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【根本健 RIDERS CLUB 500号記念コラムvol.7】 ホンダのV4時代にヤマハが対抗したジェネシス

V4エンジンといえばホンダ……それは’80年代のひとつのエポックともいえるでしょう。’78年にDOHC化されたCB750/900Fで、沈黙を破って逆襲をスタートさせたホンダでしたが、その本命ともいうべき懐刀は従来の並列4気筒ではなくV型4気筒でした。バイク史上で初の量産V4は、ビッグバイクをコンパクトでコーナリング・ポテンシャルを高めるのに必要な幅の狭いエンジン・レイアウトという理想のカタチと目論んでいたからです。その第一弾は2ストローク全盛だったGPマシンに4ストロークで対抗しようとチャレンジを開始したNR500でした。

【RIDERS CLUB 500号記念コラムvol.7】 ホンダのV4時代にヤマハが対抗したジェネシス 【KEN’S TALK 特別編】

市販車は’82年のVF750。根強い人気の並列4気筒の存在を意識して、ツーリングスポーツからスタートしたV4は、徐々にパフォーマンス側での進化を早め、F750クラスにワークスマシンRVF750を投入するまでになりました。ただレースでは、この2気筒並みに狭いエンジン幅や、クランクマス中心軸がハンドリングで重要な重心位置をやや後退させることから当初ライダーに違和感を覚えさせ、乗れるライダーと苦手に感じる場合とのコントラストを生じていました。さらにエンジン・フィーリングがスムーズ過ぎてトラクションを実感しにくい問題もクロースアップ、クランク位相を180°から360°といわゆるビッグバーンへと進化したのは忘れられません。エンジンは振動がないスムーズさが一番と思われてた時代から、スロットルを開けたとき、後輪が路面を掴みやすく旋回加速で曲がる、つまりトラクションに優位なほうを優先させることになったからです。これは2ストGPマシンのNSR500まで飛び火し、最近ではヤマハの並列4気筒でも不等間隔爆発を採用するに至るまで、ビッグマシンでは重要な要素として常識化しています。

幻となったヤマハV4プロジェクト

このホンダのお家芸となったV4ですが、タイミングがもう少し遅れていたら実はヤマハのスポーツバイクの切り札になっていたかも知れなかったのです。

ヤマハは4ストロークのビッグバイクへ、当初トラディショナルな650ccバーチカルツインXS-1で参入し、750や500のツインから3気筒のGX750、そして4気筒のXJシリーズに至るまで、常にツーリングスポーツとしてのコンセプトを守っていました。ユーザーが実際に使うのはツーリング・シーン、そこの実用性を優先するためレース・イメージにはオーバーラップさせていませんでした。

しかし時代はビッグバイクでもコーナリングを楽しめる流れが強まり、レースシーンが人気を左右するようになってきていました。そこでヤマハは従来とは全く異なるスーパースポーツ開発に着手、何とそこで選ばれたのはV4エンジンだったのです。一気に高性能化を得ようというこのV4には、従来のひとつの燃焼室あたり4バルブではなく、5~7バルブという多バルブ化も併行して開発され、レーシングマシンも同時開発してスーパースポーツでのトップブランド獲得へ弓矢を放つ寸前まできていたのです。

ところがホンダからV4がデビュー、最大のライバルに対し模倣のイメージを嫌ったヤマハは、V4プロジェクトを封印してしまったのです。とはいえ、スーパースポーツ開発は時代のニーズ、そこでヤマハはこの完成間近だったV4 のノウハウ活かすため、V型の後方バンクを前バンクに横へ連結する、前傾45°の並列4気筒の開発へと継続、誕生したのが’85年にデビューしたFZ750でした。気筒あたり5バルブで吸気をストレート化するためダウンドラフト・キャブレター採用など、従来の並列4気筒とは外観から異なるエンジン形式で、ヤマハはこれをジェネシス・エンジンと名付け革新的であることをアピールしました。

【RIDERS CLUB 500号記念コラムvol.7】 ホンダのV4時代にヤマハが対抗したジェネシス 【KEN’S TALK 特別編】

当時はまさかV4エンジン開発から生まれたエンジン形式とは思えず、45°前傾と真上から吸気する構成も効率化でしか意識してませんでしたが、後々経緯を知ってからこのカタチの意味を理解したのが正直なトコロ。僅かな時間のギャップでしたが、まさに運命的なモノを感じずにはいられません。

RC30とOW01

ホンダのV4、そしてヤマハのジェネシスは、その後ホンダ優勢の流れではあったもののF750世界選手権や鈴鹿8耐でパフォーマンス勝負を続けていました。市販車もホンダがVF→VFRへと刷新、ヤマハもレプリカイメージのFZRシリーズへと進化して両巨頭の激突が続いたのです。それを象徴したのが、’87年のVFR750Rと’89年のFZR750Rでしょう。現在のスーパーバイク世界選手権の前進である当時のF750は、世界GPとは違ってプロダクション・バイクをベースとしなければなりません。そこで優位な展開とするためには、ベースとなるスーパースポーツをレーシングマシンへの改造限度の範囲を意識した構成とする必要があります。当初はレプリカ・イメージで、レーシングマシンに近い仕様でしたが、それが遂にエスカレート。レーシングマシンの公道を走れる灯火類をつけただけの、レプリカではなく本モノを開発して、市販車としての認定を得るため少量限定生産するまでに至ったのです。

【RIDERS CLUB 500号記念コラムvol.7】 ホンダのV4時代にヤマハが対抗したジェネシス 【KEN’S TALK 特別編】

【RIDERS CLUB 500号記念コラムvol.7】 ホンダのV4時代にヤマハが対抗したジェネシス 【KEN’S TALK 特別編】

正式名称VFR750Rは一般市販車との差別化もあってRC30という車体形式で呼ばれ、当時の国産バイクではあり得なかった148万円という2倍以上の価格で限定販売されましたが瞬く間に完売。また2年後の正式名称FZR750Rも開発コードOW01で呼ばれて200万円と超高価でしたが、これもアッサリと完売されてしまいました。前年までのワークスマシンを市販化した限定車両……’80年代前半には夢のような話でしたが、まさかの現実のモノになってしまったのです。これを機に、レーシングマシンと共同開発するのが徐々に当然のコトとなり、日本メーカーだけでなくドゥカティなどでも同様の開発が常態化しました。最新のモトGPマシンを複製したRC213V-Sへの道は、30年近く前からあったというワケです。
(根本健)

◆表紙撮影の秘蔵エピソードも公開!
500号記念スペシャルコンテンツ“表紙でたどる『RIDERS CLUB』の歴史”

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PROFILE

ネモケン

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根本健。75 ~78年まで世界GPに参戦。帰国後はライダースクラブ編集長として、ワークスマシンから市販車まで幅広く試乗。70歳を超えた今も最新マシンに乗り、読者にライテクを指南している

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