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レジェンドアングラー”パパ大津留”のフォトエッセイ~東京都・八丈島でのジギング系譜【前編】

新型コロナウイルスにより、ステイホームを余儀なくされたパパ。そんな中で、自身の釣り、ジギングについて考えていた。そしてそれは、初心に戻り、「The Kiduppers」の理念を思い起こし、「大型魚に狙いを定め、渾身でロッドを振り続ける」というものだった。それを実践すべく、一人で島で二度の実釣を行った。

ジギングを始めて30年超。変化を求められる時代が来たことを実感

思えば長い間、釣りをやってきた。小学生の頃は、青森の野山で小魚を追い、魚だけに限らず、自然にあるものは全てが天の恵みだった。父の実家が網元だったせいか、そこで獲られた魚は全て商売もの。夕食の食卓に乗る魚は、父や私が遊びで獲ってくる魚だった。

学校から帰ると、すぐにカバンを放り出し、手作りの竹竿を持ち出す。春先は、川のイワナやヤマメから夏のアユ。海では、ソイ、アイナメ、スズキにヒラメ。ウナギ、ヤツメウナギ、そして魚だけではなくカニや川エビ、サザエにアワビやタコまで。さらには、ワラビやゼンマイ、タケノコなどの山菜、アケビやキノコ、栗、クルミ、山葡萄を採った。

何しろ戦後の食糧難だった時代だから、遊びが食物採取で、良い獲物が食卓に乗り、母親の手で父親の酒の肴となった。

普段、笑顔など見せない父親だが、バケツ一杯に取ってきたモクズガニ、夏の海で遊びながら捕ったサザエやシッタカ、それを見て、私の頭を笑顔で撫でてくれた。そんな暮らしからのアイディンティティーが、今の私を作ったのかもしれない。

それから青年期を経て、釣りの虜になる。音楽家生活に見切りをつけた島での生活は、それは憧れの釣り三昧の生活の筈だった。しかし、釣りのガイド業はプロの仕事を求められる。当時、島での新しい釣りを模索し始めた時に、遊びで培った釣りである私のルアーフィッシングの知識など、それは薄っぺらなものだった。

パパズインを始めて、来年で30周年を迎える。当初、多少は東京湾でのシーバス、伊豆あたりのヒラスズキや根魚狙いの釣りをルアーでやっていたが、それでもナイロンラインの釣りから一歩踏み出すことはなかった。

▲釣行時は、あれこれ考えず、ベイトタックル、スピニングタックルの2本に、重めのジグだけ。大物に狙いを定めた道具だけということ。

島での釣りだが、もともとは好きだった磯の上物、イシダイなどの底物に加え、沖の船釣りに手を広げた。

そして、そこから始めた試行錯誤のジギングには特別な思いを持った。当時、ジギングは季節限定であり、冷水魂が島を覆い浅場に青物が入ってくる春期に限られていたろうか。春の浅場に入るベイト、それを追うのは活性したカンパチやヒラマサである。

それは、活き餌を使った「泳がせ釣り」の太仕掛けでさえ引きちぎる大型だ。20lb程度のナイロンラインでは、「無理だ! 無謀だよ!?」と船長たちが嫌がる。そんな中でも、島のゲームフィッシングを模索した時代だ。

確かに、当時のナイロンラインに小型のスピニングリール、そのジギングには限界があった。60g 、80g 程度のメタルジグに、20lb程度のラインでの100m以深のジギングだ。

しかも、潮流の速いフィールドなので、たかだか200mぐらいしか巻かれていないリールでは、釣りになるものではない。やはり季節のカツオや小型のキハダが中層で食う程度だから、まるで雲を掴むようなジギングだ。

当時、水深90~120m台でのオキアミを使った釣り(ビシ釣り)で、アオダイやヒメダイを狙っていた。その釣りでは、当時で新素材と言われた化学繊維の編み糸が使われていたが、その釣りでアオダイが大型魚に喰い取られていた。船頭たちはサメと騒ぐが、私はカンパチの可能性もあると考えていた。

そこで始めたのが、バスのフリッピングロッドとイシダイのリールをセレクトし、その新素材のラインを使った(今のPEラインの原型だろうか?)ベイトタックルのジギングだ。

▲3月に1回、4月に1回だけ、目の前の海でジギングをした。パパにとって、怪我で釣りができない時を除き、これほど釣りをしないことはない。いろいろと考える時間はたっぷりあり、自身の釣りを改めて考えた。そして出した答えは、初心に帰るということであった。

そんな中で、島の南東側にある石積灯台の沖120~130m台で釣り上がったのが26㎏のカンパチ。そこからPEラインを使用したジギングが、私の中で大きな確信へと変わった。そしてジギングロッドの開発、ベイトタックル用のジギングリールが誕生し、その後のスタジオオーシャンマーク「ブルーヘブン」の登場や、ダイワ、シマノのジギング用ベイトリールも進化していく。

さらにスピニングリールも圧倒的に高性能化し、ロッド、ライン、メタルジグとともに進化していった。そして、この30年を振り返ってみると、タックルだけではばく、アングラーの技術向上も素晴らしい。数年前からのスローピッチジャーク、いわゆるスロージギングだろうか。

最近では電動ジギング、スーパーディープジギング、スーパーライトジギングと、理論的にも確立され、次々とフィールド開拓がなされていく。誰もが幅広い水深で、多くの魚をそれぞれのフィールド、スタイルで探れる。ジギングが、それだけ身近になってきたということだ。

そして私も、この30年間も続けたジギングの中で、変化を求められる気がしていた。勿論、それには知識や探求心も要るが、何よりもチャレンジが大事だろうか。ただ、今さら取り組むのは付け焼刃であり、無駄な足掻きかもしれない。それは、釣行の度に釣れない日が続き、自分の子どもや孫ほどの若いアングラーの後塵を拝し、その得意げな顔を眺めながら地団太を踏む。

昨年の暮れだが、ダイワチームがスピニングリールのテストで来島した。ベイトタックルのジギングに偏る私だが、スピニングタックルも嫌いではない。むしろ、最近のスピニングリールの進化には驚かされていて、今回はその新しいダイワのSALTIGAには興味津々となり、さらにその進化に驚かされた。

ダイワチームの皆は、バリバリの釣りをする。その中でもミスターダイワマンの永山君はガンガンに強めのジャークを繰り返し、若い頃の自分を見ているような気がして嬉しかった。そして、彼らとの釣行が刺激になったのか? ビッグワンとは言えないまでも、コンディションの良い17~18㎏のカンパチを釣ることができた。

▲ベイトタックルのイメージが強いパパだが、最近はスピニングリールの出番が以前より多くなったように感じる。新しいSALTIGAを使用し、その進化に驚いたようだ。
▲新型コロナウイルスにより、島外のお客さんも呼べず、自身も島から出れない状況であったため、亜由丸船長と2人で沖に出た。その時、ディープローバー・ギンタチ500gにヒットした20.5㎏のカンパチ。

レジェンドアングラー”パパ大津留”のフォトエッセイ~東京都・八丈島でのジギング系譜【後編】はこちら>>>

レジェンドアングラー”パパ大津留”のフォトエッセイ~東京都・八丈島でのジギング系譜【後編】

レジェンドアングラー”パパ大津留”のフォトエッセイ~東京都・八丈島でのジギング系譜【後編】

2021年12月28日

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SALT WORLD 編集部

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近海から夢の遠征まで、初心者からベテランまで楽しめるソルトルアーフィッシングの専門誌。ジギングやキャスティング、ライトゲームなどを中心に、全国各地の魅力あるソルトゲームを紹介しています。

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