富士山とおなじご利益あり!全国の富士塚に登る【#11 氷川神社板橋富士】
小林知之
- 2023年06月28日
登れば本物の富士山を登ったときとおなじご利益があるとも言われている富士塚に、地図好き芸人・小林知之さんが参拝。みなさんの抱える悩みやモヤモヤを、山の頂に届けてくれます!
3つある登山道。大きな祠を目指して
夏場になると、ちょっとした坂もしんどくなり、階段は避けがち、エスカレーター・エレベーターにお世話になる日々。できるだけ地上にいる時間は少なく、クーラー&冷房車両。絶賛運動不足2023のみなさん、こんにちは。できる限り暑さから逃れるため、地下への出入り口を頭に入れ込んでいる小林です。みなさんも暑さとうまくお付き合いしていますか?気分屋で、だいぶ頑固な性格なのが暑さ。ですので上手に乗り切っていきましょう。
それでも「街の暑さは耐えられないけど、山の暑さは耐えられる」なんて、都市伝説みたいなこという人もいるのです。いや、おそらくそうなのでしょう。きっと山は気持ちがいいのでしょう、夏山は。青山や代官山、山手線でさえも行くのが億劫なのに、夏山に足が向く方を尊敬してしまいます。
そして、そんな夏にしか登れない山があります。それが今回のお便りです。
【お便りいただいたY奈さんのお悩み】
「今年こそ日本一の富士山の山頂に立ちたい!」
「氷川神社板橋富士」で悩みを成就
今回は、都営三田線板橋本町駅から徒歩8分。氷川神社境内にある板橋富士に悩みを聞いてもらおうと思います。江戸時代には、板橋宿の鎮守として広く信仰を集めたといわれる板橋富士。この富士塚の特徴は3つある登山道と、山頂にある大迫力の祠です。
富士塚の山頂といえば、人がひとり立つのがやっとなスペースに小さな祠があり、上手にしゃがんで手を合わせる。そんな山頂が多いのですが、板橋富士は登山道を登らずしても、下から見上げれば、その場で拝みたくなるような大迫力の祠があります。実際に登らずに拝んでいる方もちらほら。
そんな大迫力な祠が自慢の板橋富士からY奈さんへのアドバイス
「いつまでもあると思うな自分と富士山」
板橋富士のある氷川神社、じつは過去2度消滅しているのです。
1度目は明治22年に火災にあい、社殿が焼失。翌年再建されたのですが、昭和20年の空襲で再び焼失してしまいました。現在の社殿ができたのが、12年後の昭和32年。12年間社殿はなく、拝みたくても拝めない、登りたくても登れなかった時代があったのです。
これはなにも社殿や富士塚に限ったことではありません。モノや人、たとえ山でさえ、永久的に登ることができるとは限らないのです。焼失しなくとも、自然保護や、何かしらの理由で登れなくなってしまうかもしれません。そして自分だって、いつまでも登れる体でいられるとも限りません。
いつまでもあると思わないでください、山も健康も。今年こそじゃありません。登るならいまです。
プロフィール/小林知之
太田プロダクション所属の芸人。芸人といいながら日本大学地理学科で学んだ地理好きスキルを使って、地図会社で働いたり、国土地理院で地図の講習をしたり、国旗の本を出したりと、謎のWワークをする二児の父。芸人としては竜兵会所属、コント中心のおもに「つっこみ」と呼ばれる役割を担っている。
Instagram:@cobayashitomo
SHARE
PROFILE
太田プロダクション所属。芸人といいながら、日本大学地理学科で学んだ地理好きスキルを使って、地図会社で働いたり、国土地理院で地図の講習をしたり、国旗の本を出したりと、謎のWワークをする二児の父。芸人としては竜兵会所属、コント中心のおもに「つっこみ」と呼ばれる役割を担っている。