一串ごとに山を思い出す黄昏の時「鳥臣」 (長野県松本市)【グルメトラバース】#013
川名 匡
- 2023年10月27日
INDEX
山に登り、麓の食を堪能することをライフワークとする、とある山岳ガイドの彷徨旅=グルメトラバース。
今回は山の大先輩に“連れて行かされた”思い出の焼き鳥屋へ。
文・写真◎川名 匡
喉越しとともによみがえる山の記憶
山登りをする者にとっての楽しみは山に行くことだけではない(独りよがりの断定?)。とくに私は、山だけでなくその行き帰りのプロセスを含め、“旅”として楽しむのが好き。だから私の山行の楽しさの頂点は目的の山頂到着時ではなくて、山を無事に下りきって、まずはグビッと一杯やるときだ。
だがそれは、下山した直後の下山口にある自販機の缶ビールでは決してない。
この鳥臣(「鳥じん」とも表記)のカウンターで、鳥が焼き上がるその前に、私の胃袋と鼻先をくすぐる甘だれの焦げた匂いと漂う煙を楽しみながら、まずはお通しで出る生キャベツをパキッとかじってから、夏なら定番の塩丸イカの梅マヨサラダ、冬ならモツ煮を前にして、キンキンに冷えたジョッキの生ビールを喉越し勢いよく自らの食道に流し込む瞬間だ。
このとき、勢いよくジョッキの半分は流し込まないと良くない。なぜならばまずその刹那、今回の山行の風景、場面、苦しかった山頂直下、そして同行者と笑い合った顔などが、走馬灯のように勢いよく目の前に浮かぶからだ。
この瞬間、今回の山が楽しかったのか、はたまた苦しかったのかが決まる。楽しくても苦しくても、この瞬間がたまらなく好きだ。それは無事下山の安堵感と相まって、冷えたビールが五臓六腑に染み渡るからだ。
思い出の“連れて行かされた事件”
この焼き鳥屋は、穂高在住の山の大先輩に教えてもらった。教えてもらったと言うよりも、“連れて行かされた”というのが正解だろう。
なぜなら、その先輩に山岳ガイドとして転機になり得るかもしれない相談事があり、こちらから飲みに誘ったら、「おまえから外飲みに誘われるなんてめずらしいな~。当然おごってくれるんだよな?」と言われ(ドキッ)、話の流れで私が勘定を払わなくてはならなくなった。
だいぶ後になってから、「おまえがおごってくれるんなら、あんまり高い店には連れて行かせられないよな……と思った」と、涙が出るような後輩を思いやる言葉があった。なのでこの“連れて行かされた事件”がなければ、鳥臣との出合いはもう少し後になったか、ひょっとしたらいまだにこの店を知らなかったかもしれない。
なので、相談に乗ってくれたことももちろんありがたかったが、鳥臣を教えてくれたことに、いまもすごく感謝をしている。
手羽生姜に始まり、手羽生姜に終わる
鳥臣は我ら電車利用の山ヤに至極都合の良い店だ。
まず16時半オープン。これはありがたい。
そして駅近。松本駅前の信号を渡ると、あとはビルをぐるっと回り込むだけで到着。ただし、カウンターだけで8人も入ると満席となる。登山者や観光客というよりも、地元の勤め人に人気で、17時を過ぎると途端に満席となる。
なので16時半オープンから17時の間に入るとセーフ。従って、今日は松本に着くのが16時半~17時となったら、迷わず鳥臣に足が向く。狭い店なので基本的に予約はできない(18時までなら予約可)。
今年で店を開いて丸39年目、先代の父親から代替わりして15年(現在16年目)と大将の土屋泰臣さんが話す。39年前の開店日に来てくれた人達がまだ通い続けてくれているという人気の店だ。
ところで、私が通い始めたころにはいなかった女将さんとの息の合った狭い厨房内での動線作りがすばらしい。無駄な話は一切せず、必要なことは目で合図をする。独り飲みのときはとくに、このふたりの動きを眺めるのもまた楽しい。焼き鳥を焼く大将の静と女将さんの動が、流れる水と苔むした岩のようで、まるでふたりが絡み合うダンスを見るようなのだ。
そう、肝心な焼き鳥の話をせねばならない。私が大先輩に教えてもらったという理由でこの店に通っているわけではない。それは焼き鳥が旨いからだ。
仕事柄、日本全国の焼き鳥屋に通っている。焼き鳥というと、どんな焼き鳥屋に入っても、普通は大体似た味に巡り会える。たとえばカツ丼やカレーライスのように、ああ焼き鳥が食べたいなと思えば、初めて行く土地で初めて入る店でも、覚え知った味に巡り会える。それが焼き鳥屋の魅力だと思う。
ところがこの鳥臣はちょっと違うのだ。なにが違うかといえば、それは他の土地に行っても、ふと「鳥臣の焼き鳥が食べたい……」と思ってしまうことだ。そのくらい、ここの焼き鳥は後を引く。
焼き鳥メインの串はどれも美味しいが、とくに私の好きなのは手羽生姜だ。
鳥臣では通常の串物は醤油だれと塩、レバーは味噌だれを使うが、手羽だけは生姜だれを使う。独特の香りが強く、鼻先をくすぐり食欲をそそる。手羽特有のコリコリ感がある食べ応えのある一品。手羽というと骨付きのいわゆる手羽先が一般的だが、ここの手羽は骨がないのが特徴で、これは先代が店を始めたときから変わらないそうだ。
とにかく絶品。だから私の場合はまず手羽から食べ始め、小肉やネギマ、レバー、皮、つくね、そしてタマネギ、魚(イワシやサンマ又はイカなどの旬の魚が出る)ときたら、サクッとした食感がたまらなく良い肉巻ながいもを頬張り、最後の〆はまた手羽に戻る。
生ビールは1杯のみ。2杯目で終わるか3杯目にいくかはその日の気分だが、〆は日本酒でなくてはならない。ぽん酒は、やっぱり松本の地酒である女鳥羽の泉(善哉酒造)。
苦み走った真剣な顔で焼き加減を見続ける大将の顔を横目でチラチラ見ながら、帰りのあずさ(新宿行き特急電車)の時間を気にしつつ、頬張る串がたまらなく好きだ。
今夜の酒とアテ
酒は女鳥羽の泉の純米酒。 アテはもちろん手羽生姜。
鳥臣
長野県松本市深志1-2-5(JR松本駅お城口より徒歩2分)
TEL.0263-36-9741
営業時間:16:30~21:30(ネタが終了の時点で閉店)
※18時までなら席を予約可能。現在、入店は1グループ3名まで(例外もあり)。
定休日:日曜日、祝日
山の帰り、特急電車の時間調整でちょっと一杯が最高。ただし17時までに入店がベター。
お盆の山は激込みの涸沢で
松本を起点にすると北アルプスのいろいろな山に入ることができるが、一番多いのはやはり上高地に入り、槍穂高へ登る登山者だろう。松本から新島々を経てバスでの所有時間は2時間ほどだ。上高地から約5~6時間で入る今年のお盆の涸沢は久しぶりに激混みだった。
山も人が戻りだし、うれしいことだが、やはり山は静かな方がいいなあと思うと、少し複雑な気持ちにはなる。山の日は北穂東稜を登ったが、バリエーションルートも混み合っていた。
*****
▼雑誌「PEAKS」最新号のご購入はAmazonをチェック
SHARE