BRAND

  • Lightning
  • 2nd(セカンド)
  • CLUTCH Magazine
  • EVEN
  • BiCYCLE CLUB
  • RUNNING style
  • NALU
  • BLADES(ブレード)
  • RIDERS CLUB
  • CLUB HARLEY
  • DUCATI Magazine
  • flick!
  • じゆけんTV
  • 湘南スタイルmagazine
  • ハワイスタイル
  • buono
  • eBikeLife
  • ランドネ
  • PEAKS
  • フィールドライフ
  • SALT WORLD
  • Kyoto in Tokyo

フォトグラファー折原弘之が振り返る 原田哲也の究極のブロックライン

’81年から国内外の二輪、四輪レースを撮影し続けているフォトグラファー 折原弘之がパドックで実際に見聞きしてきたインサイドストーリーをご紹介

折原弘之
1963年生まれ。83年に渡米して海外での撮影を開始。以来国内外のレースを撮影。MotoGPやF1、スーパーGTなど幅広い現場で活躍する

究極のブロックライン

原田哲也
’70年千葉県生まれ。’92年に全日本ロードレースGP250クラスで王座を獲得後、’93年からヤマハワークスライダーとして世界GPに参戦し、ルーキーながら世界チャンピオンに輝いた。その後、アプリリアのエースライダーとして活躍後、’02年シーズンを最後に引退。現在はRIDERS CLUBのエグゼクティブアドバイザーとして、誌面やライディングパーティの先導ライダーとしても活躍する

原田哲也選手とブロックラインの話をしたのはいつ頃だったか。定かではないのだが、彼がまだ現役の時のことだと思う。原田選手が世界GPに来た頃、僕は岡田忠之選手と懇意にしていたため原田選手とは疎遠だった。ホンダの選手と仲のいいメディアに近づく理由など、どこにもないのだから当然のことだ。僕としても今一歩踏み込めず、原田選手に対する僕の印象は一言でいうと「ハラの中が見えない人」だった。

そんな距離感が数年続いたのだが、岡田選手が500クラスにコンバートすると関係は一変した。

岡田選手が500クラスに参戦を開始した’96年、僕はF1とWGPの両方を取材していた。そのためこの年のヨーロッパは、フランスGPが初取材となっていた。

いつも通り木曜日の昼過にパドックに入り、メディアセンターに席を陣取ってコースを一周。夕方になると、青木宣篤選手のモーターホームでビールにありつこうとモーターホーム村に向かった。いつも通りの木曜日のはずだったが、いつもとは大きく違っていた。

「オリちゃんビールでしょう。早く来なよ」

と青木選手のモーターホームから声をかけてきたのは原田選手だった。しかも。その隣には岡田選手が座っている。状況が飲み込めないまま皆の輪の中に入りとりあえず乾杯し、ビールを流し込んだ。
岡田選手と原田選手が、笑いながら仲良く肩を並べている。なぜこんなことが起こったのか、聞かずにはいられず

「お前らいつから、そんなに仲良くなったんだよ」

と丁寧に聞いてみた。すると原田選手が言った。

「だって、岡田さんは500㏄の選手になったんだよ。だからライバルじゃなくなったんだもん」

と、実に楽しそうに答えてくる。僕はさらに続けた。

「だからって、仲良くなるのが早すぎだろう」

「何言ってんの?お互いリスペクトしてるんだから、ライバルじゃなくなったら仲良くなるのは、あっという間だよ。当然でしょ」

そう楽しそうに答えてきた。お互い認め合っていたからこそ、仲良くなるのに時間を要さなかったということだ。それはそれで素晴らしいことなのだが、去年までお互いパドックで会わないよう、避けて歩いていたのを見ていただけに、僕らは戸惑ってしまう。

だが戸惑うのもほんの一瞬で2時間も騒いでいると、まるで何年も前からこの場に原田選手がいたかのように自然に雑談は盛り上がっていた。その晩から、僕と原田選手は急接近し始める。呼び方も原田選手から哲ちゃんに代わり、話す内容も濃いものになっていった。

あの晩から数年たった頃だろうか、二人でたわいもない話をしていると、話題は次第にレースのことになりブロックラインの話になっていった。

「前々から気になってたんだけど、哲ちゃんってブロックライン通らないよね」

と僕が水を向ける。すると哲ちゃんは、チョット意外そうな顔をした。

「そうだね、走るラインは変えないよね」

と答えた。

「なんでインを閉めて入らないの?哲ちゃんがインを閉めれば、入ってこれる奴いないでしょ」

と続けた。すると、

「じゃあさ、僕がコーナーで抜かれてるところ見たことある?確かにインは刺されてるけど、立ち上がりで抜き返してるよね?」

と聞き返された。そう言われれば、インを刺されてもクロスラインで抜き返していると思い、ハッとした。僕の表情を読んだ哲ちゃんは“やっとわかった?”という感じでこういった。

「オリちゃん。僕がレコードラインを通って、ギリギリのブレーキングしてるんだよ。無理してインに入ってきたライダーが僕を抜けるわけないじゃん。突っ込みで刺されても、立ち上がりで楽に抜き返せるでしょ。しかも相手は僕よりハードにブレーキを掛けるから、勝手にタイヤを痛めてくれる。逆に僕はレースがどんどん楽しくなるんだよ」
と、こともなげに言ってのけた。

もしほかのライダーが同じことを言っても、ここまでの説得力は無かっただろうし、素直に聞けなかっただろう。それくらい自分のライディングを信じられなければ、世界チャンピオンにはなれないのだろう。どれほど自分のスピードに自信を持てれば、そんな言葉を言い放てるのだろう。傲慢とも思えるほどの言葉にゾクゾクさせられた。
その直後に僕が質問した時に見せた、哲ちゃんの意外な表情の意味がわかった。あれは僕の間抜けな質問に、半ば呆れた顔だったんだ。あの顔は

“何年もレース撮ってるのに、分かってないな。僕のレコードラインが、究極のブロックラインなんだよ”

と言っていたんだ。

その事実に気づいた時、穴があったら入りたいほど恥ずかしくなった。
それにしてもどれほどの修練を重ねれば、あの境地に達することができるのだろう。僕には、そこまで自分を信じることができるのだろうか。例えばカメラマンの僕で言うなら、

「このコーナーで写真を撮るなら、このアングルがベスト。ほかのカメラマンがどう撮ったところで、僕のアングルを超えることはない」

と言い切った感じだろうか。でも、とてもじゃないけどそんなことは言えない。もちろん仕事の違いはあるけれど、要するに哲ちゃんはそういうことを言ってるのだ。そこは僕自身も目指している境地でもあるし、これからもチャレンジしていくつもりだ。ただ頂は遙かに遠く、とても到達できそうな気がしない。

凄いな。という気持ちと、打ちひしがれた感情が入り混じった複雑な気持ちになった。比べるまでもないが、つくづく世界を制した人間は違うなと思わされた日だった。

 

SHARE

PROFILE

RIDERS CLUB 編集部

RIDERS CLUB 編集部

1978年の創刊時から、一貫してスポーツバイクの魅力を探求し続けるオピニオンマガジン。もはやアートの域に達している、バイクの美しさを伝えるハイクオリティの写真はいまも健在。

RIDERS CLUB 編集部の記事一覧

1978年の創刊時から、一貫してスポーツバイクの魅力を探求し続けるオピニオンマガジン。もはやアートの域に達している、バイクの美しさを伝えるハイクオリティの写真はいまも健在。

RIDERS CLUB 編集部の記事一覧

No more pages to load