BRAND

  • Lightning
  • 2nd(セカンド)
  • CLUTCH Magazine
  • EVEN
  • BiCYCLE CLUB
  • RUNNING style
  • NALU
  • BLADES(ブレード)
  • RIDERS CLUB
  • CLUB HARLEY
  • DUCATI Magazine
  • flick!
  • じゆけんTV
  • 湘南スタイルmagazine
  • ハワイスタイル
  • buono
  • eBikeLife
  • ランドネ
  • PEAKS
  • フィールドライフ
  • SALT WORLD
  • Kyoto in Tokyo

R/C Special Interview 長島哲太  重ねた時間を、先へつむぐ

長島哲太  重ねた時間を、先へつむぐ

2021年、長島は大きな決断を下し、開発ライダーとしての役割を選んだ。
そして、もう一つ。長島は新たな動きをスタートさせる。
それは己の経験を元に、日本人ライダーを支える取り組みだった。その根底には、日本のレース界への様々な思いが流れていた。

長島哲太
1992年7月2日生まれ。’14 年に世界選手権Moto2クラスにフル参戦後、’15年はCEV Moto2にエントリー。’17年からは世界選手権へ復帰した。’20年開幕戦カタールGPでは自身初優勝を飾り、’21年はホンダの開発ライダーを務めている

経験を元に動き出した ライダーを支える役割

長島哲太が新しい取り組みを始めている、という話を聞くことができたのは偶然だった。走ることとは異なるそれに、俄然、興味が湧く。なぜ、長島は“それ”を始めたのだろうか、と。

チームウエア姿ではない長島と取材で対面するのは、どこか新鮮だった。まだまだライダーとして現役ですが……と切り出すと、「(今の自分の立場は)ライダーとして難しいんです」と笑う。

長島は今年、レース参戦から離れて日本でHRCの開発ライダーを務め、ホンダのモトGPマシンであるRC213Vの開発に携わっている。レースから離れる。それは長島のキャリアの中でも、大きな決断だった。

「将来を考える上で、一大決心でした。ありがたいことに、今までレースをしない年はなかったんです。どんな感じなんだろうと想像ができませんでしたが、ある意味、気楽にやらせてもらっています。

モト2を走っているときは、楽しい部分もありますし、パドックの雰囲気もいいけれど、その分結果を残さなければ自分の価値がゼロになってしまうという大きなプレッシャーがありましたから」

2020年までモト2クラスで戦ってきた長島。昨年のカタールGPでは、悲願の初優勝を飾った。14番グリッドから徐々にポジションを上げ、レース終盤にはついにトップに立つと、先頭でフィニッシュラインを駆け抜けた。

表彰台の頂点に立って優勝トロフィーを掲げる姿に心を打たれた人も多いだろう。今季もレッドブルKTMアジョから引き続きモト2に参戦するはずだった。

しかし、KTMの意向で契約が反故にされてしまう。予期せずフリーとなったポテンシャルあるライダーに、スーパーバイク世界選手権(SBK)やスーパースポーツ世界選手権(WSS)のチームから多くの声がかかった。

しかし、長島はあくまでもモトGPへの参戦にこだわった。

「モト2で走れる可能性がないのならモトGPバイクに乗れるチャンスを探そうと思って、すぐにHRCとお話をさせてもらったんです」

そして今、長島には開発ライダーを担う一方で、新たに取り組んでいることがある。海外のレースを戦う日本人ライダーたちのケアを始めたのだ。その根底にはこれまでの自身の経験があった。

二輪レースの中心は、いまだヨーロッパにある。日本人ライダーたちは、世界を舞台に戦うためヨーロッパへと羽ばたいていく。しかし、当然ながら日本とヨーロッパ諸国では言葉も文化も違う。レースに参戦する以前に、そうしたまったく異なる環境で、生活の基盤を整えなければならない。

多くの日本人ライダーは、そうしたこまごまとしたところを自ら手配しなくてはならなかった。彼らの多くは契約事を進める代理人はもとより、マネージャーを持たないからだ。

「去年から、僕にはスペイン人のマネージャーがついてくれました。彼がスポンサーを探してくれたり、ヨーロッパでの生活をケアしてくれたりしたんです。

事前にアパートの契約を済ませ、家具を買いそろえ、僕が行くころには住むだけの状態にしてくれて、クルマの手配や空港の送り迎えもしてくれました。彼がいてくれたおかげで、レースに集中できる環境が整いました。

