【RIDERS CLUB 500号記念コラムvol.8】 オリジナリティに拘る海外メーカーの台頭 【KEN’S TALK 特別編】

69年のホンダCB750フォアの量産車初の4気筒に200km/hという、それまでGPマシンでしか見られなかった夢の多気筒エンジンとパフォーマンスは、英国勢やドイツBMWが独占していた大型バイクの世界を一変させてしまいました。伝統のバーチカルツインを代表するトライアンフやBSAは、3気筒へ気筒数を増やして対抗したもののカワサキZ1も加わった日本車の勢いは止められず、ノートンなどライダーの憧れだったブランドも次々と廃業へ追い込まれていったのです。

ただ創業以来の変わらない45度Vツインで、パフォーマンス追究とは一線を画していたハーレーは、ホースライディングが根づいたアメリカ文化の中で生き残り、’90年代からの圧倒的なファン獲得で日本メーカーを脅威としない存在にまで成長しました。そしてヨーロッパ勢では、BMWと大型市場へ参入したばかりのドゥカティやMOTO GUZZIなどに加え、オフロード車ブランドのハスクバーナやKTMが、日本車にはないオリジナリティの強さで少ないながらシェアを保っていました。

その中でBMWは、創業以来の水平対向ツインでは厳しくなるいっぽうの排気ガス規制に将来的には耐えられないと2輪部門の閉鎖まで検討、しかし彼らの決断は2輪メーカーとしてスタートしたフィロソフィーを守り続けよう、そのためには延命ではなく新たなチャレンジをスタートしようというものでした。

オリジナリティを生む開発姿勢で躍進したBMW

’83年、BMWは水冷4気筒を縦置きにしてしかも横に寝かせるという、これまでにない形式のK100シリーズを発表したのです。秋深まるドイツでの発表試乗会に出かけたときのインパクトは今も忘れません(’83年12月号)。開発プロジェクトリーダーに、隣国オーストリアの小メーカーであるプフにいたS.パハネッグ氏を擁立、外からの視点でBMW存続の道筋をつけるほうがより明確になるという英断を下したのです。彼は1923年に誕生したBMW初のR32に込められた類い稀な優位性を、将来へ向け如何に継承するかをドイツ人とは違った視点で具現化しました。4輪メーカーらしくフォーミュラ2で名を馳せた最新テクノロジーの燃料噴射など、将来性を睨んでまだ日本メーカーが実用化に至らなかった技術力で、低速での力強さとスムーズな高速クルージング、そしてシリンダーを横に寝かせた低重心による圧倒的な安定感は、まさに日本車にはない優れたオリジナリティを感じさせていました。さらにパハネッグ氏は、当時速度無制限のアウトバーンであまりの速度差に乗用車へ追突する死亡事故が増え、ビッグバイクへの批判が出はじめた状況にいち早く危機感を唱えて2輪メーカーでは初のABS開発に着手、インタビュー取材で会ったときテスト段階の車両に試乗までさせて意見を求めるなど、BMWが攻勢に転じたからには、リーダーとしてあるべきという強い思いが伝わってきました。

【RIDERS CLUB 500号記念コラムvol.8】 オリジナリティに拘る海外メーカーの台頭 【KEN’S TALK 特別編】
【RIDERS CLUB 500号記念コラムvol.8】 オリジナリティに拘る海外メーカーの台頭 【KEN’S TALK 特別編】

その後にベルリン工場も訪問しましたが、日本メーカーでは考えられないクルマと同じような吊り下げ式のゴンドラに載せられ組み立てる全く新しい生産方式で、水平対向ツインのRシリーズと4気筒のKシリーズが混在したままラインを流れてくる光景には圧倒されました。BMWはこのKシリーズで、何れ空冷ボクサーすべてを置き換える目論見だったのですが、併行して改良したR80シリーズなど人気が衰えずそのタイミングをはかりかねていたのも懐かしい思い出です。本誌のBMW広告で、何度もこれが最後のボクサーと告知されたのに、アメリカを中心にバックオーダーが途切れず、遂にBMWは新たな決断をすることになりました。

’93年に発表されたR1100RS(’93年3月12日号)は、伝統の水平対向のボクサーエンジンを全く新しい次元で開発、燃料噴射と4バルブ化やテレレバーにパラレバーという独特の足回りによる比類のない安心感と操る楽しさで、続いて世に出た人気のGSやRのシリーズを含め、日本メーカーにはないオリジナリティを生む開発姿勢で世界や日本でも多くのファンを獲得しました。

