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<槍ヶ岳の初登頂者> 播隆 【山岳スーパースター列伝】#56

文◉森山憲一 Text by Kenichi Moriyama
イラスト◉綿谷 寛 Illustration by Hiroshi Watatani
出典◉PEAKS 2014年2月号 No.51

 

山登りの歴史を形作ってきた人物を紹介するこのコーナー。
今回は日本の登山史上に輝く巨大なパイオニア、富山出身のお坊さんである。

 

播隆

槍ヶ岳と剱岳に行くたびに「これ、鎖がなかったらだれも登れないよな」と思う。どちらもハイシーズンには行列ができるほどの人気コースだが、どちらも地形的には相当危険な場所でもある。本来はアルパインクライミングの対象といってもいいような所だ。

初登頂されたときは当然、鎖などなかったわけで、現在とは比べものにならない苦労があったはずである。ましてやそれが江戸時代となれば。「命を賭けて」という言葉がまったく大げさではないレベルの大冒険であったに違いない。

槍ヶ岳でその大冒険を行なったのが、播隆という僧侶である。槍ヶ岳の初登頂者としてその名はよく知られており、JR松本駅前に銅像が立っていたり、槍沢登山道沿いに「播隆窟」と呼ばれる岩小屋が残っていたりするので、登山者にもなじみ深い人物であるはずだ。

ここで考えてみてほしい。初登頂は1828年。なんと江戸時代である。ゴアテックスのウエアや歩きやすいトレッキングブーツなどもちろん存在しない。濡れにはまったく無防備な服に、足元はわらじ。軽くて調理のしやすい携帯食だってない。せいぜい干し飯だ。山小屋もない。天気予報なんか勘に頼るのみ。携帯電話などあるわけがないので、山奥で歩けなくなるようなケガを負ったらもう一巻の終わりである。現代に置き換えれば、手作りの船で太平洋横断に乗り出すくらいの勇気が必要だったはずなのだ。

そもそも登山道がなかった。これがいちばんキツイ。当時、現在の横尾の先あたりまでは道があったらしいが、その先、槍沢は人跡未踏の秘境だったという。 道のない山を登ったり沢沿いをたどったりするのは、登山道歩きの数倍、場所によっては10倍くらいの時間がかかる。

時間がかかるだけならまだいい。最大のハードルは、「この先、どうなるかわからない」という心理的恐怖だ。人が入ったことがない場所ということは、要するに事前の情報はゼロ。熊が大量に住んでいる場所かもしれないし、引き返せない崖に突き当たるかもしれない。一度突っ込んでしまえば戻ってこられる保証はない。とんでもないギャンブルだったわけだ。

現在、槍の穂先は、下から頂上まで鎖やハシゴがベタ張りでルートは一目瞭然だが、槍ヶ岳山荘のテラスで穂先を眺めながら、「もし鎖がなかったらどこを登るだろうか」と妄想したことがある。岩の形状を丹念に観察してルートを想像した結果、いまある登山道がやはりもっとも合理的だろうという結論になった。

播隆がどういうルートをたどって頂上に達したのかは正確にはわからないが、同じように考えたと思われる。だとすると、頂上直下で最大のギャンブルが訪れたはずだ。現在では15mほどのハシゴが架けられている場所である。

ハシゴなしの素の状態でここを越えるとしたら、おそらくⅡ~Ⅲ級程度の岩登りになるだろう。フリークライミンググレードでいえば5.2~5.4くらい。クライミングの心得がない人がロープなしで登れる場所ではない。絶対に無理というほど難しいわけではないが、登るとすれば決死の覚悟が必要だし、ミスして落ちる確率もそれなりに高いだろう。

グレードなんかより大きな問題は岩のもろさだ。現在の槍ヶ岳の登山道は何千、何万という人が通過した結果、不安定な岩が落ちきった状態であることを忘れてはいけない。播隆が登ったときは、つかんだ岩のほとんどは信用できず、足を置いた岩もいつ崩れるかわからない。そんな状態だったはずなのだ。播隆はそういう登山の末に槍の頂上に立ったのである。

私も大昔、海外の山で初登頂をしたことがある。登っている間中、不安で不安で押しつぶされそうだった。仲間がいなかったら絶対押しつぶされていた。登山の技術が確立された現代においてそうだったのだから、江戸時代にそれをやった播隆のモチベーションがどれほど巨大だったのか、とても想像ができない。

山の初登頂というのはたんなる一番乗りではなく、探検であり冒険なのだ。……なんてことを、この夏、槍ヶ岳に登る機会があったらぜひ思い出してみてほしい。

 

播隆
Banryu
1782年~1840年。富山県出身の僧侶。19歳のときに出家。1823年に笠ヶ岳に登り、槍ヶ岳の開山を志す。1826年から槍ヶ岳の実地調査を開始し、1828年7月に初登頂に成功した。

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PROFILE

森山憲一

PEAKS / 山岳ライター

森山憲一

『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com

森山憲一の記事一覧

『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com

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