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『3気筒物語』歴史を彩った偉大なレジェンドモデルとは?

3気筒は近年のトレンドではなく、かなり古くから存在している。2気筒や4気筒とは異なり、時折登場しては消えていったエンジンなのだが印象的なモデルを中心に、その歴史を簡単に振り返っておこう。

1916 ROYAL ENFIELD

1901年にバイクの生産を開始したロイヤルエンフィールド(イギリス)は、1916年に2ストローク縦置き3気筒を試作している。現存する最古の3気筒はおそらくこれ

The History of TRIPLE 歴史を彩った3気筒マシン

3気筒は不遇のエンジンである。サーキットでいくら無敵を誇っても市販車になると、あまり目立つことはなく、時折印象的なモデルが登場しても、一発屋のようにすぐに消えてしまうのだ。

レースにおける歴史を辿れば、50年代に登場したDKWのV3350がその先駆けである。60年代から70年代にかけては、ジャコモ・アゴスティーニが駆るMVアグスタの350と500が連戦連勝を記録し、80年代に入るとフレディ・スペンサーのホンダNS500が4気筒勢を退けた。パワーで勝るライバルをコーナリングで翻弄する姿にホンダファンは溜飲を下げたのである。

近年のグランプリでもモデナスKR3、アプリリアRS3、ペトロナスFP1といったマシンが送り込まれ、活路を見出そうとした。華々しい活躍ではなかったものの、画一的であることをよしとしない偉大なチャレンジは、多くのファンの記憶に残っている。

これらは純レーシングマシンの話だが、70年代にはカワサキH2RやKR750、スズキTR750といったフォーミュラ規格のマシンも数々の優勝を収めている。

公道向けの市販車に関してもモト・グッツィ、ラベルダ、ベネリ、BMWの他、国内4メーカーはすべて3気筒のマーケットに参入。例えば2ストローク3気筒の750SS(カワサキ)などは、数々の伝説めいた逸話とともに今も鮮烈なインパクトを残しているが、その多くが一代限りで役割を終えている。

不思議なことにメーカーもユーザーもあまり固執しなかった。元来、3気筒の優位性は「2気筒と4気筒のイイトコ取り」というものだ。同じ排気量なら2気筒よりも高回転化が可能なためパワーを出しやすく、4気筒よりもトルクフルで軽量コンパクトに作れる、という理屈がその主張を支えてきた。

しかしながら、裏を返せば「2気筒よりも重くてトルクがなく、4気筒ほどパワーが稼げない」という言い分も成り立つ。そう言われるとグウの音も出ず、結局のところ、どの時代においても「どっちつかずの中途半端なエンジン」というイメージを拭えなかったのである。

もっとも、このイメージに関しては根拠になるような調査データがあるわけではない。とはいえ、メーカーが生産の継続やモデルチェンジを選ばず、ユーザーの声もそれほど高まらなかったという事実がそれを示している。身も蓋もない言い方をすればニーズがなかった、もしくは限られていたと言ってもいい。

単気筒にはプリミティブな機械としての魅力があり、2気筒は鼓動感とスピードがバランス。そして、4気筒には問答無用のスペックという勝負どころがあり、その本質は今もあまり変わらない。その意味で3気筒の存在意義は脆弱である。

ただし、そんな風潮に流されなかった唯一のメーカーがトライアンフだ。デイトナ200マイルやマン島TTで優勝した70年代の活躍もさることながら、新生トライアンフになってからも日本流の「カイゼン」をヒンクレーの工場に取り入れて、高い生産効率と品質管理を実現。3気筒にしか出せない心地いいトルクフィーリングとサウンドを、ゆっくりと確実に浸透させてきたのだ。

その成果が分かりやすいカタチで表れたのが、19年から始まったモト2マシン用エンジンの独占供給だろう。速さ、耐久性、信頼性のすべてを兼ね備えていることを意味し、サウンドでも世界中のファンを魅了。3気筒を定着させた意味はあまりに大きく、今度こそ、そのニーズが揺らぐことはなさそうだ。

1932 MOTO GUZZI

1932年のミラノショーで発表されたモデルがこのトリチリンドリ。排気量は500ccで最高速度は130km/hをマーク。左はスーパーチャージャーを搭載したレーサーだ

BSA ROCKET 3

トライアンフ初の3気筒、トライデントT150の兄弟車として生産されたモデル。740ccの排気量を持ち、1971年のデイトナ200マイルでは優勝と3位という記録を残している

MV AGUSTA

J.アゴスティーニは1968~72年にかけて5年連続でGP500と同350のダブルタイトルを獲得。その圧倒的なキャリアの大半を支えたのがMVアグスタの3気筒マシンだ

1971KAWASAKI 750SS

マッハシリーズのトップモデルとしてデビュー。748ccの空冷2ストローク3気筒は71psの最高出力を発揮。世界最速の座に君臨した

1971 SUZUKI GT750

スズキにとって初のナナハン2ストローク。冷却方式には当時としては珍しい水冷を採用し、67psの最高出力を公称した

1976 YAMAHA GX750

MT-09が登場するまではこのモデルが国産車唯一の4ストローク3気筒だった。海外向けのXS750とともに5年に渡って生産された

クルマは3気筒が当たり前!?

ここまで「3気筒はマイノリティ」という論調で進めてきたがそれはニ輪界の話であり、四輪界では至極当たり前の存在だ。国産の軽自動車の他、ヤリス(トヨタ)などの小型車、海外ではVWやルノーといった巨大メーカーがこぞって実用化している。

1983 HONDA NS500

楕円ピストンを持つ4ストロークマシンNR500の方針から一転、軽量コンパクトなパッケージが突き詰められた2ストローク500ccのファクトリーマシン。F.スペンサーがタイトルを奪取した

1983 HONDA MVX250F

NS500の投入と並行して発売された2ストローク250ccの市販モデル。ただし販売は苦戦し、わずか1年でNS250Rへバトンを引き継いだ

1985 HONDA NS400R

車体色もスタイルもレーサーレプリカの名に恥じない仕上がりを持つが、250でも500でもない排気量ゆえか、一代で役割を終えた

3気筒の再興に貢献した新生トライアンフ 

本文でも触れた通り、3気筒のメジャー化はトライアンフ抜きには語れない。特に’90年に新生トライアンフが立ち上げられた際、3気筒を主軸に置いてすべてのモデル、すべての排気量に流用するモジュラーコンセプトという手法はある種の賭けだったはずだ。思い切った決断が花開いた稀有な成功例である。’91年に発表されたトライデント900。885ccエンジンをバックボーンフレームに搭載する、奇をてらわないネイキッドだった
3気筒は120度位相の等間隔爆発が普通だが新タイガー900では90度位相の不等間隔というイノベーションを実現
Moto2マシンのリアルレプリカとして、’19年に発表された「DAYTONA Moto2 765」。限定ゆえ瞬く間に売り切れた

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PROFILE

RIDERS CLUB 編集部

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1978年の創刊時から、一貫してスポーツバイクの魅力を探求し続けるオピニオンマガジン。もはやアートの域に達している、バイクの美しさを伝えるハイクオリティの写真はいまも健在。

RIDERS CLUB 編集部の記事一覧

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