これまで経験してきて、そういう部分がとても大変だったんです。確かに、慣れればできないことはありません。

ただ、そこに労力を使ったり、不安になったりするくらいなら、それを取り除いてレースに集中した方がいい。日本人の場合、ヨーロッパでツテを頼ることが難しいですしね。

今後、そこを僕たちがうまくケアできれば、日本人ライダーの助けになるのかな、と思いました。それで、去年僕のマネージャーをしてくれた彼と一緒に日本人ライダーのケアをしてみようと思ったんです。

今年はコロナの影響で渡航ができなくて、スペイン人のマネージャーに頼っている状態ですが、すでに何人かのケアは始めていて、今はモト3ライダーの佐々木歩夢、鳥羽海渡、モトEライダーの大久保光の手助けをしています。

アパートを用意したり、ヨーロッパで何か困ったことがあったときのケアを、そのスペイン人のマネージャーにお願いしているんです。今はインターネットがあって日本ともやりとりができますし、航空券も安く手に入るので帰国しやすくなって、昔ほど大変ではないかもしれません。

ただ、やらなければならないことがどんどん変わってきています。メーカーのバックアップがあったころとは違い、基本的に、今の日本人ライダーは個人で動かないといけない。

自分で売り込んでいって、スポンサーを獲得しなくちゃならないんです。走ることだけに集中するのが、とっても難しいんです。

ヨーロッパで日本人が契約事を進めたり、スポンサー活動をするのは大変なんですよ。例えば装具メーカーの場合、お金をもらって装具をつけて走るのですが、ヨーロッパのライダーと比べて、日本人ライダーはその額が低かったりします。

そこには日本人のスポーツに対する意識も影響していると思います。日本人はスポーツをお金にすることを悪と見なす傾向があります。金額次第でメーカーを変えるのは仁義に反するだろう、と考える。

けれど、ヨーロッパの人は違います。『いくら出せる?』から交渉が始まるんです。僕は、プロとしてはその考え方が自然だと思っています。

僕たちはアスリートとして短い期間で稼がなくてはならないし、なにより命をはってレースの1戦1戦に懸けて戦っているのですからね。

ただ、日本人はそういうことを知らず、わからないから交渉もしない。結果を残しても、安い金額で走ることになってしまうんです。そういう部分をケアしてあげたいし、ライダーに代わって交渉もしていきたいと思っています」

モト2に参戦し始めたときにわかっていたことがあれば……、長島にはそんな思いがある。自身がくぐり抜けたものを、これからのライダーには味わってほしくない。

「もったいなかったな、なんで知らなかったんだろう、と思います。でも、僕がモト2に参戦を始めたころには、日本人ライダーが少なかったこともあって、誰も教えてくれませんでした。

だから、僕が経験してきたことを元にして、若いライダーたちの代わりに僕がやるよ、って。まだ、手助け程度しかできていないんですけどね」

Red Bull KTM Ajoに移籍した’20年、開幕戦カタールGPで、Moto2初優勝を果たした。第2戦は2位表彰台を獲得し、自己ベストのランキング8位で終えた

長島はSAG Team、IDEMITSU Honda Team Asia、Red Bull KTM Ajoの3チームに所属してきた。専属のエージェントはいなかったが、現地でケアをしてくれる日本人がおり、チームと契約の話をしていたという

現役の今だからこそ 子供たちに教えたい

単身で世界へ飛び出していくライダーたちを支える役割。それは、日本のレース界において新しい試みに見えた。継承されるべき経験や世知は個人のうちに留まり、これまで次の世代のライダーに渡されることは少なかった。

「僕の見解ですが、だから、現状の日本のレース界になったのではないでしょうか。今までやってきた人たちが、そういうことを見越してライダーを育成し、環境を整え、世間への認知などを気にかけてくれていたら、ここまで衰退しなかったのではないか、と思います。

現状をなんとかしないといけない。それが、僕自身の将来にもつながるんです。このまま日本のレース界が衰退していって、今、僕がしている仕事が無価値になったら、僕自身も困ります。

