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中野真矢が本音で語り合う! Guest:川崎重工業 松田義基さん

中野真矢が『本音で語る。とことん語る。』川崎重工業 モーターサイクル&エンジンカンパニー 松田義基さん

元MotoGPライダーの中野真矢さんがナビゲーターとなって、バイクにかかわるスペシャリストと対談する『本音で語る。とことん語る。Meet People, Heart to Heart』。今回は、カワサキワークスライダーとして時代をともにしたカワサキの松田義基(まつだよしもと)さん。ざっくばらんな語りの中に、熱い思いが覗く。カワサキのMotoGPプロジェクトを推進してきた松田義基さんは、理路整然とした技術者らしさとピュアなバイク好きの両面を持つ人だ。

“何度失敗したっていい次の手さえ考えていれば”

中野 松田さんと初めてお会いした時のことは、今でもはっきりと覚えています。03年10月31日の日曜日にモトGP最終戦バレンシアGPが終わって、11月2日の火曜日からすぐに04シーズンに向けてテストが行われたんですが、その前日でした。

松田 中野くんはまだ04年の契約が決まってなかったんだよね。カワサキとしてはモトGPプロジェクトをステップアップさせるためにも、経験値のある中野くんがどうしても欲しくてアプローチした。

中野 あの時、松田さんは僕をカワサキのピットに招いてくれて、04年型のZX‐RRを見せてくれましたよね。そして現状の問題点や今後のプランについて説明してくれた。あれで完全に心が掴まれました(笑)

川崎重工業 モーターサイクル&エンジンカンパニー 企画本部 事業企画部 部長 松田義基(まつだよしもと)さん

’94年、川崎重工業入社。ジェットスキーのエンジン設計を経て、’02 年末からMotoGP部ヘ。’06 年にはプロジェクトリーダーに。以降、SBKやロード&モトクロスの開発責任者、モーターサイクル&エンジンカンパニーの全機種開発責任者、’19年鈴鹿8耐レース監督などを務める。今年9月、事業戦略を立てる事業企画部部長に就任

松田 まだ何も決まってない段階だったから、ピットにいたメカニックたちもみんな驚いていたよね。「あれ? ナカノじゃない?」って(笑)。でもあの時、みんな喜んでいたんだよ。

中野 僕は僕で、初めてのファクトリーチームのピットですからね。ピット自体もスゴかったし、マシンはカッコいいし、トラックもデカいし(笑)、「うわ、ファクトリーはやっぱり違うわ!」と圧倒されていました。

それに何でも包み隠さず話してくれる松田さんの心意気に、「この人となら心中できる」と思ったんです。ライダーって単純な生き物だから、そういうことでやる気になるんです。

松田 そうだったの?(笑)カワサキは02シーズンの終わりからモトGPに参戦し始めていたけど、それまでずっとスーパーバイク世界選手権(SBK)を戦っていたから、GPクオリティがまだ分かってなかった。自分たちが合っているのかどうかも判断できてなかったんだよ。だからこそ、中野くんみたいに経験豊富で能力の高いライダーが必要だった。基準点になってもらえるからね。

それまでの成績もほめられたものじゃなかったから、隠すものなんか何もない(笑)。名古屋弁で言うと「しゃっちょこばってはいられなかった」って感じだったね(笑)。

ナビゲーター 中野真矢 Shinya Nakano

’99 ~’08 年まで10シーズンにわたって世界グランプリで活躍。’04 ~’05 年はカワサキレーシングチームのライダーとしてMotoGPマシンZX-RRを駆り、表彰台を2度獲得している

中野 とにかくマシンもカッコよくてイケそうだったし、心は決まったんです。実際にはたくさんの人に連絡や相談をしなくちゃいけなかったし、調整しなければならないこともあって、大変でした。でも、僕にとって人生の大きな分岐点になったのは確かなんです。

