで広がった江戸時代から明治にかけては、京都、兵庫、岡山、三重などの人口密集地の裏山がマツタケの最大の産地であった。それらの習慣が中山道を通じて信州に広まった。この後、燃料革命と戦後の建材需要とともに西日本のマツタケの生育環境は急速に照葉樹林や植林へと変化していき、マツタケは急斜面の花崗岩質に僅かにシロを残すのみとなった。現在、信州が国内最大のマツタケの産地となっているのは、平野が少なく林相の遷移や植林化が及びにくい急峻なアカマツ林が多く残っているのがその理由だと考えられている。

平成になり需要に供給が追いつかなくなったマツタケは、朝鮮半島やカナダ、北アフリカなどから日本に集められるようになった。

犬はマツタケの匂いを当然わかっていると思うがあまり反応はしない。鹿や猿にマツタケが食べられている形跡がしばしばあるので、それらを追い払うのにいたほうがいい

新規開拓へ

10月中旬の小雨降る日に、私はある山村から渓谷沿いの林道を奥深くまで車で走り、車内からはるか対岸上部の斜面を双眼鏡で観察していた。紅葉樹の切り立った斜面にあって尾根筋だけは濃緑で不揃いな樹形をした針葉樹が優先している。遠目だけでその針葉樹がヒノキなのかスギなのか、モミなのかツガなのか私にはおおよそわかるようになっていた。おそらくそれはツガなのだが、そこまで行くにはお決まりのようにアプローチが非常に困難であった。しかも林床がどのようになっているかはここからでは到底わからない。

私はここ数日、アプローチシューズにヘルメット、ハーネス、片手にアックスという妙な格好でいくつもの山を偵察しては失敗を繰り返していた。もはやマツタケなどなくて元々という気持ちで、猟期前の犬のトレーニングを兼ねて散歩がてら、散歩というにはあまりにも急峻で遠いのではあるが、ゆっくりとそのツガの尾根を目指した。ときおり犬が獣道を見つけては私から離れ、カモシカを追い出したり山鳥をおどろかせたりしていた。標高差で数百メートル登ったところで雨は上がり、最初のツガ林の末端にたどり着いた。そしてすぐにマツタケのツボミを見つけた。土壌というよりほとんど砂のような砂礫と、そこにしがみついたツガの大木に、雨上がりの霧が淡くまとわりついていた。点々とツボミを数本採ってその尾根のツガは終わった。その後、西へ西へと登り下りしながら短い懸垂下降を交えて尾根を乗り移る。そして数本先の尾根の中腹で私はひとり再び狂喜の声を上げていた。前回の群生に勝るとも劣らないマツタケの傘たちが、視界のあちこちに散らばっていた。

たまたま近くの里出身の友人がいたのだが、その後に彼に聞いたところ、地元の老人でも昔からマツタケを採ったという話はしていなかったという。迂闊なことはいえないのは承知ではあるが、この山でマツタケを採ったのはおそらく私が初めてではないかと思われた。興奮のままに水谷氏に電話をする。

「とうとうやったねー!すごいねー。散々外れたあとだから、ご褒美ですよ。オレも新しいとこ探すのがんばらなくちゃ。S村の松林も葉っぱが積もりすぎてもう数年で終わっちゃいそうだし、松食いも広がってるし。どんどん貴重になっていくよね」

その後、私たちはシーズンごとに新しいシロを求めてあちこちの山を歩き回っている。てっきりツガだと思ったのがスギやネズコであったり、あまりにも急峻すぎて近寄れなかったり、笹や苔が繁茂していたりとハズレも多い。しかしわずかづつではあるが知見は深まりつつあるので、いずれは再び新しいシロを当てられるのではと信じている。

そしていずれは、私の座る水谷氏の軽バンの助手席に、氏の息子が戻ってくるのを楽しみにしている。肩幅が広く厚い水谷親子の背中が、運転席と助手席に窮屈そうに並ぶのを心から待ち望んでいる。そして雨上がりの曲がりくねった林道をゆっくりと下ってゆくだろう、後部座席に松茸の香りを漂わせて。

最後に、ときに危険を承知でマツタケ採りに向かう信州のキノコ採りたちに心からの敬意を表したい。歴史と伝統ある食文化をこれからも守っていってほしい

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PROFILE

成田賢二

PEAKS / 山岳ガイド・マウンテンワークス

成田賢二

1982年山梨県生まれ。古民家で野菜を作りながら犬、猫、鶏と暮らす。山ではいつも探し物をしている。春は山菜、夏はイワナ、秋は松茸、冬は猪。難しすぎず易しすぎず、のんびりくつろいで泊まれる山旅を愛する。山岳救助や行方不明者の捜索にも携わっている。

成田賢二の記事一覧

1982年山梨県生まれ。古民家で野菜を作りながら犬、猫、鶏と暮らす。山ではいつも探し物をしている。春は山菜、夏はイワナ、秋は松茸、冬は猪。難しすぎず易しすぎず、のんびりくつろいで泊まれる山旅を愛する。山岳救助や行方不明者の捜索にも携わっている。

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