若いライダーのため、ということもありますが、慈善事業でやっているわけでもありません。将来的に自分のためになると思うから、今この取り組みをしています。モータースポーツとして変えていかなければならない部分があり、それは誰かがやらなければならないことです。

僕はイメージがとても大事だと思っています。“この活動をしている”というイメージですね。ライダーマネジメントをして、ヨーロッパで日本人ライダーをケアして、結果が残れば、それを日本に持ち込めます。

そして日本でライダーを育成できて、海外に出て行ってライダーが活躍できるようになりました、という実績をつくりたい。そうなれば、今の日本のレース界についての意見も、話を聞いてもらいやすくなるはずです」

これからはライダーの育成にも携わりたい、と長島は言う。

「今後はポケバイやミニバイクのライダーを育てたいです。今、デルタ・エンタープライズさんと協力して74 Daijiroのポケバイレースに講師として参加させてもらったりもしています。

ポケバイから育てないと、いいライダーは育ちません。スペインなどはそこの競争がすごく激しくて、速く走れなければ上のカテゴリーに上がれないんです。今の日本はというと、走る人数が少なく、競争も激しくないですね。

僕が子供のころは走っている人がたくさんいて、大人たちが全力でレースをして、その大人たちがちびっこに教える流れがありました。

中上(貴晶)くんや(富沢)祥也、大久保光、(篠崎)佐助、(浦本)修充などはみんな大人のミニバイクライダーに教えられ、鍛えられてレースの経験を培ってきたんです。

今は教える人がおらず、大人数での競い合いを経ていないので、ライダーのもろさを感じることもありますね。カテゴリーとしてある一定のレベルまで上げておかないと、競争がどんどん弱体化していってしまいます。

今、『世界選手権を走っているライダーみんなで、ポケバイチームを持とうよ』って声をかけているんですよ。オリジナルのカラーリングのバイクで、チームウエアを作って、子供たちにアドバイスをして。どのライダーが教えた子が一番速いのか、競い合ったりしてね(笑)。

現役じゃないと教えられないことがたくさんあります。例えば辞めて5、6年経ってからでは、リアルな情報を子供たちに伝えられません。僕はありがたいことに、モトGPマシンのテストをさせてもらっています。

そういうことを伝えられるうちに伝えたいと思っています」

長島からとどまることなくあふれる言葉は、レースへの愛情に彩られている。来季は再び、レース参戦を目指していくのでしょうか? と質問すると、長島は穏やかに笑ってこう答えた。

「まだわかりません。けれど、やりたいことがいっぱいあるんです。何かが形になったらいいなと、気楽にやっていきます」

長島は少しずつ、未来図を現実にしていくのだろう。

現在はMoto3を戦う佐々木歩夢(左)、鳥羽海渡(右)の手助けもしている。二人とも20~ 21歳の若いライダーだが、すでに参戦5年目を
迎えている

現役のリアルな情報を子供たちに伝えたい

Moto2はワンメイクエンジンで争われるクラス。2019年、ホンダからトライアンフにエンジンが変更された
MotoGPパドックは各チームのトレーラーなどが並ぶ。世界選手権らしい緊張感と華やかさがある、独特な世界だ
「結果を残さなければ、というプレッシャーがすごい」。グリッド上の厳しい表情が物語る

長島がケアするライダーの一人、大久保光。今季は電動バイクレースMotoEに参戦している。長島と大久保は勝手知ったる旧知の仲で、MotoEのチームを大久保に紹介したのも長島だ

 

SHARE

PROFILE

RIDERS CLUB 編集部

RIDERS CLUB 編集部

1978年の創刊時から、一貫してスポーツバイクの魅力を探求し続けるオピニオンマガジン。もはやアートの域に達している、バイクの美しさを伝えるハイクオリティの写真はいまも健在。

RIDERS CLUB 編集部の記事一覧

1978年の創刊時から、一貫してスポーツバイクの魅力を探求し続けるオピニオンマガジン。もはやアートの域に達している、バイクの美しさを伝えるハイクオリティの写真はいまも健在。

RIDERS CLUB 編集部の記事一覧

No more pages to load