松田 僕自身もかなり追い詰められていた時期だったんだよ。それまでまったくうまく行かなくて、どうにかGPレベルまで戦闘力を高めたいんだけど、自分たちの位置すら分からない状態だった。そこへ中野くんが心を決めてカワサキに来てくれて、的確なコメントと判断をしてくれるようになって、一気に物事がうまく回り始めた。
中野 04シーズン開幕前のマレーシアテストで最初に走った時から、全然悪くなかったんです。ミッションをちょっと合わせてもらっただけでちゃんと走れた。ベースの良さがすぐに分かりました。

松田 そう言ってくれて、チームもようやく落ち着いたんだよね。「オレたちは合っていたんだ」って。

中野 いやあ、でもチームとしても「ナカノってどうなんだ?」と半信半疑だったと思いますよ。よく覚えているんですけど、04開幕戦の南アフリカGP予選で、あえてちょっと早めのタイミングでタイムを出したんですよ。残り10分ぐらいかな、モニターにベストタイム更新の赤いヘルメットのマークを並べたんです。

で、その時点でのトップタイムを出して「どんなもんだ!」とピットに戻ったら、チームクルーの僕を見る目がまったく違ってた。「おお〜、ナカノ、すげえ!」みたいな(笑)。
あれで一気に働きやすくなりましたね。僕の意見が通るようになった。

松田 結果がすべてだからね。僕も実は中野くん獲得にあたって、各方面から心配されたんだよ、「本当に大丈夫なのか」って。でも初年度のもてぎで表彰台に立ったら、みんなガラッと態度が変わった(笑)。

中野 松田さんはエンジンを中心に技術的なトライに積極的でしたよね。失敗もあったと思いますが……。

松田 あった、あった(笑)。前例はない、実績はないという状態でのトライ&エラーだから、エラーばっかりだよ。でも、自分ではこれがベストだと信じられる方向を選んで、それに懸けてきたし、常に次の手を考えていたんだ。ギリギリでうまく行かない時に、すぐ次の手が打てれば自信になるし、結果的に失敗にはならないでしょ
う?(笑)

それに、失敗をすればするほど、自分の中に引き出しが増えていくんだよ。また別のことをやる時に、その引き出しを開ければいいわけだから、次のチャレンジにつながる(笑)。

“ギリギリを超えて、自分を懸けて真剣にやることに価値がある”(松田)

そういうトライ&エラーを重ねて、カワサキは強くなった。中野くんには付き合わせちゃった面があるけど、中野くんは中野くんでたくさんの経験を積めたんじゃないかな。

中野 そうですね。カワサキでの3シーズンは本当に人生が変わったぐらい大きな出来事でした。カワサキがモトGPから撤退した後、松田さんはZX‐10RでSBKを戦うことになるわけですが、モトGPからのフィードバックってあったんですか?

松田 大アリ(笑)。中野くんがいた時代に得た開発思想は、たくさん10Rにも投入した。それに、カワサキを去った後の800㏄時代にも、また失敗するんだけどさ(笑)。

排気量が小さくなるってことで、エンジンをコンパクトにしすぎたんだ。結果的にハンドリングにも悪影響を及ぼしてしまった。

バイクってどんなに高性能でも、ライダーが乗って操るもの。エンジンが小さいことよりも、人が乗った時に適正なサイズで、適正な安心感が得られることの方が大事だった。

我々エンジニアは、つい機械工学的に優れたものを追求したくなる。でも実際は、人間工学とか、心理学までも関わってくるかなり人間臭い乗り物なんだよ、レースバイクでさえね。だからメカニズムとして究極体じゃなくてもいいから、人が乗った時に100%になるような作りにしなくちゃいけないんだ。

モトGPの失敗から得たこの考え方は、SBKの10Rにも、もっと言えば量産車にも貫かれてるよ。

中野 そうだったんですね! 僕、15年にアラゴンで行われたSBKチャンピオンマシン試乗会で10Rに乗らせてもらったんですが、「これはすごい!」と感動したんです。僕がモトGPの時に求めていたものが、すべて形になっていました。

