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岡田忠之選手が語った『プロライダーの矜持』。折原弘之が振り返るサイドストーリー

’81年から国内外の二輪、四輪レースを撮影し続けているフォトグラファー折原弘之さんが、パドックで実際に見聞きしてきたインサイドストーリーをご紹介。今回は、’97年にGP500クラスでランキング2位を獲得しながらも翌年は苦悩の日々を送った岡田忠之さんが語った、プロライダーの矜持

フォトグラファー折原弘之が振り返るパドックから見たコンチネンタルサーカス『20ラップのアイスダンス』

「こんなんじゃ全然ダメ。全く相手にされないよ。もっとタイヤをうまく使えていないと、ミックとは戦えないよ」

この言葉は、97年のインドネシアGPでミック・ドゥーハンを下し、500クラスで初優勝した後の岡田忠之選手との最初の会話だ。この頃僕はWGPとF1の両方を撮影しており、スケジュールが被るとF1を優先しなければならなかった。僕が岡田選手と話したのは、初優勝してから3レースほどが過ぎた頃だった。

あのミックとバトルして、競り勝った直後なのに、言っている意味が分からなかった。だが岡田選手はこう続けた。

「ウイニングラン見たでしょ。中指立てられたんだよ。まだまだ、バカにされてるんだよ。お前なんか、相手じゃないって」

確かにはっきりとは見えなかったが、ウイニングランで何かしているのは見て取れた。ただ僕は逆に岡田選手を意識したから、そんなことをしたのだと思っていた。しかし現場の雰囲気は、そんな感じだったのだろう。それでも競り合って勝ったのだから、今後も勝てるんじゃないかとタカをくくっていた。

 

ところがその1勝以降、岡田選手がミックの前を走ることはなかった。その状況は年を跨いだ98年のシーズンも続き、1勝したことが逆に岡田選手を苦しめているようにも見えた。

だがその状況も99年のオランダGPで一変した。そのレースで、岡田選手はブッチギリで優勝してみせた。一体何が起こったのか、それまで苦戦していたのがウソのような見事な優勝だった。僕はオランダGPと同週に、F1が開催されていたため現場にいることはできなかった。ただ当時オランダGPは土曜日に決勝が行われていたので、僕はF1の予選を撮影せずテレビに釘づけになっていたことを覚えている。プロとしては失格なのだが、岡田選手の優勝を見ずに撮影などできなかったのだ。そして翌週、ベルギーGPで岡田選手と再会。恒例の木曜日の夕食で、たっぷり話しを聞かせてもらった。

その時の会話はこんな感じだったと思う。まず「岡田、優勝おめでと」と僕。「ありがと。やっと勝てたよ」と岡田選手が満面の笑みで返す。「いきなりブッチギリって、どういう事?」と僕。「折ちゃん、やっとタイヤの使い方が分かったんだよ。2年前とはもう違うよ。ここからは、勝てるだけ勝つからね。もうミックにもバカにされないよ」と、インドネシアの時とは違って自信に溢れていた。「タイヤの使い方って言っても、リアタイヤのスライドコントロールだろ。そんなの2年前からやってたじゃん」という僕に、真相を話してくれたのだが、想像もつかないようなトンデモナイ話を聞かされることになった。岡田選手曰く。

 

岡田忠之……’67年茨城県生まれ。’89年から全日本GP250を3連覇。’93年から舞台を世界に移してGP250を戦った後、’96年からレプソル・ホンダでGP500に参戦。’97年にランキング2位を獲得。最高峰クラス通算4勝は日本人最多。’01年限りで引退した後、ホンダのテストライダーのほか、全日本やMoto2などでチーム監督を務めた

 

「カメラで撮ってても分かんないか。折ちゃんね、僕らのフロントタイヤって、グリップしてると思ってるでしょ。フロントがグリップするのなんて5ラップくらいなんだよ。残りの20ラップは、スリップアングルとの戦いになるんだよ」

言っている意味がさっぱり分からない。どういう事なのか先を促した。「あのね、フロントタイヤがグリップしなくなると言っても、いきなり滑るわけじゃないのよ。倒し込んでいくと、徐々に滑り出すわけ。当然アンダーステアになって、曲がらなくなるよね。クルマで言うところのプッシュアンダーだよ。だから、リアタイヤをフロントより少しだけ多く流すのよ。アクセル開ければ、簡単に流せるからね。そうやって、スリップアングルを作ってあげてコーナーを曲がるんだよ。最初は分からなかったんだけど。ミックはそれをずっとやってたんだね。それがやっと分かったんだ。もうね、タイヤのグリップ感なんて全く無いんだよね」

トンデモナイことを事もなげに言う。あのスピードで逃げるフロントタイヤより、リアタイヤを多く流して曲がっている? 転ぶでしょ普通に。トラクションコントロールもないのに、アクセルコントロールだけでヘアピンも高速コーナーも流しっぱなしで走っていると言っているのだ。そんなことが本当に可能なのだろうか。本人の口から聞いてもまだ信じられない。あまりの話に僕が発した言葉は「ホント?」これが精一杯だった。

「だから残りの20 周くらいは、スケートリンクにいるみたいだよ。しかも、ちょっとミスると即ハイサイドだからね。すごく疲れるけど、やらないとミックに勝てないんだよ。ミックに勝たないとチャンピオンは取れないしね」

そう言う岡田選手は、なんとも晴れやかな顔をしていた。考えてみればインドネシアで勝ってから2年。やっと長いトンネルを抜けたのだから、当然と言えば当然なのだが。本当に久しぶりに、岡田選手に笑顔が戻ってきた。そしてその言葉を立証するように、その年に3勝を挙げた。

最後に、本来なら99年の写真を載せるべきなのかもしれないが敢えて98年の写真をセレクトした。理由は、岡田選手のベストリザルトの翌シーズンだからだ。97年にランキング2位となった。翌年のゼッケンは2だ。日本人ライダーが最高峰クラスで、ゼッケン2を付けたのだ。もう20年以上前の話なのだが、その事実を知って欲しかったからだ。

 

折原弘之 Hiroyuki Orihara

1963年生まれ。’83年に渡米して海外での撮影を開始。以来国内外のレースを撮影。MotoGPやF1、スーパーGTなど幅広い現場で活躍する

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PROFILE

RIDERS CLUB 編集部

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1978年の創刊時から、一貫してスポーツバイクの魅力を探求し続けるオピニオンマガジン。もはやアートの域に達している、バイクの美しさを伝えるハイクオリティの写真はいまも健在。

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