DUCATIのチャレンジが遂に日本車と真っ向勝負に

日本勢の多気筒化で高回転化によるハイパワーを得る手法に、ビッグボアのLツインをデスモ(強制開閉バルブ)という独自の技術で対抗してきたドゥカティ。べベル駆動のSOHCからコクドベルト駆動へと、これまた日本勢が手を付けない手法でパンタ系を誕生させ750F1で一気に注目を浴びた展開は既にご紹介しました。

【RIDERS CLUB 500号記念コラムvol.8】 オリジナリティに拘る海外メーカーの台頭 【KEN’S TALK 特別編】

その後、水冷DOHCデスモへとさらに高度に進化させた新エンジンの851(’88年9月号/’89年8月4日号)は、スーパーバイク世界選手権レースを睨みつつの市販車開発で日本勢に勝つために虎視眈々だったのは誰の目にも明らかでした。そのいっぽうで空冷パンタ系Lツインも、大型車なのに軽量スリムなため扱いにコツを必要としたのが、タイヤがラジアル化され一気に乗りやすさを得た750Sport(’88年9月号)から発展した900SS(’89年8月4日号)が、コーナリングを容易に楽しめるハンドリングの良さで輸入車としては異例の販売台数を記録していました。

【RIDERS CLUB 500号記念コラムvol.8】 オリジナリティに拘る海外メーカーの台頭 【KEN’S TALK 特別編】
【RIDERS CLUB 500号記念コラムvol.8】 オリジナリティに拘る海外メーカーの台頭 【KEN’S TALK 特別編】

こうしたドゥカティの悲願ともいうべき世界制覇を確固たるモノにしたのは、紛れもなく916でしょう(’94年4月号)。これを可能にしたのはあのタンブリーニ氏。ビモータで傑作マシンを次々と生んだ彼は、カジバを主宰するカステリォーニ氏に見込まれ、傘下になったドゥカティでPasoを手掛けカジバのGPマシンでも車体開発を担った後、851→888と進化してきた水冷DOHCデスモLツインを916ccまで拡大した新Lツインで、これまでとは格段に次元の異なるスリム化とコンパクト化を具現化したのです。とりわけ常識的には左右に張り出していたサイレンサーをGPマシンのように初めてシート下へ収め、リーン方向の運動性を飛躍的に高めた設計は秀逸でした。モノアームとしたスイングアームやヘッドライトからメーターをカプセル化したりステアリングヘッドを可変にしたカセット方式など各パーツは、ブレンボ社の高度な鋳造技術によって軽量化と高いクォリティを達成、前後のサスも躊躇なく日本のSHOWAにレーシング仕様そのままを発注するなど、その仕上がりは日本車を遥かに凌ぐものでした。この発表試乗会のためイタリアはミザノ・サーキットへ急遽飛んだのですが、まるでGPマシンのような次元のハンドリングとトラクションの優秀さに、正直言葉を失い世界GP転戦時代からの知り合いだったタンブリーニ氏の鬼才ぶりに感銘を受けたのは忘れられません。

ご存じのように916は排気量をアップしながら、それまでの優勝したこともあるくらいのポジションから一気に脱して、圧倒的な強さでスーパーバイク世界制覇を果たし、日本勢がこれを追うという、以前には考えられなかった状況が生まれたのです。

後にタンブリーニ氏がカステリォーニ氏と共に、青年時代からの夢だったMVアグスタのブランドであのF4(’99年7月号)へと辿り着いたその情熱にも、けして妥協を許さない完璧なクオリティと最高のハンドリングが込められていたのはいうまでもありません。
(根本健)

<<前回のコラムを読む 次のコラムを読む>>

 

◆表紙撮影の秘蔵エピソードも公開!
500号記念スペシャルコンテンツ“表紙でたどる『RIDERS CLUB』の歴史”

20151030_RC500history

SHARE

PROFILE

FUNQ

FUNQ

趣味の専門誌を届けてきた私たちが世界中の人に向けて、趣味の世界への入り口をつくりました。彩りに満ちた人生の新たな1ページが、ここから始まります。

RIDERS CLUB TOPへ

No more pages to load