new balance/M1400(ニューバランス/M1400)1994|ランニングシューズの礎を築いた“名作”たち
RUNNING style 編集部
- 2019年10月15日
さまざまな諸事情が絡み、発売中止が発表され、一旦はお蔵入りになった逸話をもつ名作
日本が中心となって製品化が実現
1985年に発表されたニューバランスのM1300は、ニューバランスというブランドだけでなく、ランニングシューズ全体においてもエポックメイキングな存在であった。このシューズに初めて採用されたミッドソールテクノロジーのENCAPは、クッション性、安定性が当時としては比類なきレベルに到達していたからだ。
そんなM1300の後継モデルとして当初はM1400がリリースされる予定であったが、サンプルは作られたものの、日の目を見ることはなく、結局は1989年にリリースされたM1500がその座を担った。当時の生産技術ではサンプルの製造は可能でも、製品として量産化することが困難だったことから一般販売されなかったという。これはスニーカーフリークの間ではよく知られた話だ。
そんなM1400だが、日本市場の「Nロゴは大きくあるべき!」という声に応えて、ニューバランスジャパン主導で製品化が進められることとなる。こうして1994年にM1400はスニーカーフリークのもとへと届けられることとなった。発売されたのは当初のサンプルカラーとほぼ同一のスティールブルー(グレー系)、マウンテングリーン、そしてキャンティ(レッド系)の3カラー。これは、あくまでランナーを対象として企画開発され、当時のニューバランスの技術の粋を結集したランニングシューズとしてデビューしたM1300やM1500とは異なり、ランナーよりもスニーカー好きなユーザーをメインターゲットとして誕生したこのモデルの特徴を物語っている。
のちにアメリカでも人気に
そんなM1400はアメリカで生産されているのにもかかわらず、本国での展開はなく、日本のみで販売されるという不思議な状況が続いていた。しかし現在では、良質なアパレルを適正価格で販売することで根強い人気をキープしながら全米展開しているJ.CREWでも販売され、アメリカのファッションフリークからも支持を集めることに成功している。
最近聞いた話だが、M1400誕生に尽力し、この当時のことをよく知る人によると、ニューバランスのアメリカ本社は「1度没企画になったものをどうしてワザワザ製造しようとするんだ!?」という当たり前の反応を示したという。実際にM1400が誕生するまでにはいくつかの難題が存在していたというが、そんなプロダクトが現在のアメリカのマーケットでも良好なセールスを記録しているのは感慨深いという。
そしてM1400が当初製品化されなかったのは、製造上の問題だけでなく、M1300から比較して大きな進化が見られなかったことも、その大きな理由だったらしい。ニューバランスというと、ナイキやアディダスといったブランドと比較するとテクノロジー開発に積極的なイメージがないので意外だったが、この話を聞いたときに、フレッシュフォームのようなミッドソールテクノロジーの開発を行い、VAZEEのような機能性に優れたランニングシューズコレクションを積極的にリリースする最近のニューバランスのイメージが重なった。
ニューバランスのランニングシューズはストリートシーンでも人気だが、あくまで機能性に裏打ちされたスペックを結集しているので、このM1400も長時間着用しても快適性を失わない。つまり、しっかりとランニングシューズとしてのDNAが組み込まれているのである。
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当初は日本国内のみの展開だったM1400だが、写真のカラーリングを始めとして、アメリカのファッションアパレルチェーンであるJ.CREWでも販売されるようになった。
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