MOTO GUZZI イタリア最古のオートバイメーカー

モータリゼーション初期の重要な一翼だったグッツィ

少年の頃から鍛冶屋に出入りしていたバイク好きのカルロ・グッツィ。ジェノバの資産家の息子、ジョルジオ・パローディ。バイクレーサーのジョバンニ・ラヴェッリ。3人は第一次世界大戦中のイタリア空軍で出会い、戦争が終わったらバイクメーカーを作ろうと意気投合する。しかし終戦直後ラヴェッリは飛行機事故でこの世を去ってしまった。それでもグッツィとパローディの二人は約束を果たすべくバイクメーカーを起ち上げた。そのシンボルには3人の絆の証として、イタリア空軍が使用していた鷲の図案を用いた。

カルロ・グッツィ
ジョルジオ・パローディ

1920年代にレースで頭角を現した

1919年、グッツィは初号機となるプロトタイプ「G.P.」を完成させる。もちろんグッツィとパローディの頭文字だ。しかしパローディがその名を冠することを辞退したことから、車名は『MOTO GUZZI』と名づけられ、1921年にジェノバで公式に登記された。グッツィとパローディのコンビネーションは完璧だった。グッツィの才気溢れるアイデアとデザインを、パローディは全面的に信頼してレース活動やセールスに邁進した。

グッツィは創成期からレースで頭角を現し、当時隆盛を誇っていた英国車を出し抜いて勝利を重ねた。イタリア国内レースはもとより、ワールドチャンピオンシップでも連勝し、当時さらに重要なレースであったマン島TTにも挑む。レギュレーション違反により一度は勝利を剥奪されるものの35年、スピード記録を更新して優勝を果たすのだ。これはイタリア勢初であると同時に、イギリス以外のマニュファクチャラーとしてもマン島TTのシニアクラス初となる記念すべき勝利だ。

本社ミュージアムに入ると、最初に出会うヒストリックグッツィがこのプロトタイプ「G.P.」だ。唯一、ガラスケースで保管されている

初の市販車は1921年の空冷水平単気筒だった

モト・グッツィの市販車第1号は、1921年に発売された。吸気をサイドバルブ、排気をOHVとする空冷水平単気筒を搭載する「ノルマーレ」だ。半自動油冷システムやアルミ製クランクケース、外付け大径フライホイール、ダブルクレードルフレームを採用したマシンは、英語ならノーマルというその名にそぐわぬほど当時は画期的なアイデアと機構を持っていた。この後、500㏄単気筒エンジンは長らくモト・グッツィの象徴となる。

1921 ノルマーレ

.市販第1号車ノルマーレ。コスト高のためプロトタイプが採用したOHC4バルブは見送られたが画期的な発想がたくさん詰め込まれた

だがそれは市販車でのことで、レーシングマシンとしてはそのビッグシングルにリヤバンクを追加したVツイン「ビチンドリカ」、スーパーチャージャー付き水冷直列3気筒を搭載する「トリチリンドリ」を開発し、多気筒化にも成功している。この流れは55年に完成した500㏄水冷V型8気筒を積むレーシングマシン「オットーチリンドリ」につながる。

1933 ビチンドリカ

.水平単気筒にリヤバンクを追加したV型2気筒エンジン搭載マシンは、国内レースやマン島TTで大活躍した

1957 オットーチンドリ

水冷V型8気筒という巨大なエンジンを積むオットー・チリンドリ

第二次世界大戦後、レース活動から撤退

しかしモト・グッツィは57年、すべてのレース活動から撤退する。第二次世界大戦後、イタリアの市民生活を支えるモータリゼーションを担ってきたが、レース活動資金が会社経営を圧迫していたことが理由だった。さらに60年代に入ると日本メーカーの台頭をはじめ、創始者であるカルロ・グッツィの死去、パローディ家の破産宣告などにより経営が悪化。その結果、大幅な人材削減の後に経営は国営のSEIMMへ移管されることになる。

縦置きVツインが誕生!

現在のモト・グッツィを支える縦置きV型2気筒エンジンが開発されたのはこの時代だ。当初このエンジンはフィアット500用に開発されたが諸事情で計画は頓挫。同時期にイタリア防衛省から依頼を受けていたアルプス兵部隊向けの特殊車両のエンジンとして採用された。そして64年、このエンジンを転用したバイクのプロトタイプが完成し、翌年のミラノショーで発表され、67年に「V7」として発売される。V7はイタリアだけでなく世界中の警察で採用される信頼性が特徴のひとつで、その後にV7スペシャル、V7スポルトと改良と高性能化が推進されていく。経営が安定するとSEIMMが撤退。するとアレサンドロ・デ・トマソがモト・グッツィを買収、日本メーカーに対抗すべくモデルバリエーションを拡充していき、現在のV7の原型であるV35/50をはじめとしてモペットなども多く生産された。

1971 V7 スポルト

V7スペシャルを軽 量化と低重心化したスポルトはモト・グッツィのツアラー的イメージを払拭。ボトムレールを脱着式とした「トンティフレーム」が以降の主流となった

1976 V85 ル・マン

’70年代のカフェレーサーブームの一翼を担ったスポーツモデルで、本誌創刊号の表紙を飾ったグッツィ。排気量は844㏄まで拡大された

 

1989 デイトナ1000

.ビッグツイン系初となるOHC4バルブ機構を採用。グッツィをチューニングしたマシンで北米のレースで王者となった“ドクター・ジョ ン”との協力で生まれたバイクだ

現在も工場は創業の地にある

モト・グッツィはその後、アプリリア傘下を経て現在はピアッジオグループに属している。数年前、本社工場をアプリリアと統合して移転、跡地をミュージアム化する提案が出たが、「マンデーロでなければモト・グッツィは作れない」と社員が反対。モト・グッツィは今も北イタリアのアルプスの麓、コモ湖の畔の古い工場で作られている。

現在のモト・グッツィ本社工場では、使われなくなった古い工場棟が解体されたが、一部はレガシーとして残されている。マンデーロの工場は年に一度「オープンハウス」として一般公開され、世界中からグッツィファンが集まる。そこにはイタリアの栄華とモータリゼーション黎明の匂いが色濃く立ち込めている。

1958年に空撮されたモト・グッツィ本社工場全景。当時は敷地内にオーバルのテストコースもあり、水力発電装置も備えていた。現在は半分以上が解体されているが、本社棟などは残っている

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