エンジンはパワフルなんだけどマイルドだし、路面にしっかりとトラクションを伝えてくれる。しかも気持ちよくコントロールできるフィーリングがありました。ハンドリングはフロントにドーンという安心感があって、「これはチャンピオン獲るよな」と。ある意味、完成形でした。

もちろんモトGPマシンとは中身は違いますけど、求めていたものは間違えてなかったんだなって、すごくうれしかったんです。

ただ、思ったよりもシート高が高くて、足が着かなかった(笑)。

松田 接地「感」って言うように、人間の心理も大きく影響するんだよね。僕はギリギリ超えたところの「破綻領域の信頼」って言っているけど、そういう思想のもとですべての開発をしているんだ。

トラクションコントロールシステムを例に挙げてみると、バイクっていつもタイヤを滑らせて走っているようなもの。それがある領域で急激に大きく滑ると、予期せぬ動きにライダーはビックリしてアクセルを戻してしまう。タイムロスだよね。

川崎重工グループの企業ミュージアム、カワサキワールド(兵庫県神戸市)には、中野さんが走らせたZX-RRが展示されている。「やっぱりうれしいですよね」と感慨深げ
川崎重工・明石工場内の歴史車展示フロアーにて。ZX-RRを始め、オン、オフの名車やレーシングマシンがずらりと並ぶ。過去の車両からヒントを得ることもあるそうだ

表彰台に立つライダーを、支える人たちがいる

’04年は日本GPで3位。カワサキに23年ぶりのGP 表彰台を捧げた。’06 年にはオランダGPで中野さん自身、そしてカワサキにとって最上位である2位表彰台を獲得。いずれも松田さんは現地におらず、会社で次戦に向けて改善策をしていた

でも、大きく滑り始める領域がほどよくモヤッとしていたら、ライダーは安心できるでしょう。つまり、グリップが破綻するギリギリを超えた領域で何が起こるのかライダーが分かれば、安心して開けていける。

中野 思い出しました。オートポリスでZX‐RRをテストしていたら、周回を重ねるたびにコーナーのブラックマークがどんどん増えていくんです。「誰だ?」と思ったら自分だった(笑)。ブラックマークが残るほどアクセルを開けて立ち上がっているのに、自分ではそんな意識はなくて、安心し切っているんですよね。

松田 まさにそれ!(笑)。「破綻領域の信頼」ってそういう意味なんだ。滑らせないというより、滑った時にも安心できるように作る。

ハンドリングも同じ。ラインを外さないように作り込みすぎると、外した時に急激な挙動が起きるマシンになってしまう。そうじゃなくて、外しても分かりやすいように、信頼感が得られるようにするってこと。

エンジン特性もハンドリングも電子制御も、全部この思想で作っているのが今のカワサキかな。

中野 先日、ニンジャZX‐25Rにも乗りましたが、ZX‐RRやZX‐10Rにも通じるものを感じて、これもうれしかったです。

松田 本当にあの時は大変だったけどね、もうね、完全に仕事を超えちゃっていたから(笑)。

中野 そういう方とだから、僕も本気で楽しくやらせてもらえました。

松田 自分で言うのもナンだけど、ギリギリを超えて、自分を懸けてやっていたと思う。でも、そうやって真剣にやることが、結局は価値あるものを残すんだなって。だからレースはやるべきなんだよ。真剣だからね。カッコよく言うと、仕事に必要なことは全部レースから学んだよ。

中野 事業企画部長というお立場になられて、今後のカワサキをどうされるおつもりですか?

松田 お客さまも幸せ、作っている我々も楽しいという、今のバランスを続けていきたいね。バイクの話をしている時って、みんな楽しそうじゃない? あの笑顔を守りたいな。

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PROFILE

RIDERS CLUB 編集部

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1978年の創刊時から、一貫してスポーツバイクの魅力を探求し続けるオピニオンマガジン。もはやアートの域に達している、バイクの美しさを伝えるハイクオリティの写真はいまも健在。

RIDERS CLUB 編集部の記事一覧

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