大いなる山 Mt.デナリ・カシンリッジへの挑戦 ハイキャンプ編|#6
佐藤勇介
- 2024年12月24日
北米大陸最高峰、デナリ(標高6,190m)。7大陸最高峰のひとつに数えられ、その難易度はエベレスト登山より高いという声もある。
高所登山としての難しさだけでなく、自身による荷揚げ(ポーター不在)、トレイルヘッドからの比高の高さ、北極圏に近い環境など、複合的要素が絡み、登頂成功率(※2023年度)は30%前後。
そんなデナリへ初めて挑んだ、山岳ガイドの山行を振り返る。
文・写真◉佐藤勇介
編集◉PEAKS編集部
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Day 7 ウエストバットレス
天候は好天周期に入っているようで、しばらく安定している。5時に起床。SPO2(血中酸素飽和度)は81に下がっていた。朝飯をつくるべくお湯を沸かそうとするが、なかなか沸かない。ストーブは威勢のいい音を立てているのでそのまま30分ほど待ったが、いっこうに沸く気配がない……。ガソリンストーブの熱はコッヘルに届く前に瞬間冷却されてしまっているのか?
メディカルキャンプは東側にウエストリブの尾根が張り出していて、9時をすぎないと朝日が当たらない。太陽の熱が届くまでは冷凍庫状態で、気温はマイナス20℃以下に保たれている。やはり気温が低すぎるのだ。
これでは埒があかないと、二度寝を決め込んで9時にあらためて動き出す。太陽の力は偉大で、日が当たると格段に暖かい。行動時間は長くないので、昼すぎにゆっくりとハイキャンプへ向けて歩き出す。
涸沢カールを白出のコルへ向けて歩いていくような感じで、始めは緩やかで徐々に傾斜が増してくる。後半は氷壁となっているが固定ロープが張られているので、アッセンダーを使いながら登る。
前半の斜面を登っていると上から日本人らしきパーティが降りてきた。なぜ「日本人らしき」と思ったかというと、見慣れたモンベルのジャケットを着ているからだ。遠目からでもわかるからおもしろい。
声をかけてみると20代の若者4人組で、ハイキャンプから頂上へ向けて登ったが、途中のデナリパスという場所で引き返してきたとのこと。うち1人に高山病の症状が出たため頂上を諦めたそうだ。私だったら1人をハイキャンプに帰してそのまま頂上を目指したかもしれない。しかし、彼らは全員が下山することを決めた。準備を含めたそこまでの苦労を思うと、引き返すことは苦渋の決断だったに違いない。仲間を想う彼らの行動は、頂上を踏むことよりも遙かに尊いことだと思った。
稜線まで半分ほど登ったところで傾斜が増して、雪だった足元は氷の斜面となる。荷物は圧倒的に軽くなったが標高は5,000mを超え、アイゼンの前爪で立ち込んでいくので息も切れて、なかなかに苦しい。渋滞を危惧したが、出発のタイミングが遅れたことが功を奏したか、待つことなく登ることができた。
近くに見えた稜線はやはり遠くきつかったが、ジワジワと進む。汗をかきながら登っていたが稜線に飛び出した途端、冷たい風が北から吹き上げてきた。慌ててジャケットを着込んで態勢を立て直す。冷気がこれまでのものとはレベルが違うように感じられた。
ここからはウエストバットレスの稜線歩きとなる。テクニック的に難しい箇所はないが、ナイフリッジ状で落ちたら終わりなので、ロープをつなぎあって支点を取りながらコンテで進む。
これまでは氷河の上を歩いていたので基本的に谷地形だったが、ここからは稜線歩きだ。激しい息切れにペースが上がらないが、展望は素晴らしく、ところどころに岩場が現われるので緊張感があって楽しい。眼下にメディカルキャンプが見え、これまで歩いてきたカヒルトナ氷河もその先に続いている。
もうひと登りでハイキャンプとなるところで3人パーティが休憩していた。軽くあいさつを交わすと、彼らはフィリピンから来ているそうだ。さすが世界中からクライマーが集まる場所。のんびりと楽しそうに休んでいて、「スシスキ!」なんて声をかけてきたので、笑ってしまった。
最後の登りを終えて小さなピークを回り込むと、広々としたコルにテントが並ぶハイキャンプだった。標高は5,200m。これまでのキャンプとは違って気温もいちだんと低く、風も吹き抜ける厳しい場所であることが感じられる。
幸い、いいテン場が見つかり、さっそくテントを張る。これまでは雪の上といった感じだったが、今度は氷の上といったほうが近いような硬さだった。
テントに潜り込んで温かいものを飲むと、やっとひと息つくことができた。やはりお湯が沸くのは遅かったが、MSRのリアクターストーブはパワフルで、ガソリンストーブの比ではない。
