adidas/SL72(アディダス/SL72)1972|ランニングシューズの礎を築いた“名作”たち
RUNNING style 編集部
- 2020年02月18日
アディダス初となるナイロン素材の採用が比類なき軽量性を実現
五輪の地元開催に沸く1972年に開発された!
自分自身にとって記憶に残っている、最も古い夏季五輪が1972年に行われたミュンヘン五輪である。西ドイツ南部の中心都市であるミュンヘンにおいて開催された同大会のことは、男子バレーボール日本代表による金メダル獲得や、陸上競技の男子100m競技で優勝候補のアメリカ人選手2人が遅刻して失格となったことなどを鮮明に覚えている。
そのなかでも、当時小学1年生であった幼い自分が悲しい気持ちになったのが、パレスチナ武装勢力「黒い九月」による人質事件でイスラエル人アスリートらが亡くなったこと。これ以降、五輪はスポーツの祭典としての側面だけでなく、残念ながら政争やイデオロギーの衝突の舞台にもなってしまった。
そんなミュンヘン五輪のタイミングで、アディダスから1足のスポーツシューズが発表された。それがSL72である。ブルーのアッパーにホワイトのスリーストライプを組み合わせたランニングシューズは、アディダスで初めてアッパーにナイロン素材を使用したことにより、高い軽量性を確保。あらゆる路面で優れたグリップ性を発揮するラバーアウトソールを組み合わせることで、当時としてはトップレベルの走行性能をアスリートに提供した。
モデル名のSLは、Super Lightのイニシャルから命名されており、これが示すようにアディダスSL72は当時の基準からすると非常に軽量性に優れたモデルであった。当初はトップレベルのアスリートのみに支給され、一般販売はされなかったSL72であったが、1974年からはランニングカテゴリーの1モデルとしてセールスが開始された。
アメリカでも高い評価を獲得し後継モデルが登場
SL72はヨーロッパ市場のみならず、ジョギングがライフスタイルの一部となり始めたアメリカマーケットでも高い評価を獲得。「ランナーのバイブル」として揺るぎない信頼を得ていたランナーズワールド誌のシューズレビューでも上位にランクされ、1976年のモントリオール五輪のタイミングでは、SL72の基本スペックを継承しつつ、シューレースによるフィット感の調節をイージーにしたDリング採用のSL76が登場した。ベースとなったSL72とともに、1970年代後期になるとトップアスリートはもちろんのこと、一般ランナーのあいだでもポピュラーとなり、さらにはカジュアルシーンでも人気となった。
そんなSL72、SL76の後継モデルとして1980年のモスクワ五輪のタイミングに合わせてSL80も登場したが、フルモデルチェンジされたデザインはカジュアル用途には向かないデザインであったこと、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議してアメリカ、日本、西ドイツ、中国、カナダといった国々がモスクワ五輪の参加をボイコットしたことで、同大会は盛り上がりに欠けるものとなった。
そういった背景もあって、アディダスのSL72とSL76はスポーツシューズの歴史において常にスポットライトが照らされてきたモデルであるのに対し、SL80はヒットモデルと呼ぶには程遠く、知る人ぞ知るモデルにとどまっている。これが影響したのか、1984年のロサンゼルス五輪のタイミングでは、SLの名を冠するモデルは発表されなかったが、マイクロペーサーのような未来を先取りした革新的なシューズを開発。アディダスはいつの時代も、進取の精神を忘れないブランドであることをアスリートに証明していた。
column
SL72が発表された1972年には、現在はアディダス オリジナルスの象徴として親しまれているトレフォイル(三つ葉)ロゴが登場。SL72のシューズ本体や箱にも配されていた。
「ランニングシューズの名作たち」のその他記事はコチラから。
SHARE
PROFILE
RUNNING style 編集部
ランニング初心者から、サブ4を目指す中級者まで楽しめるランニング専門マガジン。トレーニングやアイテムの紹介、トレイルラン、イベントまでさまざまな情報をお届けする。
ランニング初心者から、サブ4を目指す中級者まで楽しめるランニング専門マガジン。トレーニングやアイテムの紹介、トレイルラン、イベントまでさまざまな情報をお届けする。