SPO2を測ると70台で、結構低い。軽い頭痛の症状があり、顔はむくみ、ややしびれがある。幸い食欲はしっかりあって、耐えられないほどではなかった。
夕食を終えるとすることがないし、寒いので、寝ることとする。しばらくウトウトしていると20時過ぎに到着したパーティがあり、話し声を聞いていると、どうやら先ほど出会ったフィリピンの一行のようだ。あと少しでハイキャンプというところで追い越してから3時間以上たっての到着であまりにも遅く、いったい何をしていたんだろうと不思議だったが、高度障害で動けなかったのかもしれない。
23時ころに山頂方面から下山してくる団体パーティもあって、遅くに出発したにしろずいぶん時間がかかるもんだと思ったが、それだけここから先は厳しいのだろう。とくに大人数となると遅い者にペースを合わせる必要があるから、リスクも増すように思う。
DAY8 メディカルキャンプ帰還
朝方、隣のフィリピンの3人組の話し声がすると思ったら、どうやら山頂に向けて出発したらしい。「昨日遅くに着いて、早朝の出発で大丈夫か?」と思ったが、他人の心配をしている余裕はない。
後日知ったことだが、このパーティの1人が山頂付近で滑落し亡くなってしまったそうである。仲間が雪洞を掘って3日間付き添ったらしいが、救助が間に合わなかったようだ。6,000mを越える厳しい環境では、救助も簡単に行なうことはできない。メジャーな山であっても、そこは変わらないことである。
9時すぎにゆっくりと起きると、頭痛は収まっていた。気温はマイナス25℃以下で、昨日つくった水はすべて凍り、溶かさなければならなかった。日本の山のように水づくりをまとめてするよりも、必要な都度につくったほうが燃料効率がよさそうだ。
硬い雪を掘って下山時用のキャッシュを埋め、下山に取りかかる。次にこれを掘り返すのは、無事に登り終えたときだろうか?
ここから山頂を目指せば一日で往復できるが、我々の目的はカシンリッジからの登頂なので、きびすを返していったん下山する。
もと来た道を戻る。途中、大パーティーの渋滞に巻き込まれたが、うまいことかわして16時くらいにメディカルキャンプに着いた。やはりここは環境的に守られていて安心感がある。空気も、上に比べるとずいぶん濃いように感じた。
DAY 9 アタック準備
高度順応を終えてメディカルキャンプに戻り、ようやくカシンリッジへの挑戦権を得ることができた。ここでしっかり休養し、準備を整えて万全の態勢でアタックしたいものである。
ところが、山はそんな都合を聞いてくれるわけはない。安定した天候が、できれば5日、続いてほしい。しかし、長期予報をみると、5日後くらいから風が強まり荒れ模様となるようだった。デナリの山頂付近での悪天候では行動は不可能だろう。その悪天周期をやりすごすとなると、アタック開始は10日以上遅れる。何度もデナリに通っている井出の経験上、季節が進めば進むほど天候は悪化していくとのことだった。
本来であれば3日は休養が欲しいところだが、相談の結果、今日のうちに準備を終えて、明日出発。5日欲しいところを4日で駆け抜けるという短期速攻で行くしかないという結論になった。
巨大な穴を掘って、アタックに不要な装備をすべて埋める。SPO2は90台まで上がって、順応が整っているようだ。それでも疲労は抜け切れておらず、脚がつりやすく、体は重い。昨日に比べてずいぶん暖かく、快適なスリーピングバッグにくるまりつつ、不安と期待が入り混じったまま眠りに着く。明日はどこまで進めるだろうか。
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ところで、ノーマルルートやカシンリッジのラインの入った簡略な図でもあれば、毎回読んでくださっている皆さんにもわかりやすいのではと思い、ササッと書いてみた。
私としては参考程度に……と思ったのだけれど、このWEB記事の担当編集者によると「これ、いいじゃないですか! このまま載せましょうよ!」とのことなので、よかったら見ていただければと思う。
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PROFILE
1979年生まれ。山岳ガイドとして、ハイキングからアルパインクライミングまで四季を通じて幅広く日本中の山々を案内している。プライベートでは長期縦走、フリークライミング、ルート開拓に熱をあげ、ガイド業の傍ら東京・昭島市でボルダリングジム「カメロパルダリス」を経営。日本山岳ガイド協会・山岳ガイドステージⅡ。